小林秀雄とランボー 初めに言葉ありき 

小林秀雄が大学時代、「人生斫断家アルチュル・ランボオ」を、大正15年(1926)10月に発行された『仏蘭西文学研究』 に発表し、翌年には「Arthur Rimbaud」を卒業論文として東大仏文に提出したことはよく知られている。

小林の訳した『地獄の季節』は昭和5年(1930)に初版が出版された。
その翻訳は、小林自身の言葉を借りれば、水の中に水素が含まれるように誤訳に満ちている。しかし、荒削りな乱暴さが生み出すエネルギーはまさにランボーの詩句を思わせ、今でも岩波文庫から発売されている。
個人的には、どのランボー訳よりも素晴らしいと思う。

それと同時に、小林秀雄がランボーから吸収したもの、あるいはランボーとの共鳴関係の中で学んだ詩学は、彼の批評の中に生き続け、言葉に出さなくても、彼の批評には生涯ランボーが生きていたのではないか。

昭和31年(1956)2月に発表された「ことばの力」は、小林の言葉に対する基本的な姿勢を明かすと同時に、ランボーの詩がどのようなものだったのか教えてくれる。

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マラルメ 「蒼穹」 Mallarmé « L’Azur » 初期マラルメの詩法

マラルメの詩は難しい。それは日本人の読者にとってだけではなく、フランス人にとっても同じこと。なぜこんなに「難解(obscur)」なのだろう。

日本では本来の難解さに、別の問題が加わった。
マラルメ紹介の初期、東大教授だった鈴木信太郎が中心的な役割を果たした。彼の訳文は難しい漢字のオンパレードで、普通の読者には理解不可能なものだった。
その上、マラルメの詩が、言語の根底を問い直す哲学的な側面を持っているため、逆に読者は「難解さ」に安住する傾向が出来上がってしまった。わからなくて当たり前という風潮。分からないものをありがたがるインテリの読者。。。

その一方で、音楽性は顧みられず、マラルメの詩を声に出して読むことは冒瀆と考えられる時代があったという。詩の音楽性が重要であることは、マラルメ自身が強く主張している。音声軽視は、日本のマラルメ受容にとって大変に不幸なことだった。

初期のマラルメが自らの詩法を展開した「蒼穹(L’Azur)」を読み、彼が詩をどのように捉えていたのか見ていくことにしよう。

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途轍もなく美しい詩句 マラルメ「乾杯」 Mallarmé « Salut »

ステファン・マラルメは非常に難解な詩を書く詩人。
しかし、その詩句は非常に美しい。乾杯(« Salut »)もその一つ。

パーティーの最初にシャンパンで乾杯をすることがある。
その時、グラスに目をやると、シャンパンの細かな泡がびちびちと跳ねていたりする。その状況を思い描き、最初の4行の詩句を読んでみよう。

Rien, cette écume, vierge vers
À ne désigner que la coupe ;
Telle loin se noie une troupe
De sirènes mainte à l’envers.

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