
詩の中には、ある知識を前提として書かれているものがあり、その場合には、読んですぐに理解するのは難しいし、理解できなければ、その魅力を味わうこともできない。
ボードレールの「地獄のドン・ジュアン(Don Juan aux Enfers)」であれば、17世紀の劇作家モリエールの戯曲「ドン・ジュアン 石の饗宴」を知らないと、スガナレル(Sgnanarelle)、ドン・ルイ(Don Luis)、エルヴィル(Elvire)といった固有名詞、物乞い(un mendiant)や石の男(homme de pierre)が、ドン・ジュアンとどんな関係があるのかわからない。

日本人であれば、三途の河と言われればすぐにピントくるが、カロン(Charon)という名前にはなじみはない。
カロンは地獄の河の渡し守。死者はカロンに船賃(une obole)を渡さなければならない。
ドイツの作家ホフマン(1776-1822)が、モーツアルトのオペラ「ドン・ジョヴァーニ」を下敷きにして執筆した「ドン・ジュアン」も、ボードレールは頭に置いていたと考えられる。
ドラクロワの絵画「ダンテの小舟(地獄のダンテとヴェルギリウス)」や、ドン・ジュアンが地獄に下る姿を描いた同時代の版画など、美術批評も手がけたボードレールの絵画体験も詩の中に反映している。
こうした知識がぎっしりと詰まっている詩を読む場合、何の前提もなしで直接心に訴えかけてくる抒情詩とは違い、まずは知的な理解が必要にならざるをえない。
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ボードレールのドン・ジュアンは、最初の場面で、地獄の河を下っていく。

伝説のドン・ジュアンは、墓場で見た石像を宴会に招待し、最後はその石像によって地獄に落とされるという最期を迎える。
モリエールの『ドン・ジュアン』でも、饗宴に出現した石像に手を触れられた瞬間、ドン・ジュアンは雷に打たれ、大地が開き、深淵の中に落ちていく。
ボードレールの詩は、その後のドン・ジュアンの姿を歌う。

その際、彼が思い描いたのは、ドラクロワの「ダンテの小舟(地獄のダンテとヴェルギリウス)」に違いない。
画家が描いたのは、『神曲』(地獄篇第8歌)の中で、ダンテがヴェルギリウスに導かれ、地獄の河を小舟で下っていく場面。
私たちもこの小舟に乗り、ドン・ジュアンの地獄下りに同行してみよう。
Quand Don Juan descendit vers l’onde souterraine
Et lorsqu’il eut donné son obole à Charon,
Un sombre mendiant, l’œil fier comme Antisthène,
D’un bras vengeur et fort saisit chaque aviron.
ドン・ジュアンが地下の河へと下り、
船賃の硬貨をカロンに渡した後、
ひとりの陰気な物乞いが、アリティステネスのような誇り高い目をし、
復讐するぞといった力強い腕で、それぞれの櫂(かい)をつかんだ。