ポール・クローデル 「日本の魂を一瞥する」  Paul Claudel « Un regard sur l’âme japonaise » 日本の2つの美について

ポール・クローデルは1921年から1927年まで日本にフランス大使として滞在し、日本の芸術、文学、文化について様々な考察を行った。
その中でも、1923年7月に日光で行った講演「日本の魂を一瞥する(Un regard sur l’âme japonaise)」は、日本文化についてとても興味深い内容を含んでいる。

この講演で語られた日本の2つの美については、すでにこのブログで扱ったことがある。
クローデルと日本の美 Paul Claudel et la beauté japonaise

今回は、同じ箇所について、もう少し別の視点からアプローチしてみたい。


日本の美に関して、最初に言及されるのは、華やかな美。クローデルは日光の生徒たちに次のように語り掛ける。

C’est ce sentiment de révérence pieuse, de communion avec l’ensemble des créatures dans une bienveillance attendrie, qui fait la vertu secrète de votre art. Il est frappant de voir combien dans l’appréciation des œuvres qu’il a produites, notre goût est resté longtemps loin du vôtre.

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日本の美 平安時代 その7 源氏物語絵巻

平安時代の美は、京都の貴族文化の中で熟成した、総合芸術として確立していった。その様子を最も見事に表現しているものの一つが、平安時代末期に作成された「源氏物語絵巻」である。

「源氏物語絵巻」は当時の宮廷社会の様子を『源氏物語』のエピソードに則り美しく描き出しながら、『古今和歌集』の仮名序で紀貫之が言葉にした「生きとし生けるもの」の「言の葉」が、平安的美意識の根源にあることを示している。
言い換えれば、人間は自然の中で動物や植物と同じように現実に密着して生き、四季の移り変わりに心を託して歌い、描き、生きる。そして、そこに美を感じる。

まず、「宿木 三」を復元された絵で見てみよう。

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日本の美 平安時代 その6 やまと絵

寝殿造りの住居の仕切りには、屏風や障子が使われたが、その上には絵が描かれていた。
9世紀半ばには、絵のテーマとして、日本的な風景を描いたものも現れ始める。それらは『古今和歌集』に載せられる和歌と対応し、屏風の絵の横に、和歌が美しい文字で描かれることもあった。

例えば、素性法師が竜田川を歌った和歌の前には、次のような詞書が置かれている。

二条の后の東宮の御息所と申しける時に、御屏風に竜田川に紅葉流れ
るかたをかけりけるを題にてよめる

もみぢ葉の 流れてとまる みなとには 
紅深き 波や立つらむ 

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日本の美 平安時代 その5 寝殿造りと庭園 

日本的感性は、超越性を求めず、現世的、日常世界的であり、四季の変化に敏感に反応する。
そうした感性が定式化され表現された一つの形が『古今和歌集』だとすると、その歌集に収められた和歌を詠った貴族たちが生活する住居や庭園は、もう一つの美の形だといえる。

平安時代後期に描かれた『源氏物語絵巻』の「鈴虫1」を、復元された絵で見てみよう。
上からの視線にもかかわらず室内が見え、庭には水が流れ、秋の野原の草花が描かれている。

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日本の美 平安時代 その4 時間意識

平安時代の時間意識に関して言えば、人間は自然の一部だという意識と並行関係にある。
人々は、仏教に帰依し、死後に極楽浄土に行くことを理想としたわけではない。
ヨーロッパにおいてのように、理想を永遠に求めることはしなかったということになる。
逆に、たとえこの世が煩悩や汚れに満ち、苦の娑婆だとしても、移り変わり儚い時間の中に美を見出した。

在原業平の歌には、そうした時間意識がよく現れている。

濡れつつぞ しひて折りつる 年のうちに 春はいくかも あらじと思へば

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日本の美 平安時代 その3 『古今和歌集』自然と人間

平安時代は総合芸術の時代だといえる。
貴族たちは、書院造りの住居に住み、内部に置かれた障子や屏風に描かれた絵画に囲まれて日々を過ごした。その絵画は、和歌を素材にして描かれるものもあれば、逆に絵画を題材とした和歌も作られた。
室内では、美しい装束を纏い、仮名による物語が語られ、歌合、絵合等の遊びが行われる等、耽美主義的な生活が繰り広げられた。

