ネルヴァル シルヴィ 言葉の音楽性を体感する

ジェラール・ド・ネルヴァルは、1853年に「シルヴィ」を執筆している時、友人に宛てた手紙の中で、「ぼくは真珠しすぎる(je perle trop)」と書いている。

「真珠しすぎる」?
どういう意味だろう。

お菓子に関して言えば、真珠の形をしたアーモンド菓子を作ること。裁縫では、刺繍などを完璧に仕上げること。音楽では、テンポや一連の装飾音を完璧にするという意味になる。

ネルヴァルはその動詞を文体にも適用し、「シルヴィ」を書きながら、文章を凝りすぎていると感じていたのだろう。そのために、なかなか終わらなくて焦っていたふしもある。
実際、普段のネルヴァルの文章と比較して、「シルヴィ」には非常に美しく、ポエジーを感じさせる文が多くある。

私たちが外国語を学ぶとき、意味の理解に精一杯で、文の美しさを感じることができるとはなかなか思えない。理解するために思わず日本語に変換してしまうことも多く、原語の持つ音楽性を感じることができずにいる。
しかし、それではあまりにももったいない。
せっかく原語で読むのであれば、言葉たちが奏でる音楽に耳を傾け、少しでもいいので「美」を感じられたら、どんなに幸せなことだろう。

小説を形作る言葉の音楽性が何よりも重要だと、村上春樹が小澤征爾との対談で述べている。(村上春樹『小澤征爾さんと、音楽について話をする』)

僕は文章を書く方法というか、書き方みたいなのは誰にも教わらなかったし、とくに勉強もしていません。何から学んだかというと、音楽から学んだんです。それで、いちばん何が大事かっていうと、リズムですよね。文章にリズムがないと、そんなものは誰も読まないんです。

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ジェラール・ド・ネルヴァル 「シルヴィ」 Gérard de Nerval, Sylvie エルムノンヴィルにて

ジェラール・ド・ネルヴァルの代表作の一つ「シルヴィ」の中で、主人公の「私」は、パリの劇場の舞台に姿を現す女優に夢中になり、そこから連想の糸に導かれて、幼い頃を過ごしたパリ北方に位置するヴァロワ地方で出会ったアドリエンヌやシリヴィのことを思い出す。

その小説の中では、パリとヴァロワ地方、現在と過去が巧みに組み合わせられ、最終的には、全てが「私」から失われる物語が展開する。

ここでは、9章「エルムノンヴィル」を取り上げ、ネルヴァルが、現実に存在する風景をかなり忠実に再現しながら、どのような言葉を紡いで現実に厚みを付け加え、彼の文学世界を構成していくのか、その過程を見ていこう。


パリから馬車でヴァロワ地方に戻った「私」は、お祭りで踊っているシルヴィと再会し、翌日も彼女に会いに行こうとする。

 Plein des idées tristes / qu’amenait ce retour tardif / en des lieux si aimés,/ je sentis le besoin /de revoir Sylvie /, seule figure / vivante / et jeune encore / qui me rattachât à ce pays. / Je repris la route de Loisy. / C’était au milieu du jour ;/ tout le monde dormait, / fatigué de la fête. Il me vint l’idée / de me distraire / par une promenade à Ermenonville, / distant / d’une lieue / par le chemin de la forêt. / C’était par un beau temps d’été. /

私はとても悲しい気持ちに満たされていた。こんなに時間が経ってから、大好きだった所に戻って来たためだった。シルヴィにもう一度会う必要があると感じた。彼女だけが、生き生きとし、今も若々しい姿をしていて、私をこの地方に結び付けているのだ。私は再びロワジー(注:シルヴィの住む村)への道を歩き始めた。真昼だった。誰もがまだ眠っていた。お祭りで疲れていたのだ。ある考えが頭に浮かんだ。エルムノンヴィルを散策すれば、気晴らしになるだろう。エルムノンヴィルは、森の道を通って、4キロほど先にある。夏らしい素晴らしい天気だった。

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フランス語講座 ネルヴァル 「シルヴィ」 Gérard de Nerval « Sylvie » 2/2 心のスクリーンに映し出された映像を描く散文

第二段落では、舞台上の女優の姿が描き出されるが、それは決して客観的な描写ではなく、心の目で見た彼女の姿。

とりわけ、「夜のように青白い」に続く長い描写は、古代の遺跡に残された壁画を思わせ、ネルヴァルの筆が絵画を描いているように感じられる。

  Je me sentais vivre en elle, et elle vivait pour moi seul. Son sourire me remplissait d’une béatitude infinie ; la vibration de sa voix si douce et cependant fortement timbrée me faisait tressaillir de joie et d’amour. Elle avait pour moi toutes les perfections, elle répondait à tous mes enthousiasmes, à tous mes caprices, — belle comme le jour aux feux de la rampe qui l’éclairait d’en bas, pâle comme la nuit, quand la rampe baissée la laissait éclairée d’en haut sous les rayons du lustre et la montrait plus naturelle, brillant dans l’ombre de sa seule beauté, comme les Heures divines qui se découpent, avec une étoile au front, sur les fonds bruns des fresques d’Herculanum !

朗読(1分09秒から)

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フランス語講座 ネルヴァル 「シルヴィ」 Gérard de Nerval « Sylvie » 1/2 心のスクリーンに映し出された映像を描く散文

ジェラール・ド・ネルヴァルの「シルヴィ」は、とても美しく音楽的な散文で綴られている。
とりわけ、冒頭の一節で描き出される劇場の様子は、21世紀のフランス語の文章構造と比較するとずいぶんと複雑で、わかりにくいと思われるかもしれない。
しかし、前から読み、ブロック毎に意味を理解していくと、情景が自然に心の中に浮かび、主人公の「私」と同じ感覚を味わっているような気持ちになる。

文章が複雑だと感じられる原因を探りながら、それが難しさではなく、文体上の工夫だとわかると、フランス語で文学作品を読む楽しみを感じることができるようになる。

Je sortais d’un théâtre où tous les soirs je paraissais aux avant-scènes en grande tenue de soupirant. Quelquefois tout était plein, quelquefois tout était vide. Peu m’importait d’arrêter mes regards sur un parterre peuplé seulement d’une trentaine d’amateurs forcés, sur des loges garnies de bonnets ou de toilettes surannées, — ou bien de faire partie d’une salle animée et frémissante couronnée à tous ses étages de toilettes fleuries, de bijoux étincelants et de visages radieux. Indifférent au spectacle de la salle, celui du théâtre ne m’arrêtait guère, — excepté lorsqu’à la seconde ou à la troisième scène d’un maussade chef-d’œuvre d’alors, une apparition bien connue illuminait l’espace vide, rendant la vie d’un souffle et d’un mot à ces vaines figures qui m’entouraient.

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