ジャン・ジャック・ルソーの宗教感情

現代では教育の書として知られる『エミール』が1762年に出版された時、神学者や教会から告発され、著者であるジャン・ジャック・ルソーに逮捕状まで出されたという事実は、私たちからすると不思議に感じられる。
そして、事件を引き起こした原因が、第4編に含まれる「サヴォワ地方の助任司祭の信仰告白」の中で主張された「宗教感情」だったことを知ると、その感情がどのようなものなのか知りたくなるのも当然だろう。

そこで実際に『エミール』を手に取ってみるのだが、ルソーの思想はかなり込み入っていて、それほど容易に宗教感情の核心を捉えることはできない。感覚、理性、知性、自然、神などといった言葉が絡み合い、自然宗教、理神論などといった用語も、理解をそれほど助けてくれない。

その一方で、ある程度理解できてくると、ルソーの神に向かう姿勢が、日本の宗教感情とかなり近いことがわかり、親近感が湧いてくる。
そこで、論理的な展開は後に回し、彼の宗教感情がすぐに理解できる一節をまず最初に読んでみよう。

その一節は、「サヴォワ地方の助任司祭の信仰告白」ではなく、『告白』の第12の書の中にある。
ルソーは人々から孤立し、スイスのサン・ピエール島に滞在していた。

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モンテスキュー 『ペルシア人の手紙』 新しい時代精神の確立

モンテスキューは1689年に生まれ、1755年に死んだ。
その時代には、1715年のルイ14世の死という大きな出来事があった。
大王の死後、オルレアン公フィリップの執政時代(1715-1723)、次いでルイ15世が1723年に国王としての実権を握るといった政治の動きがあった。

それと同時に、時代精神も大きな転換期を迎えていた。
ルネサンスから17世紀前半にかけて成立した合理主義精神が主流となり、神の秩序ではなく、人間の秩序(物理的な現実、人間の感覚や経験)に対する信頼が高まっていた。

そうした時代の精神性は、18世紀前半に生まれたロココ美術を通して感じ取ることができる。
そこで表現されるのは、微妙で繊細な細部の表現であり、見る者の「感覚」に直接訴えてくる。17世紀の古典主義芸術の壮大さ、崇高な高揚感に代わり、ロココ芸術では、軽快で感覚的な魅力に満ちている。
非常に単純な言い方をすれば、神を崇めるための美ではなく、現実に生きる人間が幸福を感じる美を追求したともいえる。

モンテスキューは、17世紀の古典主義的時代精神から啓蒙の世紀と呼ばれる18世紀の時代精神へと移行する過程の中で、新しい時代精神の確立を体現した哲学者・思想家である。

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ネルヴァルの美学 Esthétique de Gérard de Nerval 4/6 幻滅からポエジーへ

ネルヴァルは現実に直面すると、しばしば幻滅を感じる。子供時代から温めてきた夢が、現実を知ることで粉々になってしまうと言う。
それにもかかわらず、彼は常に現実に起こる出来事に興味を持ち、ヨーロッパだけではなく、地中海の向こう側の国々へも旅行をした。
そして、現地で見聞きしたことをもとにして紀行文を書いた。
実際、1840年代のネルヴァルの執筆活動の中心は劇評と旅行記だった。

なぜ幻滅をもたらす現実にあえて直面し、夢の世界を壊してしまうのか?

ネルヴァルは、というか、彼が生きたロマン主義の時代は、基本的にプラトニスム的思考を基盤としていた。
現実世界では、全てのものが時間の流れと共に消滅してしまう。
その儚さに対して、永遠に続く存在を求めるのがロマン主義的心情。
永遠の存在を、プラトンのイデアのように天上に置くこともあれば、心の中に置くことも、異国に置くことも、過去に置くこともあった。狂気や麻薬によって引き起こされる錯乱にさえ、現実と対立する(一瞬の)永遠を求めた。

そうした中で、ネルヴァルの戦略は、現実への失望感を大きくすればするほど、現実に属しないもの、彼が好んだ言葉を使えば、「超自然主義(surnaturalisme)」、「宗教感情(sentiment religieux)」が魅力を増すというものだった。

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