死後のゴッホ Gogh après sa mort 栄光への階段

ゴッホが画家としての活動をしたのは、1881年から1890年の間の、僅か10年弱。
しかも、1886年にパリにやってきてから、アルル、サン・レミ、オヴェール・シュール・オワーズと、彼のパレットの上に明るい色彩が乗っていた期間は、4年あまり。
フランス詩の世界で言えばアルチュール・ランボーに比較できるほど、短い期間に流星のように流れ去っていった。
そして、ランボーと同じように、生前にはまったく評価されなかった。

しかし、ゴッホの死後、比較的早く、彼の絵画を評価する動きが始まり、現在では、世界で最もよく知られ、人気のある画家の一人になっている。
彼の死を境に、何が起こったのか、当時の美術界の状況を含めて見ていこう。

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ゴッホ サン・レミからオヴェールへ Gogh de Saint-Rémy à Auvers-sur-Oise 狂気と創造

Vincent von Goth, À la porte de l’éternité

1889年5月初旬、ゴッホは、アルルから北東20キロほどにあるサン・レミの療養所に入院する。そこは、聖ポール・ド・モゾールという修道院を改修した精神病院で、修道女たちによって運営されていた。

最初は満足していたようであるが、制度的なキリスト教に幻滅していたゴッホには耐えられない入院生活となり、一年後の1890年5月、南フランスを離れ、パリ北部にあるオーヴェル=シュル=オワーズでの生活を始める。
そこでは、ポール・ガシェ医師の治療を受けながら、ラヴーの経営する小さな宿屋に滞在した。

1890年7月27日の夕方、ゴッホはラヴー旅館に怪我を負って戻ってくる。自分で左胸を銃で撃ったと考えられているが、他の説もあり、実際に何があったのかはわからない。とにかく、その傷が元で、29日午前1時半に息を引き取る。

この間、約14ヶ月。ゴッホは狂気の発作に何度も襲われながら、創作活動を続けた。

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アルルのゴッホ Gogh à Arles 黄色の画家

1888年2月、ゴッホはパリを離れ、アルルで活動を始める。
同じ年の10月下旬にはゴーギャンが合流し、画家の共同体の夢が実現するかのように思われる。しかし、二人の画家の関係はすぐに悪化し、12月23日、ゴッホが自分の左耳をそぎ落とすという事件が勃発、共同生活は終わりを迎える。
ゴーギャンはパリに戻り、ゴッホはアルル市立病院に収容される。

1889年1月、ゴッホは退院を許されるが、2月下旬になると住民たちがゴッホの存在を恐れ、彼の立ち退きを求める請願書を提出した。そのために、再びアルル市立病院に入院させられ、5月初めまで留まることを余儀なくされる。

この15ヶ月ほどの間に、ゴッホは風景画、肖像画、静物画を数多く描き、彼の絵画を特徴付ける「黄色の世界」に到達した。

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動くゴッホの絵画 Gogh en mouvement à l’Atelier des Lumières

パリのアトリエ・デ・リュミエールで、2019年の終わりから2020年の始めまで、ゴッホ展があった。
超精密なマッピングで描かれたゴッホの絵画が、現れ、動き、消えてはまた現れる。素晴らしい試み。

パリ時代のゴッホ Gogh à Paris 印象派と浮世絵

ゴッホは、1886年2月末にパリに突然姿を現し、1888年2月になると、南フランスのアルルへと去っていく。この約2年間のパリ滞在中、彼は何を習得したのだろうか。

アルルに到着後、彼はパリにいる弟のテオへの手紙で、こんな風にパリ滞在を振り返る。

パリで学んだことを忘れつつある。印象派を知る前に、田舎で考えていた色々な考えが、また返ってきた。だから、ぼくの描き方を見て、印象派の画家たちが非難するかもしれないけれど、ぼくは驚かない。

ゴッホの意識では、アルルでの仕事はオランダ時代に続くものであり、パリでの2年間は空白の時だったらしい。

しかし、ゴッホの絵は明らかに大きな変化を見せている。彼の絵画は、印象派の影響を受け、オランダ時代の暗いものから、色彩のオーケストレーションといえるほど、明るさを増している。

ここでは、パリ滞在の2年に限定し、ゴッホの絵画を辿ってみよう。

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オランダ時代のゴッホ Vincent van Gogh en Hollande 牧師になり損なった画家

一人の人間の本質的な気質はどんなことがあっても変わらない。

牧師の息子だったフィンセント・ファン・ゴッホ(1853−1890)は、最初に画商グーピル商会の店員となり、次に牧師になった。
その後、絵に専念することになるが、彼の根本にある気質は不変のままだった。たとえ、農民や炭坑夫になっていたとしても、ゴッホはゴッホだっただろう。

Vincent van Gogh, Les Mangeurs de pommes de terre

彼の気質は、牧師を辞めさせられた顛末を通して見えてくる。
そして、その気質は、オランダ時代だけではなく、フランスで創作活動をする間も、ずっと彼の絵画の奥深くにどっしりと根を下ろしている。
二つの時期の違いは、線と色彩のどちらに重きを置くかによる。
オランダ時代は、描線によって物の形を捉える画法を探った。パリに移り住んでからは、色彩を絵画表現の中心に据えた。

ここでは、牧師になり損なったゴッホを出発点として、オランダ時代の線描を中心にした絵画について考察していく。

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絵画における文化の交わり ゴッホと司馬江漢

私たちが何か異質なものを受容するとき、私たち自身が無意識に持っている感受性が自然に働き、異質な要素を何らかの形で変質させる。
うまくいけば、そうした受容から、新たなものが生み出される。
絵画を通して、異文化受容の一つのあり方を見てみよう。

No. 1
No. 2

No. 1はヨーロッパの風物を描いた絵画。
No. 2は花魁の絵。
では、どちらがヨーロッパ的で、どちらが日本的と感じるだろうか?

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ゴッホのひまわり 

France 2の20時のニュースで、ゴッホのひまわりを取り上げていました。

https://www.francetvinfo.fr/economie/emploi/metiers/art-culture-edition/van-gogh-une-fascination-pour-les-tournesols_3211945.html

ゴッホにとってひまわりは宗教的なシンボル(un symbole religieux)であり、神的な次元、神聖な次元 la dimension divine, la dimension sacrée)を表しているそうです。ひまわりが太陽を探すように人間は神を探すという考えは、いかにもキリスト教的な感じがします。