ラ・フォンテーヌ 「狼と犬」 La Fontaine « Le Loup et le Chien » 自由からありのまま(naturel)へ

イソップ寓話の「狼と犬」は日本でも比較的よく知られている。
犬は、束縛されてはいるが、安逸な生活を送る。
狼は、自由だが、いつも飢えている。
そして、イソップ寓話では、狼が体現する自由に価値が置かれる。

17世紀のフランスのサロンや宮廷は、「外見の文化」の時代。
貴族たちは、社会の規範に自分を合わせないといけないという、強い束縛の中で生きていた。服装や振る舞いが決められ、逸脱したら社会から脱落することになる。
そうした束縛が支配する場で、「狼と犬」の寓話を語るとしたら、どんな話になるだろうか。

言葉遣いの名手ラ・フォンテーヌの「狼と犬」では、教訓は付けられていず、「狼は今でも走っている。」という結末。
そこで、読者は、自分で教訓を考える(penser)ように促されることになる。

束縛ではなく自由を選ぶと言うことはたやすい。
しかし、実際に自由に生きることは簡単ではない。そのことは、ルイ14世の宮廷社会に生きる貴族たちも、21世紀の日本を生きる私たちも、よくわかっている。

ラ・フォンテーヌの寓話は、最初から決まった結論に読者を導くよりも、「考える(penser)」ことを促す。その意味では、デカルトやパスカルと同じ17世紀フランスの「考える」文化に属している。

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ラ・フォンテーヌ 「樫と葦」 La Fontaine « Le Chêne et le Roseau » 自信と知恵

ラ・フォンテーヌの寓話の中でも、「樫と葦(Le Chêne et le Roseau)」は最高傑作の一つと言われている。
樫は、その姿通り、堂々とした話し方をし、自信に満ちあふれている。
それに対して、葦は、柔軟な考え方を、慎ましやかだけれど、少し皮肉を込めた話し方で表現する。


ラ・フォンテーヌと同じ17世紀の思想家パスカルは、「人間は葦である。自然の中で最も弱い存在だ。しかし、考える葦である。(L’homme n’est qu’un roseau, le plus faible de la nature; mais c’est un roseau pensant.)」と言った。
自分の弱さを知ることが人間の偉大さだと、パスカルは考えたのである。

では、ラ・フォンテーヌは、葦を主人公にしたイソップ寓話を語り直しながら、何を伝えているのだろうか。

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ラ・フォンテーヌ 「セミとアリ」 La Cigale et la Fourmi 『寓話集』への招待 Invitation aux Fables de la Fontaine

17世紀後半の作家ラ・フォンテーヌは、イソップの寓話をルイ14世が支配する宮廷社会の時代精神に合わせて書き直した。

1668年に出版された彼の『寓話集』は、六つの書に分けられ、それぞれの巻の最初には寓話というジャンルを説明する話が配置されている。
その中でも、「セミとアリ」は、「第一の書」の冒頭に置かれ、『寓話集』全体の扉としての役割を果たしている。

「セミとアリ」は、日本では「アリとキリギリス」という題名で知られている。
夏の間、キリギリスは歌を歌い、働かない。冬になり、夏働いていたアリに食べ物を分けてくれるように頼むが、もらうことができず死んでしまう。
このような話を通して、勤勉に働くことや将来を見通すことの大切さ等が、教訓として読み取られる。

ラ・フォンテーヌは、その物語の骨格に基づきながら、自分風に変えていく。

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