ボードレール 想像力の美学 1859年のサロン Baudelaire Salon de 1859 De l’imagination

ボードレールの「1859年のサロン」は、想像力を中心に据えた絵画論。
その中で、「1846年のサロン」で提示した絵画論(自然を素材として、画家の内部の超自然(surnaturel)なイメージに基づいた創造物を制作する)という、最も基本的な概念を変更することはない。

しかし、今回は、「想像力(imagination)」を人間の「諸能力の女王(la reine des facultés)」と定義し、想像力との関係から、描かれる対象、画家、画法、作品の関係を考察する。
そして、創造の目的が、最終的に、新しい世界(un monde nouveau)、新しさの感覚(sensation du neuf)を生み出すことであるとする。

1846年の芸術論は、ロマン主義とは何かとい問いかけに対するボードレールなりの回答であった。それに対して、1859年の芸術論は、現代性(モデルニテ)と呼ばれる新しい芸術観の出発点となっている。

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ヴォルテール 想像力の二つの側面 Voltaire imagination passive et imagination active

啓蒙の世紀(siècle des Lumières)と呼ばれる18世紀において、理性の光で無知を照らす道具の一つが、ディドロが中心となって編集された『百科全書(l’Encyclopoédie)』だった。
その中で、想像力(imagination)の項目を担当したのが、ヴォルテール(Voltaire, 1694-1778)。

17世紀にデカルトやパスカルによって誤謬の源とされた想像力に関して、ヴォルテールは二つの側面を区別する。一つは、受動的想像力。もう一つは、能動的想像力。

Il y a deux sortes d’imagination : l’une, qui consiste à retenir une simple impression des objets ; l’autre, qui arrange ces images reçues et les combine en mille manières. La première a été appelée imagination passive ; la seconde, active. 

二種類の想像力がある。一つは、対象に関する単純な印象を留めるもの。他方は、受け取った映像をアレンジし、様々な風に結び付ける。最初のものは、受動的想像力と呼ばれ、二つ目は能動的想像力と呼ばれた。

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ラ・フォンテーヌ 影のために獲物を逃す犬 La Fontaine « Le Chien qui lâche sa proie pour l’ombre » 想像力について

17世紀のフランスにおいて、想像力(imagination)は、人を欺く悪いものだと考えられていた。
例えば、ブレーズ・パスカルは『パンセ(Pensées)』の中で、「人間の中にあり、人を欺く部分。間違いと偽りを生み出す。(C’est cette partie décevante dans l’homme, cette maîtresse d’erreur et de fausseté […]. B82)」とまで書いている。

ラ・フォンテーヌは、わかりやすい寓話の形で、その理由を教えてくれる。
その寓話とは「影のために獲物を逃す犬(Le Chien qui lâche sa proie pour l’ombre)」。
獲物(proie)が実体(être)、影(ombre)が実体の映像=イメージ(image)と考えると、イメージを作り出す力である想像力(imagination)が、人を実体から遠ざけるものと考えられていた理由を理解できる。

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パスカル 考える葦 Pascal Roseau pensant その2 

「人間は考える葦である。」や「クレオパトラの鼻がもっと低かったら、世界の歴史も変わっていたであろう。」という言葉を通して、日本でもよく知られているブレーズ・パスカル。
彼の考えたことを少しでも理解したいと思い、『パンセ(Pensées)』を読んでも、なかなか難しい。

『パンセ』が、キリスト教信仰のために書かれたものだというのが、大きな理由かもしれない。
神のいない人間の悲惨(Misère de l’homme sans Dieu)
神と共にいる人間の至福(Félicité de l’homme avec Dieu)
そう言われても、キリスト教の信者でなければ、実感はわかないだろう。

想像力(imagination)や好奇心(curiosité)は人を過ちに導くという考えは、現代の価値観とは違っている。

パスカルと同じ17世紀の思想家デカルトと、「考える(penser)」ことに価値を置く点では共通している。
https://bohemegalante.com/2020/05/15/pascal-pensees-roseau-pensant/
しかし、パスカルには、デカルトの考え方は許せないらしい。デカルトは役に立たず(inutile)、不確かだ(incertain)と断定する。(B. 78)
その理由は、理性(raison)について価値判断の違いから来ているようだ。

こうしたことを頭に置きながら、パスカルの書き残した断片を読んでみよう。

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ボードレールの美学 想像力と現前性

ボードレールは、伝統的な美(ミロのビーナス、モナリザ等)を乗り越え、新しい美について、次のような言葉で提案した。

「美は常に奇妙なもの。(Le Beau est toujours bizarre.)」

「美は常に人を驚かせるもの(Le Beau est toujours étonnant.)」

奇妙なものは人を驚かせる。しかし、そうしたものは美の基準からは外れるし、しばしば醜いもの、悪いものと見なされる。
それにもかかわらず、ボードレールは、人を驚かせるためには、今まできれいだと思われていなかったもの、つまり、醜いと思われるものを美の対象とした。

では、どのようにして、醜いものを、美しいものに変えるのか? 

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ランボー 「酔いどれ船」 Rimbaud « Le Bateau ivre » 7/7 未来の活力

「酔いどれ船」の最後の4つの詩節の中で、「ぼく=酔いどれ船」は、長い航海をもう一度振り返り、最後に、「もうできない」と諦めの声を上げる。
その声をどのように受け止めたらいいのだろうか?

ノーベル賞作家であるル・クレジオと、文学ジャーナリストのオーギュスタン・トラップナーが、この4節を交互に暗唱している映像がある。
二人の様子を見ていると、詩句を口にする喜びが直に伝わってくる。
C’est quelque chose.

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ランボー 「アマランサスの花の列」 Rimbaud « Plates-bandes d’amarantes… » 疾走する想像力と言葉の錬金術

1872年、ランボーはヴェルレーヌと二人、パリから逃れてベルギーに向かう。その旅の間に二人が見た物、感じたことは、ベルギーを対象にした二人の詩の中に定着されている。

ランボーの「アマランサスの花の列」(Plates-bandes d’amarantes…)は、そうした詩の中の一つ。
その詩には、大通りの様子らしいものが描かれているのだが、ランボーの詩の言葉は、現実から飛び立ち、疾走する。

詩としての出来栄えに関しては、それほど高く評価できるものではないかもしれない。しかし、ランボーの詩的想像力の動きを理解するためには、最適の詩だといえる。

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