ヴィクトル・ユゴー オランピオの悲しみ Victor Hugo Tristesse d’Olympio ロマン主義の詩を味わう 4/5

第19-20詩節では、かつて愛し合った思い出の地に別の恋人たちがやって来て、彼らの思い出は別の思い出に上書きされてしまうことに対する悲しみが表現される。

« Oui, / d’autres à leur tour // viendront, couples sans tache,
Puiser dans cet asile // heureux, calme, enchanté,
Tout ce que la nature // à l’amour qui se cache
Mêle de rêverie // et de solennité !

« D’autres auront nos champs, // nos sentiers, nos retraites ;
Ton bois, ma bien-aimée, // est à des inconnus.
D’autres femmes viendront, // baigneuses indiscrètes,
Troubler le flot sacré // qu’ont touché tes pieds nus !

(朗読は6分6秒から)

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ヴィクトル・ユゴー オランピオの悲しみ Victor Hugo Tristesse d’Olympio ロマン主義の詩を味わう 3/5

独白は、これまでの状況をオランピオ自身の言葉で語り直すところから始まる。当然、そこでは、「私(je)」が主語になる。

— « O douleur ! / j’ai voulu, // moi dont l’âme est troublée,
Savoir / si l’urne encor // conservait la liqueur,
Et voir ce qu’avait fait //cette heureuse vallée
De tout ce que j’avais // laissé / là de mon coeur !

「ああ、苦しい! 私は望んだ、魂の掻き乱されている私は、
知ることを望んだ、あの瓶がまだ水を保っているかどうか、
見ることを望んだ、あの幸福だった谷間が、
どのようしたのか、私がかつて残した私の心にかかわる全てのものを。

(朗読は2分50秒から)

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ヴィクトル・ユゴー オランピオの悲しみ Victor Hugo Tristesse d’Olympio ロマン主義の詩を味わう 2/5

第3詩節は単純過去の動詞(il voulut)から始まり、オランピオが次の行為を行うことが示される。
そして、その際にも、ユゴーの思想の中で大きな意味を持つ言葉が使われる。
その言葉とは、「全て(tout)」。
ユゴーの世界観の中では、超自然の存在も、人間も、動物や植物、鉱物も含め、「全て」が一つの自然を形成している。

Il voulut tout revoir, // l’étang près de la source,
La masure /où l’aumône // avait vidé leur bourse,
Le vieux frêne plié,
Les retraites d’amour // au fond des bois perdues,
L’arbre / où dans les baisers // leurs âmes confondues
Avaient tout oublié !

(朗読は55秒から)

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ヴィクトル・ユゴー オランピオの悲しみ Victor Hugo Tristesse d’Olympio ロマン主義の詩を味わう 1/5

1840年に発表されたヴィクトル・ユゴー(Victor Hugo)の詩集『光線と日陰(Les Rayons et les Ombres)』に収められた「オランピアの悲しみ(Tristesse d’Olympia)」は、ユゴーの数多い詩の中でも代表作の一つと見なされてきた。

その詩の中でユゴーは、恋愛、自然、時間の経過、思い出、憂鬱といったテーマを、彼の超絶的な詩法に基づいて織り上げられた詩句を通して美しく歌い上げる。

前半は、六行詩が8詩節続き、オランピオ(詩人=ユゴー)と自然との交感が描写される。
後半では、四行詩が30詩節からなる、オランピオの独白が綴られる。

全部で168行に及ぶ長い詩だが、1820年に発表されたラマルティーヌ(Lamartine)の「湖(Le Lac)」とこの詩を読むことで、フランスロマン主義の抒情詩がどのようなものなのか理解できるはずである。
https://bohemegalante.com/2019/03/18/lamartine-le-lac/

まず、第1詩節を読んでみよう。

Tristesse d’Olympio

Les champs n’étaient point noirs, / les cieux n’étaient pas mornes.
Non, le jour rayonnait / dans un azur sans bornes
Sur la terre étendu,/
L’air était plein d’encens / et les prés de verdures
Quand il revit ces lieux / où par tant de blessures
Son coeur s’est répandu !

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ヴィクトル・ユゴー 『レ・ミゼラブル』 ー ロマン主義的創造主 3/3

ヴィクトル・ユゴーの創作活動は、プラトニスム的二元論における現実と理想の対比に基づき、闇の中で様々な葛藤を繰り返しながら、無限の彼方にある不可視の光源への愛に導かれて進むという原理が、通奏低音として響いている。
1831年に出版された『ノートルダム・ド・パリ』でも、1862年の『レ・ミゼラブル』でも、その点では共通している。

他方、二つの小説には大きな違いもある。
1831年の小説の中心はノートルダム寺院そのものであるとも言え、巨大な「個」に焦点が当たっている。
それに対して、『レ・ミゼラブル』では、ジャン・ヴァルジャンは多数の「悲惨な生活を送る人々=レ・ミゼラブルたち」の一人であり、焦点は個人ではなく、人間の集合=民衆=人類に向けられる。

