女性の背中を描いた二枚の絵がある。


どちらがエドガー・ドガで、どちらがアンリ・トゥールーズ=ロートレックだとわかるだろうか?
ちょうど30歳の年齢の違いはあるが、二人の画家は、19世紀後半にあって、印象派と象徴主義という二つの大きな絵画の流れの中で、独自の世界を構築した。
彼らは、室内の人工的な光の下で、女性たちの肉体の動きを描き出すことによって、人間の生の感情を表出することに成功した。
ここでは、二人の画家の世界に一歩だけ足を踏み入れてみよう。
女性の背中を描いた二枚の絵がある。
どちらがエドガー・ドガで、どちらがアンリ・トゥールーズ=ロートレックだとわかるだろうか?
ちょうど30歳の年齢の違いはあるが、二人の画家は、19世紀後半にあって、印象派と象徴主義という二つの大きな絵画の流れの中で、独自の世界を構築した。
彼らは、室内の人工的な光の下で、女性たちの肉体の動きを描き出すことによって、人間の生の感情を表出することに成功した。
ここでは、二人の画家の世界に一歩だけ足を踏み入れてみよう。
1874年の第一回印象派展に展示された2枚の絵画がある。
フランス絵画に興味を持つ人であれば、一方がルノワール、もう一方がドガであることがすぐに分かるだろう。
この2枚、同じようなところもあり、違うところもある。それらを探ることは、19世紀後半の絵画についてよりよく知るきっかけになる。
続きを読む印象派の絵画に描かれた風景は、実際に画家が見た光景を写生したものなのだろうか?
https://bohemegalante.com/2019/02/11/impressionisme-ukiyoe/8/
クロード・モネが太鼓橋のある睡蓮の池を描いた時、彼は目に見える光景をそのまま描くことを目的にしたのだろうか?
ゴッホが画家としての活動をしたのは、1881年から1890年の間の、僅か10年弱。
しかも、1886年にパリにやってきてから、アルル、サン・レミ、オヴェール・シュール・オワーズと、彼のパレットの上に明るい色彩が乗っていた期間は、4年あまり。
フランス詩の世界で言えばアルチュール・ランボーに比較できるほど、短い期間に流星のように流れ去っていった。
そして、ランボーと同じように、生前にはまったく評価されなかった。
しかし、ゴッホの死後、比較的早く、彼の絵画を評価する動きが始まり、現在では、世界で最もよく知られ、人気のある画家の一人になっている。
彼の死を境に、何が起こったのか、当時の美術界の状況を含めて見ていこう。
ゴッホは、1886年2月末にパリに突然姿を現し、1888年2月になると、南フランスのアルルへと去っていく。この約2年間のパリ滞在中、彼は何を習得したのだろうか。
アルルに到着後、彼はパリにいる弟のテオへの手紙で、こんな風にパリ滞在を振り返る。
パリで学んだことを忘れつつある。印象派を知る前に、田舎で考えていた色々な考えが、また返ってきた。だから、ぼくの描き方を見て、印象派の画家たちが非難するかもしれないけれど、ぼくは驚かない。
ゴッホの意識では、アルルでの仕事はオランダ時代に続くものであり、パリでの2年間は空白の時だったらしい。
しかし、ゴッホの絵は明らかに大きな変化を見せている。彼の絵画は、印象派の影響を受け、オランダ時代の暗いものから、色彩のオーケストレーションといえるほど、明るさを増している。
ここでは、パリ滞在の2年に限定し、ゴッホの絵画を辿ってみよう。
続きを読む印象派の画家たちの中でも、ベルト・モリゾ(1841−1895)の描く絵画は、穏やかで、優しい。
すすり泣きを取り去ったヴェルレーヌの詩の世界という印象がする。
「夏の日」(1879)を前にして、私たちは暑苦しさをまったく感じない。それどころか、夏の日差しでさえも、柔らかく、心地良い。
1841年に生まれ、1895年になくなったベルト・モリゾが画家として社会で受け入れられる道は、それほどたやすいものではなかっただろう。意志の強さは人一倍だっただろう。
しかし、彼女の表情に頑なさはなく、世界を見つめる澄み切った目が印象に残る。
エドワード・マネは彼女を数多く描いている。その中の一枚「すみれの花束をつけたベルト・モリゾ」。
彼女の絵画の世界は、この肖像画のように、落ち着きがあり、穏やかな美に満ちている。
物に固有の色はない。
印象派の目は、物に光が当たる波長で色彩感覚が変化することを見抜いた。
印象派の画家達の目は光を捉え、彼等の筆は光を描いた。
ルノワールの「ぶらんこ」の中心は、ぶらんこに乗る少女や彼を取り巻く3人の人物ではなく、彼等の服や地面一面に当たる光の形に他ならない。
その光によって、物の色彩も変化する。例えば、後ろを向いた男性の服はブルーと思われるが、光が当たる部分は白に近い。
私たちは物の色を概念的に見ている。例えば、この服はブルー、というように。しかし、実際には、光によって色が変わる。
ルノワールの絵画は、画家の目に見えるままを描いているのだ。
こうした印象派的な目を持つと、世界はこんな風に見えてくる。
続きを読むモネとルノワールが一つの場面を描いたことで有名なラ・グルヌイエール。
ラ・グルヌイエール美術館には、残念ながら本物はないが、本物を思わせる見事な複製画が並べられている。
RERのA線で、パリから約15分程度の所にあるシャトゥ・クロワシ(Chatou-Croissy)下車。
ラ・グルヌイエール美術館までは、徒歩で10分くらい。
http://www.grenouillere-museum.com/grenouillere/
印象派の絵画が好きな人なら、ルノワールの「船遊びをする人々の昼食」を見た覚えがあるだろう。
この絵の舞台となったレストランが、メゾン・フルネーズ。今でも営業している。
https://www.tripadvisor.jp/Restaurant_Review-g666520-d858570-Reviews-Maison_Fournaise-Chatou_Yvelines_Ile_de_France.html
『言葉なきロマンス』に「ベルギーの風景」という章があり、その最初に置かれているのが「ヴァルクール」。
1872年、ヴェルレーヌはマチルドとの新婚生活を捨て、ランボーと共にベルギーに向かう汽車に乗り込んだ。
ブリュッセルに着く前に、彼等はヴァルクールという町を通りかかる。その時、詩人は幸福感に満ちあふれていたのだろう。
「ヴァルクール」には、いつもの物憂い悲しみなど、どこにも感じられない。屈託がなく、浮き浮きとした心が、そのまま表現されている。
その感情の動きが、印象派の絵画の手法と同調するかのように、小さなタッチで、素早く描かれている。
続きを読む