ボードレール 「現代生活の画家」 Baudelaire Le Peintre de la vie moderne モデルニテについて — 生(Vie)の美学

1863年に発表された「現代生活の画家(Le Peintre de la vie moderne)」の中で、シャルル・ボードレールは、「モデルニテ(Modernité)」という概念を提示し、現代の美は「移り変わるもの」と「永遠性」の二つの側面からなるという説明をした。

 Il s’agit, (…), de dégager de la mode ce qu’elle peut contenir de poétique dans l’historique, de tirer l’éternel du transitoire.

問題は、(中略)、モードから、歴史の中でそのモードが含む詩的なもの全てを、一時的なものから永遠なものを、取り出すことである。

最も簡単な言い方をすれば、モデルニテとは、自分たちの時代の服や生活習慣など「すぐに変化してしまう現代的(モダン)な主題」を取り上げ、古代の美に匹敵する「普遍的で永遠の美」を作り出す、という美学だといえる。

この二重性を持つ美の概念は、「1846年のサロン」の最終章「現代生活の英雄性」においても言及されていた。

Toutes les beautés contiennent, comme tous les phénomènes possibles, quelque chose d’éternel et quelque chose de transitoire, — d’absolu et de particulier.

あらゆる美は、潜在的な全ての現象と同じように、永遠なものと束の間のもの、— 絶対的なものと個別的なものを内蔵している。
https://bohemegalante.com/2020/08/29/baudelaire-heroisme-de-la-vie-moderne-salon-1846/

では、1846年と1860年前後という二つの時期で、ボードレールの美意識に変化はなかったのだろうか?

こうした問題意識は、一般的な読者にとってはあまり意味がないと思われるのだが、少し専門的にボードレールについて調べてみると、どうしても気になってくる。

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プラトン的二元論から一次元的世界観(現前性)への大転換

19世紀の後半、ヨーロッパでは世界観の大きな転換があり、古代ギリシアのプラトンに始まり、ルネサンスを通して19世紀前半まで続いてきた世界観が大きく揺らぎ始めた。

フランスでは、その転換点に、シャルル・ボードレール、ギュスターヴ・フロベール、エドワール・マネたちが位置していた。
彼らの作品は、自分たちの時代の事物や出来事をテーマとして選択したが、その再現を目的とするのではなかった。
むしろ現実の再現を止め、現実から自立し、作品自体が現実とでもいえるものの創造を目指した。

端的に言えば、そこで生成されつつあったのは、現実とフィクションの区別をするのではなく、フィクションも一つの生命を有する現実と見なす一次元的世界観だった。

その大転換を理解するために、プラトニスムの転倒を企て、それに苦しみ、最後は狂気に陥った哲学者ニーチェについて書かれたマルティン・ハイデッガーの文章を読んでみたい。

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ボードレール 「小さな老婆たち」 Baudelaire « Les Petites Vieilles » 3/5

ボードレールはヴィクトル・ユゴーへの手紙の中で、「小さな老婆たち」について、ユゴーのいくつかの詩の模倣をしたと書いていた。

その際、彼が頭に置いていた詩の一つは、『東方詩集(Les Orientales)』に納めされた「亡霊たち(Fantômes)」だろう。

その詩は、「ああ! 私は見たのだった、数多くの若い娘たちが死んでいくのを!(Hélàs ! que j’en ai vu mourir de jeunes filles !)」という詩句から始まり、様々な少女たちが、一人一人、数え上げられ、人生の儚さが歌われる。

ユゴーの詩の雰囲気は、友人の画家ルイ・ブランジェの絵画によっても知ることができる。

ボードレールは、「小さな老婆たち」の第2部で、まず最初に三人の女性に呼びかける。

(朗読は、2分10秒から。)

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ヴィクトル・ユゴー ロマン主義的創造主 1/3 対立するものの共存と光への渇望

