ランボー 花について詩人に伝えること Arthur Rimbaud Ce qu’on dit au poète à propos de fleurs 1/5 ロマン主義を浣腸する

「花について詩人に伝えること(Ce qu’on dit au poète à propos de fleurs)」は、ランボーが新しい時代の詩はどのようにあるべきかを語った、詩についての詩。

第1詩節は、ロマン主義を代表するラマルティーヌの「湖(Le Lac)」のパロディー。
しかも、ランボーらしく、読者を憤慨させるか、あるいは大喜びさせるような仕掛けが施されている。

Ainsi, toujours, vers l’azur noir
Où tremble la mer des topazes,
Fonctionneront dans ton soir
Les Lys, ces clystères d’extases !

意味を考える前に、「湖」の冒頭を思い出しておこう。

Ainsi, toujours poussés vers de nouveaux rivages,
Dans la nuit éternelle emportés sans retour,
Ne pourrons-nous jamais sur l’océan des âges
Jeter l’ancre un seul jour ?

こんな風に、いつでも、新たな岸辺に押し流され、
永遠の夜の中に運ばれ、戻ることができない。
私たちは、決して、年月という大海に、
錨を降ろすことはできないのか。たった一日でも。
https://bohemegalante.com/2019/03/18/lamartine-le-lac/

「こんな風に、いつでも(Ainsi, toujours)」と始まれば、当時の読者であれば誰もがラマルティーヌのパロディーであると分かったはずである。
ランボーはその後もロマン主義的な語彙を重ねるが、最後は音による言葉遊びをし、とんでもないイメージで詩節を終える。

こんな風に、いつでも、黒い紺碧の方へ、
そこではトパーズの海が震えている。
その方向に向かい、夜の間に機能するのは、
「百合の花」。恍惚感を吐き出させる浣腸。

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フロベール 『ボヴァリー夫人』 Flaubert Madame Bovary エンマとロマン主義

 『ボヴァリー夫人(Madame Bovary)』は1852年から1856年まで書き継がれたが、この時期は、ロマン主義から写実主義、象徴主義、モデルニテへと向かう転換期にあった。

 そうした芸術観の転換を象徴的に表すのが、1857年の『ボヴァリー夫人』と『悪の華(Les Fleurs du mal)』の裁判。フロベールの小説とボードレールの韻文詩集が、公衆道徳に反するという理由で裁判にかけられ、詩集の方は有罪になった。

 興味深いことに、二人の作家は、出発点では19世紀前半に主流だったロマン主義に深く傾倒していた。その後、ロマン主義を内部から解体することで、新しい芸術観を創造していった。

ボードレールに関しては、美術批評「1846年のサロン」の中で、「ロマン主義とは何か?」という問いかけを行い、そこからモデルニテのコンセプトとなる概念を発展させた。
https://bohemegalante.com/2020/08/29/baudelaire-heroisme-de-la-vie-moderne-salon-1846/

フロベールは、『ボヴァリー夫人』の中で、エンマの少女時代がロマン主義一色だったことを示し、その中に皮肉な視線を溶け込ませる。そのことによって、ロマン主義文学の概略を素描し、その上でほころびを作り出し、エンマの運命がロマン主義の行き着く先と重なり合う前兆とする。

注意しておきたいのは、フロベールの小説家としての姿勢。
彼は、語り手として物語の中に介入し、登場人物の心の中や様々な状況を説明することをほとんどしない。ただ淡々と出来事を物語っていく。
出来事の意味を読み取るのは読者の役割なのだ。
ただし、時に、こっそりと彼の視点を示し、読者の読み方に対して指針を示すことがある。

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サン=テグジュペリ 『星の王子さま』  Antoine de Saint-Exupéry Le Petit Prince 天空の城ラピュタ 君をのせて

小さな王子さまは、一年間地球で過ごした後、毒蛇に噛まれて自分の星に戻っていく。
その直前、パイロットに一つのメッセージを伝える。
アプリボワゼが終わり二人の間に絆が出来上がった後であれば、別れた後でも世界で唯一の存在(unique au monde)であることに変わりはない。それだけではなく、他のものにまで愛情が及ぶ。そうした教えをニコニコと笑いながら告げる。

その王子さまの言葉からインスピレーションを受けて、宮崎駿監督は「天空の城ラピュタ」のエンディングで歌われる「君を乗せて」の歌詞を作詞したと言われている。

王子さまはパイロットにどんなことを告げ、「天空の城ラピュタ」はその言葉から何を私たちに伝えているのだろう。

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サン=テグジュペリ 『星の王子さま』 冒頭の一節 Antoine de Saint-Exupéry Le Petit Prince 20世紀のロマン主義

『星の王子さま(Le Petit Prince)』(1943)は、世界中で人気があり、誰もが一度は題名を耳にし、作者であるアントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ(1900-1944)自身が描いた可愛らしい男の子の絵を見たことがあるだろう。

日本でも高い人気を誇り、1953年の内藤濯(あろう)訳以来、20種類以上の翻訳が出版されてきた。

ところが、実際に読んだ人たちの感想は、二つに分かれるようである。
一方では、感激して、絶賛する人々がいる。反対に、最後まで読んだけれど訳が分からないとか、途中で投げ出した、という読者もいる。
そうした極端に分かれる感想の違いは、どこから来るのだろう。

