ボードレールの美学 想像力と現前性

シャルル・ボードレール曰く、
「美は常に奇妙なもの」。Le Beau est toujours bizarre.
「美は常に人を驚かせるもの」。Le Beau est toujours étonnant.

奇矯なものというのは、1855年の万国博覧会での美術展の批評での表現。
驚かせるというのは、1859年のサロンの美術批評の中で使われた言葉。

こうした美意識を持ったボードレールの美学とは、どのようなものなのだろうか?

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ランボー 「酔いどれ船」 Rimbaud « Le Bateau ivre » その7(最終) 未来の活力

「酔いどれ船」の最後の4つの詩節の中で、「ぼく=酔いどれ船」は、長い航海をもう一度振り返り、最後に、「もうできない」と諦めの声を上げる。
その声をどのように受け止めたらいいのだろうか?

ノーベル賞作家であるル・クレジオと、文学ジャーナリストのオーギュスタン・トラップナーが、この4節を交互に暗唱している映像がある。
二人の様子を見ていると、詩句を口にする喜びが直に伝わってくる。
C’est quelque chose.

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ランボー 「アマランサスの花の列」 Rimbaud « Plates-bandes d’amarantes… » 疾走する想像力と言葉の錬金術

1872年、ランボーはヴェルレーヌと二人、パリから逃れてベルギーに向かう。その旅の間に二人が見た物、感じたことは、ベルギーを対象にした二人の詩の中に定着されている。

ランボーの「アマランサスの花の列」(Plates-bandes d’amarantes…)は、そうした詩の中の一つ。
その詩には、大通りの様子らしいものが描かれているのだが、ランボーの詩の言葉は、現実から飛び立ち、疾走する。

詩としての出来栄えに関しては、それほど高く評価できるものではないかもしれない。しかし、ランボーの詩的想像力の動きを理解するためには、最適の詩だといえる。

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