その違いは、物語の展開する時代が、一方は中世の最後(1482年)、他方は19世紀の現代史、という違いを生み出すことにも繋がる。

『ノートルダム・ド・パリ』の描くのは「石の建造物」から「紙の書物」への移行期であり、カジモドの遺骨が粉々に崩れ落ちるのは、ノートルダム大聖堂という「個体」が崩れ落ちることを暗示する。「個」の時代の終わり。

そのように考えると、『レ・ミゼラブル』が1815年のワーテルローの戦いから始まる意味が見えてくる。ワーテルローは、ナポレオンという強大な「個」が失脚する決定的な事件である。
物語の終わりには、1830年の7月革命の2年後に勃発した1832年の民衆蜂起が設定される。
その時、たとえ反乱は鎮圧されたとしても、ジャン・ヴァルジャンは、暗いパリの下水を通り抜け、コゼットの恋人マリウスを救う。そのことは、一人の英雄の時代はすでに終わりを告げ、「惨めな生活を送る人々(レ・ミゼラブル)」の時代が到来したことを示している。

ところで、ユゴーは物語を脱線し、ワーテルローの戦いやパリの下水道の記述を延々と繰り広げる、と言われることがしばしばある。そこは退屈な箇所であり、我慢して読むか、読み飛ばすしかないと考える読者も数多くいる。

しかし、ユゴーと同時代の読者にとって、『レ・ミゼラブル』の問題点はそこではなかった。現代に読者にとっても、19世紀の大作家がナポレオンの最後の戦いをどのように捉え、パリの地下を蜘蛛の巣のように走る下水道網をどのように描いたのかを知るのは、それ自体で興味深い話題である。

『レ・ミゼラブル』は出版当時、一般の読者には大評判になり、本も飛ぶように売れた。反対に、評論家たちの評価はあまりよくなかった。その理由を考えて行くと、19世紀後半の芸術観の主流が、世紀前半の芸術観とは異なったものになりつつあり、ユゴーの小説が時代の最先端とは違う方向を向いていたことがわかってくる。

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ヴィクトル・ユゴー 『ノートルダム・ド・パリ』  ー  ロマン主義的創造主 2/3

Notre-Dame 1842

ヴィクトル・ユゴーが1831年に出版した『ノートルダム・ド・パリ』について語る時、忘れてはいけない一つの事実がある。それは、ユゴーの小説がノートルダム寺院の復興のために果たした役割。

フランス革命の間に破壊や略奪にあった大聖堂は、ワインの貯蔵庫として使われたことさえあり、19世紀の初めにおいても荒れ果てたままの状態にあった。
1804年、ナポレオンの戴冠式のため、外観が石灰で白く塗られたり、破壊の跡を隠す装飾が多少施されたが、式典が終わった後で完全に取り壊すことも検討されたという。

そうした状態が続く中、ユゴーが小説の舞台として、もっと言えば小説の主人公として、ノートルダム寺院に脚光を当てた。
その小説が大変な人気を博したために、復興の気運が高まり、建築家ヴィオレ・ル・デュクを中心に、1845年から1863年にかけて復興工事が行われ、2019年4月の火災の前まで見られたような優美な姿を取り戻すことができた。
(ただし、ヴィオレ・ル・デュクは、中世の聖堂そのままの姿ではなく、19世紀から見た中世建築の要素を付け加えた。中央にそびえる塔がその象徴。)
従って、ノートルダム大聖堂が生命を取り戻したのは、『ノートルダム・ド・パリ』という小説のおかげだといえる。

小説が出版された直後の1832年、ジェラール・ド・ネルヴァルは「ノートルダム・ド・パリ」と題した詩の中で、次のように綴った。

地球上の全ての国の人々が
この厳めしい廃墟を見るためにやってくるだろう
夢見がちに、ユゴーの本を読み返しながら。

2024年のパリ・オリンピックに間に合うことを目指して、急ピッチで復旧工事が行われている現実は、ネルヴァルの予言が実現したことを示している。ただし、廃墟ではなく、壮麗な姿を取り戻すであろう大聖堂を、人々は賞賛するだろう。

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ヴィクトル・ユゴー ロマン主義的創造主 1/3 対立するものの共存と光への渇望

19世紀を代表する文学者、あるいはフランス文学を代表する作家は誰か? その問いをフランス人に投げかけると、多くの人は「ヴィクトル・ユゴー」と答えるだろう。

ヴィクトル・ユゴーは1802年に生まれ、1885年に死を迎えるまで、19世紀のほぼ全ての時代を生き抜いた。
しかも、20歳の頃にロマン主義運動の先頭に立って以来、詩、演劇、小説、評論、旅行記、日記、さらに絵画や政治に至るまで、多角的な活動を続けた。
83歳で死亡した時には国葬が行われ、凱旋門からパンテオンに続く沿道には200万の人々が詰めかけるほどの人気を博した。

21世紀、彼の作品の中では、『レ・ミゼラブル』と『ノートルダム・ド・パリ』という二つの小説が演劇、ミュージカル、アニメーションなどで頻繁に取り上げられ、世界中で絶大な人気を博している。