『星の王子さま』の中心的なテーマは、「心じゃないと、よく見えない。本質的なものは、目に見えないんだ。(L’on ne voit bien qu’avec le cœur. L’essentiel est invisible pour les yeux)」という表現によって代表されると考えられている。
この考えが、ロマン主義的だということを確かめ、ロマン主義的な思考に基づいて冒頭の一節を読んで見よう。

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ヴィクトル・ユゴー 「パン」 Victor Hugo « Pan » フランス・ロマン主義の神 2/2

Isis allaitant Harpocrate

パン(Pan)の語源となるギリシア語は、「全て」を意味する。
そのパンが、キリスト教の神(Dieu)の行為を最初に明かす。
そこには、キリスト教と古代ギリシアの神々を崇める異教とを融合する諸教混合主義(syncrétisme)を見てとることができる。

C’est Dieu qui remplit tout. Le monde, c’est son temple ;
Œuvre vivante, où tout l’écoute et le contemple.
Tout lui parle et le chante. Il est seul, il est un.
Dans sa création tout est joie et sourire.
L’étoile qui regarde et la fleur qui respire,
Tout est flamme ou parfum !

神が全てを満たした。世界は神の神殿。
生命を持つ作品。そこでは、全てが神の声を聞き、姿を見つめる。
全てが神に話しかけ、神を歌う。神は一人、神は唯一の存在。
神の創造において、全ては喜びであり、微笑み。
見つめる星、息づく花、
全ては炎、あるいは香り!

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ロマン主義絵画 メランコリーの美

19世紀前半の絵画の中には、ロマン主義的な雰囲気を持つ魅力的な作品が数多くある。
日本ではあまり知られていない画家たちの作品を、少し駆け足で見ていこう。

最初は、アンヌ=ルイ・ジロデ=トリオゾンの「エンデュミオン 月の効果」(1791)。
最初にルーブル美術館を訪れた時、まったく知らなかったこの絵画を見て、しばらく前に立ちつくしたことをよく覚えている。

Anne-Louis Girodet-Trioson, Endymion ou effet de lune
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ヴィクトル・ユゴー 「若い時の古いシャンソン」 Victor Hugo « Vieille chanson du jeune temps » 初恋の想い出と恋する自然 ロマン主義から離れて

1802年に生まれ、1885年に死んだヴィクトル・ユゴーは、19世紀の大半を生き、『ノートルダム・ド・パリ』や『レ・ミゼラブル』といった小説だけではなく、数多くの芝居や詩を書き、フランスの国民的作家・詩人と考えられている。

「若い時の古いシャンソン(Vieille chanson du jeune temps)」は、1856年に出版された『瞑想詩集』に収められ、1820年代に始まったフランス・ロマン主義に基づきながら、その終焉を告げ、新しい時代の感性を示している。

また、その詩の中では自然が恋愛と関連して重要な役割を果たしているが、その感性は、日本的な自然に対する感性とはかなり違っている。自然を巡る二つの感性を知る上でも、「若い時の古いシャンソン」は興味深い詩である。

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フロベール『ボヴァリー夫人』 レアリスムを超えて

フロベールの『ボヴァリー夫人』は、レアリスム小説の傑作と言われる。しかし、その素晴らしさはなかなか理解されないらしく、フランスの高校の先生たちも教えるのに苦労しているらしい。
あらすじだけ追えば、平凡な夫に愛想を尽かした妻が、不倫と浪費の末に、自殺する話。しかも、描写が長く、話がなかなか進まない。なぜこれが傑作なのだろうと思う人も多いだろう。

そこで、アウエルバッハの『ミメーシス』の一節を参考にしながら、レアリスムとは何か、『ボヴァリー夫人』はその中でどのような特色があり、素晴らしさはどこにあるのか、探っていくことにする。

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ニュー・シネマ・パラダイスとロマン主義的抒情

本当に久しぶりに、「ニュー・シネマ・パラダイス」を見た。日本での公開は1989年だから、ざっと30年ぶりくらい。懐かしいと同時に、やはりいい映画だと思う。音楽はいつ聴いても、心を震わせてくれる。

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ネルヴァルの名刺(表面) 「エル・デスディチャド(不幸者)」  Gérard de Nerval « El Desdichado »

ジェラール・ド・ネルヴァルの「エル・デスディチャド(不幸者)」と題されたソネットを最初に公にしたのは、アレクサンドル・デュマだった。
彼は、1853年12月10日付けの「銃士」という新聞の中で、ネルヴァルに関してかなり茶化した紹介文を書いた。

数ヶ月前から精神病院に入っている詩人は、魅力的で立派な男だが、仕事が忙しくなると、想像力が活発に働き過ぎ、理性を追い出してしまう。麻薬を飲んでワープした人たちと同じように、頭の中が夢と幻覚で一杯になり、アラビアンナイトのような空想的で荒唐無稽な物語を語り出す。そして、物語の主人公たちと次々に一体化し、ある時は自分を狂人だと思い、別の時には幻想的な国の案内人だと思い込んだりする。メランコリーがミューズとなり、心を引き裂く詩を綴ることもある。

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