
1860年代、ステファン・マラルメはボードレールの影響の下で詩作を続けながら、エロディアード(Hérodiade)をめぐる詩「エロディアード 舞台」と、未完に終わった「序曲」の執筆を通して、自らの詩の本質について問い詰め、「無(le Néant)に出会い、美(le Beau)を見出した。」という一つの結論に至る。
この考え自体、理解するのが難しい。
そして、実際に出版にまで至った「エロディアード 舞台」の詩句を理解するのも、同じように難しい。
その一方で、詩句は音楽的で、非常に美しい。
次の時代にギュスターブ・モローによって描かれた、サロメが予言者ヨハネの首を指さす、あの「出現(Apparition)」のように美しい。(1876年作)


マラルメは、この詩を1864年10月に書き始め、『現代高踏派詩集』の第二版に掲載するために出版社に送られる1869年まで、続けられたのかもしれない。
その長い推敲と執筆の期間の間に、精神の危機と呼ばれる時期を迎え、苦労に苦労を重ねて、134行に及ぶ詩句を書き上げた。
執筆を開始した時期と終わった時期では、マラルメの思考にも変化もある。
だが、エロディアードと格闘することで、「マラルメはマラルメになった」とさえ言える作品であることは間違いない。
マラルメの詩は感性を動かし、読者を感動させるものではない。しかし、ただ知的で理論的な構築物でもない。
マラルメは、言語と自己の探求を通して、詩としての「美」を生み出そうとした。
「エロディアード 舞台」は、その詩的出来事の、一つの成果にほかならない。
第1回目では、詩を理解するための前提となる、マラルメの言語と自己に関する思索と詩作について考えていく。
続きを読む