1849年から51年にかけて中近東を周遊したフロベールは、帰国後すぐに『ボヴァリー夫人』に取りかかり、56年に執筆が終わるまでのほぼ全ての時を小説の完成に費やした。

その時期はフランスにおけるリアリズム芸術の勃興と重なっており、絵画においては、ギュスターブ・クールベが、当時主流だった新古典主義絵画やロマン主義絵画と異なる絵画の描き方を開拓しようとしていた。

フロベールも新しい時代の芸術を模索はしていたが、しかし、リアリズムの芸術観に共感を持つことはなかった。
彼が目指したのは「美」であり、最も心を砕いたのは、小説のテーマとして日常的な素材を取り上げ、ごく普通の人々の凡庸な会話を書きながら、どのようにして「美」として成立させるかということだった。
そのために、フロベールは一文字一文字の選択に時間をかけ、書き終わった原稿に何度も手を入れ、小説全体が詩に匹敵するような完璧な構造物になるように努めた。
『ボヴァリー夫人』はその最初の果実だった。