芭蕉 『おくのほそ道』 不易流行の旅 その2 「序」の関(せき)

『おくのほそ道』は、1689年の春から秋にかけて芭蕉が行った長い旅に基づく紀行文の形式で書かれているが、執筆には時間を要し、1694年に芭蕉がこの世を去るまで書き継がれ、出版されたのは1702年になってからだった。

なぜそんな時間をかけたかといえば、事実に忠実な旅の記録を書き残すのではなく、芭蕉が俳諧の本質だと考えた不易流行」の概念を具体的な形で表現することを意図したからに違いない。

実際、『おくのほそ道』は江戸の深川から出発して、前半では、日光、松島を経て平泉に達する太平洋側の旅が語られ、後半では、出羽三山を通過し、日本海側を下り、最後は岐阜の大垣にまで至る、大きく分けて二つの部分から成り立つ。つまり、単に旅程をたどるのではなく、はっきりとした意図の下で構成されているのだ。

その旅の前に置かれた「序」は、『おくのほそ道』の意図を格調高い文章によって宣言している。
最初に旅とは何かが記され、次に「予(よ)=(私)」に言及することで芭蕉自身に視線を向け、旅立ちに際しての姿が描き出されていく。

ここで注意したいことは、芭蕉は俳人だが、俳句だけではなく、旅を語る散文もまた、俳諧の精神に貫かれていること。
「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。」という最初の一文を読むだけで、俳文の美が直に感じられる。

ここではまず朗読を聞くことで、芭蕉の文章の音楽性を感じることから始めよう。(朗読は16秒から1分33秒まで)

続きを読む

ボードレール アホウドリ Charles Baudelaire L’Albatros 詩人の肖像

1857年に出版された『悪の華(Les Fleurs du mal)』は、非道徳的な詩篇を含むという理由で裁判にかけられ、有罪の判決を受ける。その結果、詩人は出版社とともに罰金を科され、かつ6編の詩の削除を命じられた。

ボードレールは第二版を準備するにあたり、単に断罪された詩を削除するだけではなく、新しい詩を付け加え、100編だった詩集を126編の詩集にまで増やし、1861年に出版した。
「アホウドリ(L’Albatros)」はその際に付け加えられた詩の一つである。

ただし、執筆時期については、もっとずっと早く、1841年にボードレールが義理の父親から強いられ、てインドのカルコタに向かう船旅をした時期ではないかという推測もある。
その旅の途中、あるいは、フランスに帰国した後、「アホウドリ」が書かれたという説は広く認められている。

他方、1859年に、もう一つの詩「旅(Le Voyage)」と一緒に印刷されために、その時代に書かれたという説もある。
『悪の華』第二版(1861)の中で、「アホウドリ」は冒頭の詩「祝福(Bénédiction)」に続き二番目の位置を占め、「旅」は詩集の最後に置かれている。
「旅」で歌われる「未知なるもの、新たなるもの」の探求へと向かう「詩人の肖像」が、アホウドリとして詩集の最初に描き出されているのである。

続きを読む

マラルメ 海の微風 Mallarmé « Brise marine » 無(Rien)の歌

Paul Cezanne, Le golfe de Marseille, vue de l’Estaque

「海の微風(Brise marine)」は、その題名だけで、すでにとても美しい。
4音節が、2(Bri/se)/2(Marin(e))に別れ、それぞれに [ ri ]の音が入り、バランスが取れていている。

第一詩句は、« La chair est triste, hélas ! et j’ai lu tous les livres. »
12音節が6音節・6音節と真ん中で句切れ、その中で、[ l ]と[ r ]、そして母音[ e ]が何度も反復され、心地よい音の流れが出来上がる。
そこに、[ t ]と[ i ]の音が、triste / tous … livresと反復され、海辺に爽やかな風が吹き寄せる効果を生み出している。

続きを読む

ボードレール 「旅への誘い」 散文詩 Baudelaire « L’invitation au voyage » en prose 2/2

Pieter Janssens Elinga, Interior with Painter, Woman Reading and Maid Sweeping

第6詩節では、室内の様子が絵画的に描きだされる。
ワルツへの招待に倣って言えば、絵画への招待。

 Sur des panneaux luisants, ou sur des cuirs dorés et d’une richesse sombre, vivent discrètement des peintures béates, calmes et profondes, comme les âmes des artistes qui les créèrent. (以下録音の続き)Les soleils couchants, qui colorent si richement la salle à manger ou le salon, sont tamisés par de belles étoffes ou par ces hautes fenêtres ouvragées que le plomb divise en nombreux compartiments. Les meubles sont vastes, curieux, bizarres, armés de serrures et de secrets comme des âmes raffinées. Les miroirs, les métaux, les étoffes, l’orfèvrerie et la faïence y jouent pour les yeux une symphonie muette et mystérieuse ; et de toutes choses, de tous les coins, des fissures des tiroirs et des plis des étoffes s’échappe un parfum singulier, un revenez-y de Sumatra, qui est comme l’âme de l’appartement.

続きを読む

ボードレール 「旅への誘い」 散文詩 Baudelaire « L’invitation au voyage » en prose 1/2

韻文詩「旅への誘い」を、ボードレールはなぜ散文で書き直したのだろうか?

