モーパッサンからネルヴァル、ランボーへのウインク

1892年の初頭にモーパッサンが精神に異常をきたした時、治療にあたったのはエミール・ブランシュ博士だったが、博士はずっと以前にはジェラール・ド・ネルヴァルの治療も行っていた。
ネルヴァルは、エミール・ブランシュ博士の父親エスプリ・ブランシュ博士にお世話になったこともある。

モーパッサンはそのことを知っていたに違いない。直接ネルヴァルのことを話題にすることはなかったようだが、精神疾患を取り上げた「オルラ」の中には、ネルヴァルに向かってウインクをしているような記述がある。

その理由を私なりに推測すると、一般的に狂気と見なされる世界観と、詩の生み出す美とが連動していることを、モーパッサンなりに示そうとしたからだと思われる。
同じ箇所に、アルチュール・ランボーに向けてのウインクもあることから、「狂気ー詩ー美」の繋がりがよりはっきりと示される。

問題の箇所は、目に見えないが確かに実在すると感じられる存在をオルラと名付け、それが世界を構成する4つの元素(水、火、大地、空気)と同様の、なんらかの元素ではないかと自問した後に記されている。

でも、あなたはこう言うかもしれない。蝶だ! 空飛ぶ一輪の花だ! ぼくはといえば、一匹の蝶を夢見る。宇宙と同じ位大きい。羽根の形も、美も、色彩も、動きも、描くことさえできない。でも、ぼくには見える。・・・・蝶は、星から星へと向かい、その飛翔の軽やかで調和のとれた息吹で、星々を、新鮮でかぐわしいものにする! ・・・天上の人々は、蝶が通り過ぎるのを目にし、恍惚となり、魂を奪われる!・・・(「オルラ」)

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モーパッサン 「オルラ」 小説と日常生活の心理学 3/3

ギ・ド・モーパッサン(1850-1893)は梅毒のために神経系が犯され、晩年はかなりの精神障害を患い、最後は精神病院で死を迎えた。
そのためもあってか、心理学に興味を持ち、神経病学者ジャン゠マルタン・シャルコーがサルペトリエール病院で開催していた公開講座に通い、催眠術によるヒステリー患者の治療などに立ち会っていたことが知られている。
シャルコーの指導を受けたスエーデンの医師アクセル・ムンテは、『サン・ミケーレ物語』の中で、火曜講座でモーパッサンと出会い、催眠術や様々な精神障害について長く話しあったものだったという思い出を語っている。

そうしたモーパッサンの気質が、幻想的と見なされる彼の短中編小説の土台となっていることは、代表作の一つである「オルラ」からも知ることができる。
日記形式で語られる日常生活の中で、「私」が襲われる様々な幻覚や不可解なでき事は、単に怪奇現象として幻想小説の枠組みを通して語られるのではなく、当時の心理学的な視点から検討されている。
催眠術の場面が描かれ、専門の学術雑誌らしい名称が挙げられ、「暗示」や「意志」といった専門用語が使われる。
目に見えない何かの存在を確認しようとする「私」の行動は、科学的な実験とその検証のようでもある。

モーパッサンは、「幻想的なもの」と題された雑誌記事(1883年10月7日)の中で、以前の幻想は恐怖を生み出すために超自然な出来事を用いたが、これからは、日々の細々とした事象を通して、魂の混乱や説明不可能な恐怖の強い感覚を語るのだとしている。
彼は、日常生活を送る中で感じる心理と身体の関係を様々な角度から考察し、物語の形で表現したのだった。

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