やまと絵と水墨画の統合 安土桃山時代

狩野元信『四季花鳥図』大仙院方丈障壁画、部分

室町時代の後半、幕府の力が衰え、戦国時代が到来する。その群雄割拠の中から、織田信長、豊臣秀吉が登場し、天下統一を成し遂げた。
彼等の活動した安土桃山時代、日本は空前の金銀のラッシュが起こり、芸術の世界でも、背景が黄金色の襖絵や障子画が今はなき安土城等の内部を飾った。

こうした室町時代の末期から安土桃山時代にかけて、美術の世界では、平安時代から続くやまと絵の伝統と、鎌倉時代に大陸からもたらされた禅宗と伴に移入された水墨画の伝統が、融合・統一された。

一方は、優美でありながら、儚さに基づく「あはれ」の感情に基づく抒情的の美。もう一方は、禅的な無を核とする余白の美。
一見すると矛盾するその二つの美意識を統合することで、どのような美が生まれたのだろうか。

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日本の美 平安時代 その6 やまと絵

寝殿造りの住居の仕切りには、屏風や障子が使われたが、その上には絵が描かれていた。
9世紀半ばには、絵のテーマとして、日本的な風景を描いたものも現れ始める。それらは『古今和歌集』に載せられる和歌と対応し、屏風の絵の横に、和歌が美しい文字で描かれることもあった。

例えば、素性法師が竜田川を歌った和歌の前には、次のような詞書が置かれている。

二条の后の東宮の御息所と申しける時に、御屏風に竜田川に紅葉流れ
るかたをかけりけるを題にてよめる

もみぢ葉の 流れてとまる みなとには 
紅深き 波や立つらむ 

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日本の美 平安時代 その1 

現代の日本人が美しいと感じる美意識の原型は、平安時代に成立したのではないかと考えられる。

日本は、古墳時代からすでに中国大陸の影響下にあったが、6世紀(538年頃)に仏教が伝来して以来、圧倒的な大陸文化の影響下に入った。
奈良時代、法隆寺、薬師寺などの仏教建築、『古事記』『日本書紀』『万葉集』等の文字による文化的表現も、確かにある程度日本的な受容の形を示している。しかし、次の時代の美意識とは断絶があると考えられている。

平安時代、とりわけ9世紀末(894年)に遣唐使が廃止されて以降、大陸との交流が限定的となり、大陸文化の和様式化が大きく進展した。
そうした中で、現在の私たちがごく自然に感じる四季の移り変わりに対する繊細な感受性、もののあわれに美を感じる心持ち、穏やかで調和の取れた美の嗜好等が生み出されていった。
京都の貴族たちが、寝殿造りの建物の中で、『古今和歌集』『枕草子』『源氏物語』を楽しんだ時代。平等院鳳凰堂は地上に出現した浄土(極楽)ともみなされる。

こうした状況は、12世紀の終わりに源頼朝が鎌倉幕府を開いた時代に、次の段階を迎える。
平安時代の末期に始まった宋との貿易の再開、禅宗の定着等により、新しい時代の美意識が誕生し始める。象徴的に言えば、寝殿の自然を模した庭園が枯山水へと変化する。

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日本的美の形成 室町時代から安土桃山時代

日本的な美には、平安時代に成立した壮麗で装飾的な美(やまと絵)と、室町時代に形作られた簡素な美(漢画)という二系統の美があり、それが室町時代の後期から安土桃山時代、江戸時代の初期にかけて、徐々に融合していった。

二系統の美については、フランスの作家で日本に外交官として滞在したポール・クローデルも、彼の優れた日本文化論の中で指摘している。
https://bohemegalante.com/2019/08/30/paul-claudel-et-la-beaute-japonaise/

やまと絵の装飾性と漢画(水墨画)の構図力を融合させた最初の例は、室町時代の画家、狩野元信の「四季花鳥図」などに見られる。

狩野元信 四季花鳥図
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和様式の美の形成 飛鳥時代から平安時代へ

日本の美と感じられる美が出来上がったのは、縄文、弥生、埴輪時代の後のことになる。6世紀半ばに仏教が伝来して以来、飛鳥時代から平安時代末期まで(538-1192)の約650年の間、大陸から移入された仏教美術が圧倒的な流れとなって押し寄せてきた。それは、寺院、彫刻、絵画、工芸品等、全てを含む総合芸術だった。
その受容を通して、飛鳥、白鳳、天平、貞観、藤原、院政まで、朝鮮、中国とは違う美が生まれた。万葉仮名から平仮名が作られ、和歌が生まれ、大和絵や絵巻物等が誕生したのだった。それと同じように、仏教芸術にも和のテーストが付け加えられていった。

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