
『おくのほそ道』は、1689年の春から秋にかけて芭蕉が行った長い旅に基づく紀行文の形式で書かれているが、執筆には時間を要し、1694年に芭蕉がこの世を去るまで書き継がれ、出版されたのは1702年になってからだった。
なぜそんな時間をかけたかといえば、事実に忠実な旅の記録を書き残すのではなく、芭蕉が俳諧の本質だと考えた不易流行」の概念を具体的な形で表現することを意図したからに違いない。
実際、『おくのほそ道』は江戸の深川から出発して、前半では、日光、松島を経て平泉に達する太平洋側の旅が語られ、後半では、出羽三山を通過し、日本海側を下り、最後は岐阜の大垣にまで至る、大きく分けて二つの部分から成り立つ。つまり、単に旅程をたどるのではなく、はっきりとした意図の下で構成されているのだ。
その旅の前に置かれた「序」は、『おくのほそ道』の意図を格調高い文章によって宣言している。
最初に旅とは何かが記され、次に「予(よ)=(私)」に言及することで芭蕉自身に視線を向け、旅立ちに際しての姿が描き出されていく。
ここで注意したいことは、芭蕉は俳人だが、俳句だけではなく、旅を語る散文もまた、俳諧の精神に貫かれていること。
「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。」という最初の一文を読むだけで、俳文の美が直に感じられる。
ここではまず朗読を聞くことで、芭蕉の文章の音楽性を感じることから始めよう。(朗読は16秒から1分33秒まで)