日本では、明治35-36年(1902-1903)に、『レ・ミゼラブル』が『噫無情(ああむじょう)』という題名で翻案され、さらに銀の燭台のエピソードが教科書に取り上げられるなどして、ジャン・ヴァルジャンの名前とともに、ヴィクトル・ユゴーの名前が広く知られるようになった。

他方、フランスにおいては、現在でもユゴーは詩人としての認知度が高い。
実際、詩人としての天分に恵まれ、インスピレーションだけではなく、テクニックの面でも、圧倒的な力を発揮した。
フランスのロマン主義に関して、絵画におけるドラクロワの存在が、文学においてはヴィクトル・ユゴーにあたると言ってもいいだろう。

Victor Hugo Le Phare

そうしたユゴーの膨大な作品群を貫く一つの核を探り出すのは困難だが、ユゴー自身がカスケ諸島の灯台を描いた1枚の絵画が、彼の精神性を最も端的に象徴しているのではないか、と考えてみたい。

画面の中央には一本の長い階段が位置し、下から上へと伸びている。
灯台の下は暗い闇に包まれ、右手の海上にでは一艘の船が帆を傾け、今にも沈みそうな様子をしている。
上方には格子のはまった窓があり、その回りには雲が立ちこめている。その全体が暗いが、しかし、窓の回りは明るい光で照らされている。
階段自体も全体的には闇に包まれているが、しかし、中央の部分は明るく見え、窓から光が差し込んでいる様子が窺われる。

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ヴィクトル・ユゴー 「エクスターズ」 『東方詩集』 Victor Hugo « Extase »  Les Orientales 

1802年に生まれ1885年に83歳で死んだヴィクトル・ユゴーが、フランス・ロマン主義文学の中心であったことに異論の余地はない。
1820年代にはすでにロマン主義を先導する詩人、劇作家だった。
また、現在でもよく知られている『ノートル・ダム・ド・パリ』や『レ・ミゼラブル』の作者でもある。

そうしたユゴーの創作活動は、簡潔にまとめるにはあまりにも膨大であるが、ここでは1829年に出版された『東方詩集(Les Orientales)』に収録された「エクスターズ(Extase)」を読み、ユゴーの詩の本質がどこにあるのか考えみよう。

最初の出版物である『オード集(Odes et Poésies diverses)』(1822)の「序文(Préface)」には、次のような一節が見られる。

 Au reste, le domaine de la poésie est illimité. Sous le monde réel, il existe un monde idéal, qui se montre resplendissant à l’œil de ceux que des méditations graves ont accoutumés à voir dans les choses plus que les choses.

詩の領域は果てしない。現実世界の下には、理想の世界がある。その理想の世界は、大切なことをずっと瞑想し、事物の中に事物を超えたものが見えている人々の目には、光輝いた姿を現している。

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ヴィクトル・ユゴー 「パン」 Victor Hugo « Pan » フランス・ロマン主義の神 2/2

Isis allaitant Harpocrate

パン(Pan)の語源となるギリシア語は、「全て」を意味する。
そのパンが、キリスト教の神(Dieu)の行為を最初に明かす。
そこには、キリスト教と古代ギリシアの神々を崇める異教とを融合する諸教混合主義(syncrétisme)を見てとることができる。

C’est Dieu qui remplit tout. Le monde, c’est son temple ;
Œuvre vivante, où tout l’écoute et le contemple.
Tout lui parle et le chante. Il est seul, il est un.
Dans sa création tout est joie et sourire.
L’étoile qui regarde et la fleur qui respire,
Tout est flamme ou parfum !

神が全てを満たした。世界は神の神殿。
生命を持つ作品。そこでは、全てが神の声を聞き、姿を見つめる。
全てが神に話しかけ、神を歌う。神は一人、神は唯一の存在。
神の創造において、全ては喜びであり、微笑み。
見つめる星、息づく花、
全ては炎、あるいは香り!

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ヴィクトル・ユゴー 「パン」 Victor Hugo « Pan » フランス・ロマン主義の神 1/2

1831年に出版された『秋の葉(Les Feuilles d’automne)』に収められた「パン(Pan)」は、フランス・ロマン主義を主導するヴィクトル・ユゴーが、詩とは何か、詩人とはどのような存在か、高らかに歌い上げた詩。

1820年にラ・マルティーヌが「湖(Le Lac)」によって、ロマン主義の詩の一つの典型を示した。
https://bohemegalante.com/2019/03/18/lamartine-le-lac/
その約10年後、ユゴーが、古代ギリシアの神であるパンの口を通して、ロマン主義の詩を定義した。

パンは、元々は自然を表す神の一人であり、羊飼いと羊の群れの保護者。下半身はヤギ、上半身は人間、頭の上には角を突けた姿で描かれた。

パン(Pan)という言葉はギリシア後で「全て」を意味する。
そのためだと考えられるが、オルペウス教では、原初の卵から生まれた両性存在の神と同一視された。
さらに、ネオ・プラトニスムのメッカであるアレクサンドリアでは、宇宙全ての神と考えられるようになった。

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