10世紀以降になると、大陸文化の和様式化が進み、京都という閉鎖された空間で、少数の貴族達が宮廷生活を送る中、新しい美の感受性が確立していったと考えられる。

そうした中で、905年に、後醍醐天皇の勅令により紀貫之たち編者が編集した『古今和歌集』は、大きな役割を果たした。
ここでは、和歌を通して見えてくる人間と自然の関係について考えてみよう。

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日本の美 平安時代 その2 大陸モデルの和様化

山水屏風、東寺、部分

日本の文化は、古墳時代から江戸末期まで、大陸文化の圧倒的な影響の下にあった。文藝にしても、建築、彫刻、絵画といった視覚表現にしても、モデルとなる理想像は常に大陸にあった。
それが変化したのは、明治維新以降、ヨーロッパのモデルが移入されてから。
それ以前は、6世紀半ばの仏教伝来から数えるだけでも、約1300年の間、日本の目指すべき高度な文化と見なされたものは、大陸文化だった。

そこで注目したいことは、大陸から移入された文化はほぼ完全に日本化され、日本文化の本質を形成する主要成分になっていることである。
ヨーロッパ文化が輸入されてからすでに150年以上経つが、日本文化に完全に溶け込んだとは言えず、舶来品の印がついていることが多い。(ただし、洋服や住居はかなり溶け込んでいるといえる。)

大陸文化が日本で受容され、日本文化の一部と見なされている例を幾つか見ていこう。

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日本の美 平安時代 その1 

現代の日本人が美しいと感じる美意識の原型は、平安時代に成立したのではないかと考えられる。

日本は、古墳時代からすでに中国大陸の影響下にあったが、6世紀(538年頃)に仏教が伝来して以来、圧倒的な大陸文化の影響下に入った。
奈良時代、法隆寺、薬師寺などの仏教建築、『古事記』『日本書紀』『万葉集』等の文字による文化的表現も、確かにある程度日本的な受容の形を示している。しかし、次の時代の美意識とは断絶があると考えられている。

平安時代、とりわけ9世紀末(894年)に遣唐使が廃止されて以降、大陸との交流が限定的となり、大陸文化の和様式化が大きく進展した。
そうした中で、現在の私たちがごく自然に感じる四季の移り変わりに対する繊細な感受性、もののあわれに美を感じる心持ち、穏やかで調和の取れた美の嗜好等が生み出されていった。
京都の貴族たちが、寝殿造りの建物の中で、『古今和歌集』『枕草子』『源氏物語』を楽しんだ時代。平等院鳳凰堂は地上に出現した浄土(極楽)ともみなされる。

こうした状況は、12世紀の終わりに源頼朝が鎌倉幕府を開いた時代に、次の段階を迎える。
平安時代の末期に始まった宋との貿易の再開、禅宗の定着等により、新しい時代の美意識が誕生し始める。象徴的に言えば、寝殿の自然を模した庭園が枯山水へと変化する。

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日本の伝統的絵画の画法

日本の美には、平安朝や元禄時代のような華やかな美と、室町時代に確立した質素な美がある。
https://bohemegalante.com/2019/08/30/paul-claudel-et-la-beaute-japonaise/

他方、絵画における表現法は、二つの美の表現でも共通している部分が多い。
そしてその特徴は、ヨーロッパ、とりわけルネサンス以降のヨーロッパの絵画とは対照的である。

狩野永徳、四季花鳥図屏風
能阿弥 花鳥図屏風
Charles-François Daubigny, Bords de l’Oise

では、日本の伝統的な絵画の特色は、どのようなものだろうか。

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クローデルと日本の美 Paul Claudel et la beauté japonaise

ポール・クローデルは、1923年、日光で、日本の学生達に向けた講演を行った。その記録が、「日本の魂を一瞥する(Un regard sur l’âme japonaise. Discours aux étudiants de Nikkô)」として、『朝日の中の黒い鳥(L’Oiseau noir dans la soleil levant)』に収められている。

彼の日本に対する観察眼は大変に優れたもので、日本人として教えられることが多い。その中でも、日本的な美として二つの流れを感じ取り、ヨーロッパ人にはわかりにくい美を具体的に解説している部分はとりわけ興味深い。

一つの流れは、浮世絵に代表されるもの。
もう一つは、高価な掛け軸としてクローデルが分析の対象としているもの。

喜多川 歌麿、納涼美人図
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