19世紀を代表する文学者、あるいはフランス文学を代表する作家は誰か? その問いをフランス人に投げかけると、多くの人は「ヴィクトル・ユゴー」と答えるだろう。

ヴィクトル・ユゴーは1802年に生まれ、1885年に死を迎えるまで、19世紀のほぼ全ての時代を生き抜いた。
しかも、20歳の頃にロマン主義運動の先頭に立って以来、詩、演劇、小説、評論、旅行記、日記、さらに絵画や政治に至るまで、多角的な活動を続けた。
83歳で死亡した時には国葬が行われ、凱旋門からパンテオンに続く沿道には200万の人々が詰めかけるほどの人気を博した。

21世紀、彼の作品の中では、『レ・ミゼラブル』と『ノートルダム・ド・パリ』という二つの小説が演劇、ミュージカル、アニメーションなどで頻繁に取り上げられ、世界中で絶大な人気を博している。

日本では、明治35-36年(1902-1903)に、『レ・ミゼラブル』が『噫無情(ああむじょう)』という題名で翻案され、さらに銀の燭台のエピソードが教科書に取り上げられるなどして、ジャン・ヴァルジャンの名前とともに、ヴィクトル・ユゴーの名前が広く知られるようになった。

他方、フランスにおいては、現在でもユゴーは詩人としての認知度が高い。
実際、詩人としての天分に恵まれ、インスピレーションだけではなく、テクニックの面でも、圧倒的な力を発揮した。
フランスのロマン主義に関して、絵画におけるドラクロワの存在が、文学においてはヴィクトル・ユゴーにあたると言ってもいいだろう。

Victor Hugo Le Phare

そうしたユゴーの膨大な作品群を貫く一つの核を探り出すのは困難だが、ユゴー自身がカスケ諸島の灯台を描いた1枚の絵画が、彼の精神性を最も端的に象徴しているのではないか、と考えてみたい。

画面の中央には一本の長い階段が位置し、下から上へと伸びている。
灯台の下は暗い闇に包まれ、右手の海上にでは一艘の船が帆を傾け、今にも沈みそうな様子をしている。
上方には格子のはまった窓があり、その回りには雲が立ちこめている。その全体が暗いが、しかし、窓の回りは明るい光で照らされている。
階段自体も全体的には闇に包まれているが、しかし、中央の部分は明るく見え、窓から光が差し込んでいる様子が窺われる。

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ジョアシャン・デュ・ベレー 「一生が一日よりも短いならば」 Joachim du Bellay « Si notre vie est moins qu’une journée » プラトニック・ラブの神話

ジョアシャン・デュ・ベレー(Joachim du Bellay)は、プレイアッド派の中心的なメンバーの一人。
イタリアの詩人ペトラルカが用いたソネット形式と、プラトン哲学に基づく愛の概念をフランスに導入することに、大きな役割を果たした。

ソネット(sonnet)は、2つの四行詩(Quatrain)と2つの三行詩(Tercet)の、14行からなる詩の形式。
韻に関しても、最初の8行はabba abba、次の6行は、cde cde、cdc cdc、cdc dcdなど、基本的な形が決められていた。

ペトラルカは、ソネット形式を用いて、ラウラと呼ばれる女性に捧げた恋愛抒情詩を書き、イタリアだけではなく、16世紀フランスの詩人たちに圧倒的な影響を与えた。

恋愛を歌うことは、人間的な自然な感情の表現であると思われるかもしれない。しかし、古代の文藝を再評価したルネサンスの時代には、哲学者プラトンから出発した愛の神話 — プラトニック・ラブ — を歌うことでもあった。

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フランソワ・ラブレー François Rabelais 『パンタグルエル物語』と『ガルガンチュア物語』教育論と理想世界

フランソワ・ラブレーは16世紀前半を代表する作家というよりも、フランス文学全体を通して最も重要な作家の一人。
残念ながら、16世紀のフランス語は現代のフランス語とかなり違っていて、容易に読むことができない。従って、ラブレーのフランス語のテクストをそのまま読み、解読してしていくことは難しい。

ここでは、ラブレーの教育論と理想世界について、核になる言葉を取り上げて、概要を見ていくことにする。
ポイントになるのは、二つの言葉。
« science sans conscience n’est que ruine de l’âme. »
« Fais ce que voudras.»

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