伝統的な考えでは、詩とは韻文で書くものと決まっていた。
韻を踏み、一行の詩句の音節数詩句の音節数が一定であることが、詩と見做される条件だった。

そして、散文は、詩との関係で言うと、韻文を書く前に構想を書き留めるものくらいに考えられていた。

そうした伝統に対して、ボードレールは、韻文で書かれた詩とほぼ同じ内容を散文にし、その散文を詩として成立せようという大胆なチャレンジに挑んだ。
言い換えると、散文詩というジャンルを新たなジャンルを確立することが目標だといえる。

散文詩「旅への誘い」を通して、散文詩とはどのようなものなのか見ていこう。

続きを読む

ボードレール 「旅への誘い」 韻文詩 Baudelaire « L’invitation au voyage » en vers

「旅への誘い」は、フランス語で書かれた詩の中で、最も美しいものの一つ。
音楽性、絵画性が素晴らしく、女性に対する愛のささやきが、美に直結している。

その美は現代にも通じ、Louis Vuitton が、David Bowie を使い、L’Invitation au voyageというイメージ・ビデオを作ったことがあった。

ボードレールはこの詩を最初に韻文で書き、次に散文でも同じテーマを扱った。そのことは、詩とは韻文で書かれるものであるという、フランス詩の伝統への挑戦だった。
散文でも詩を書ける。つまり散文詩を文学のジャンルとして成立させる試みだった。

ここでは、韻文の「旅への誘い」をまず読んでみよう。

続きを読む

ボードレール 「旅」 Baudelaire « Le Voyage » 新しい詩への旅立ち 7/7

Odile Redon, l’Ange des Certitudes et un regard intérrogateur

「旅」の最後に、詩人は「出航しよう!」と呼びかける。つまり、彼はまだ旅立ってはいず、『悪の華』第二版(1861年)の読者である仲間たちを、新たな詩を発見する旅に誘うのである。

VIII

Ô Mort, vieux capitaine, il est temps ! levons l’ancre !
Ce pays nous ennuie, ô Mort ! Appareillons !
Si le ciel et la mer sont noirs comme de l’encre,
Nos cœurs que tu connais sont remplis de rayons !

おお、死よ、年老いた船長よ、時が来た! 錨を上げよう!
この国は退屈だ、おお死よ! 出港しよう!
空も海も真っ黒い、墨のように。
しかし、お前の知る私たちの心は、光に満たされている!

続きを読む

ボードレール 「旅」 Baudelaire « Le Voyage » 新しい詩への旅立ち 6/7

第7部では、旅立つことの意義が、再び問い直される。

VII

Amer savoir, celui qu’on tire du voyage !
Le monde, monotone et petit, aujourd’hui,
Hier, demain, toujours, nous fait voir notre image :
Une oasis d’horreur dans un désert d’ennui !

苦々しい知識が、旅から引き出される!
今日、世界は、単調で、小さい。
昨日も、明日も、常に、私たちに見せるのは、私たち自身の姿。
倦怠の砂漠の中の、ぞっとするオアシス!

Salvator Dali, Autoportrait au miroir avec Gala

旅から引き出される結論は、世界が単調で小さいということ。
その世界は、現在も、過去も、未来も変わることがなく、そして、それは旅人自身の姿の反映である。

そうした辛い事実を知ることは、自己イメージを嫌悪(horreur)と倦怠(ennui)で満たすことになる。苦々しい知識(amer savoir)。

それでも旅に出なければならないのか? あるいは留まるべきなのか?

続きを読む

ボードレール 「旅」 Baudelaire « Le Voyage » 新しい詩への旅立ち 5/7

第6部では、詩人の目から見た現実社会の悪が次々に列挙される。

VI
« Ô cerveaux enfantins !  
Pour ne pas oublier la chose capitale,
Nous avons vu partout, et sans l’avoir cherché,
Du haut jusques en bas de l’échelle fatale,
Le spectacle ennuyeux de l’immortel péché

                   おお、子どもたちの脳髄よ!
大切なことを忘れないようにしよう。
私たちは見た、至るところで、それを探さなかったのに、
運命の梯子の上段から下段まで通して、
不死の罪の退屈な光景を。

Albrecht Dürer, Adam et Eve (une partie)

不死の罪(l’immortel péché)とは、人類が罪を犯し続けていることを意味する。
その罪は、社会の上層から下層まで、至るところで犯されるものであり、探す必要もなく、目に飛び込んで来る。

そうした光景を詩人は退屈(ennuyeux)と形容する。
退屈(ennui)は、メランコリー(mélancolie)あるいはスプリーン(spleen)と言ってもいいだろう。
ボードレールの世界では、それらは美へと向かう出発点になる感情である。

ボードレールは、「美は常に奇妙である。」と主張したことを思いだそう。

続きを読む

ボードレール 「旅」 Baudelaire « Le Voyage » 新しい詩への旅立ち 4/7

第4部では、驚くべき旅行者たちが航海で見た光景が次々に語られていく。

IV
« Nous avons vu des astres
Et des flots ; nous avons vu des sables aussi ;
Et, malgré bien des chocs et d’imprévus désastres,
Nous nous sommes souvent ennuyés, comme ici.

                「私たちは見た、星を、
波を。私たちは見た、砂も。
数多くの衝突と予見できない災難に出会ったのに、
私たちは何度も退屈した。ここでと同じように。

現実は退屈だ。だから、幻影的な国や輝く楽園を目指して旅立つ。
従って、星や波や砂に出会う素晴らしい旅であり、予期しないアクシデントがある旅だとしても、退屈する。

Gustave Courbet, Le Bord de mer à Palavas ou L’Artiste devant la mer
続きを読む