プラトン 美を愛する者 L’Amoureux du Beau chez Platon 

プラトンは肉体を魂の牢獄と考えた。
魂は天上のイデア界にあり、誕生とは、魂が地上に落ちて肉体に閉じ込められることだとされる。
この魂と肉体の関係が、プラトンによる人間理解の基本になる。

それを前提とした上で、プラトンにおける美について考えてみよう。

天上の世界にいる時に美のイデアを見た魂があり、その記憶は誕生後も保持される。
地上において美しい人や物を目にすると、天上での記憶が「想起」され、それを強く欲する。
その際、感性によって捉えられる地上の美は、天上で見た美のイデアを呼び起こすためのきっかけとして働くことになる。

従って、プラトン的に考えると、ある人や物を見て美しいと感じるとしたら、それはすでに「美」とは何かを知っているからだ。逆に言えば、「美のイデア」を見たことがなければ、地上において美を求め、美を愛することはないということになる。

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徒然草とベルクソンの時間論 あはれの美と持続 beauté japonaise et durée bergsonienne  

『徒然草』の中で、兼好法師は、無常観に基づいた日本的美について何度か筆を走らせている。

世は定めなきこそいみじけれ。
命あるものを見るに、人ばかり久しきはなし。かげろふの夕べを待ち、夏の蝉の春秋はるあきを知らぬもあるぞかし。(第7段)

折節の移り変るこそ、ものごとにあはれなれ。(第19段)

花は盛りに、月はくまなきをのみ、見るものかは。雨に対ひて月を恋ひ、垂れこめて春の行衛ゆくへ知らぬも、なほ、あはれに情け深し。(第137段)

移りゆくもの、儚く消え去るもの、春の桜、暮れゆく秋などに、日本的感性は美を見出す。
そうした感性は、永遠に続く理想の美を追究するヨーロッパ的な美意識とは対極を成している。
なぜ日本的美意識は、これほどまでに儚く淡いものに強く反応するのだろうか。別の視点から言えば、消え去ることに本当に価値を置いているのだろうか。

アンリ・ベルクソンが提示した「持続(durée)」という時間意識は、その問いに答えるためのヒントを与えてくれる。

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古典的な美 調和と善と美 プラトン「ゴルギアス」

プラトンの「ゴルギアス —弁論術について—」の一節は、秩序や調和(ハーモニー)が古典的美学の中で、なぜ善きものとなり、美と見なされるのか、私たちにわかりやすく教えてくれる。

「ゴルギアス」は、副題の「弁論術について」が示すように、人間を善に導く弁論術と、そうではない弁論術についてソクラテスが論じるのだが、その中で、他の様々な技術を例に引いて説明している。

その中で、ソクラテスは、調和(harmonie)、秩序(ordre)、形(forme)が、有益さや優れた性能、善きもの(bien)を生み出すことを、簡潔に、しかし説得力を持って論じていく。

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ボードレール 現代生活の英雄性 1846年のサロン 永遠の美から時代の美へ

『1846年のサロン』の最終章「現代生活の英雄性(L’Héroïsme de la vie moderne)」で、ボードレールは、彼の考える美を定義した。

伝統的な美学では、美とは唯一で絶対的な理想と考えられてきた。例えば、ヴェルヴェデーレのアポロン、ミロのビーナス。

理想の美は、いつの時代に、どの場所で、誰が見ようと、常に美しいと見なされた。

それに対して、19世紀前半のロマ主義の時代になり、スタンダールやヴィクトル・ユゴーが、それぞれの時代には、その時代に相応しい美があると主張した。
ボードレールも、美は相対的なものであるという考え方に基づき、自分たちの生きる時代の美とは何か、彼なりの結論を出す。
その例として挙げるのは、ポール・ガヴァルニやウージェーヌ・ラミ。

ボードレールは、こうした美のあり方を、「現代生活の英雄性」と名付けた。

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ランボー 言葉の錬金術 Rimbaud Alchimie du verbe 『地獄の季節』の詩法 5/5

「永遠が見つかった!」と韻文詩の中で叫んだ後の散文詩は、日常的な言語感覚では意味不明なものにますます傾いていく。
構文は単純であり、初級文法さえ知っていれば理解可能な文が続く。
理解を妨げるのは、単語と単語の繋がり。

例えば、冒頭の「ぼくは空想的なオペラになった。」という一文。
人間がオペラになる? 
空想的な(fabuleux)オペラとは何か? 
ランボーはその答えを導くヒントをどこにも残していない。
読者は、自分の持つ知識と感性に従って、何らかの思いを抱き、次の文に進むしかない。
しかし、前の文と次の文の意味的な連関もよくわからない。

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ラシーヌ 『フェードル』 Racine Phèdre 理性と情念の間で 3/3

イポリットは、フェードルの言葉を誤解したふりをして、その場を立ち去ろうとする。

      HIPPOLYTE.

Madame, pardonnez : // j’avoue, en rougissant,
Que j’accusais à tort // un discours innocent.
Ma honte ne peut plus // soutenir votre vue ;
Et je vais…/

      イポリット

奥様、申し訳ございません。告白いたします、赤面しながら。
私は、間違えて、罪のないお言葉を非難してしまいました。
恥ずかしく、もう、あなた様の眼差しを耐えることができません。
私はこれから・・・。

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ロマン主義絵画 メランコリーの美

19世紀前半の絵画の中には、ロマン主義的な雰囲気を持つ魅力的な作品が数多くある。
日本ではあまり知られていない画家たちの作品を、少し駆け足で見ていこう。

最初は、アンヌ=ルイ・ジロデ=トリオゾンの「エンデュミオン 月の効果」(1791)。
最初にルーブル美術館を訪れた時、まったく知らなかったこの絵画を見て、しばらく前に立ちつくしたことをよく覚えている。

Anne-Louis Girodet-Trioson, Endymion ou effet de lune
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マラルメ 「エロディアード 舞台」 Mallarmé « Hérodiade Scène » 言語と自己の美的探求 7/7

エロディアードの32行に及ぶセリフの後、彼女と乳母のやりとりが2度繰り返され、「エロディアード 舞台」は幕を閉じる。

ただし、二人の対話と言っても、乳母の発話は極端に短く、最初は「あなた様は、死んでおしまいになるのですか」、2度目は、「今?」のみ。

実質的には、エロディアードがほぼ全ての言葉を独占し、マラルメの考える美のあり方が示されていく。

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マラルメ 「エロディアード 舞台」 Mallarmé « Hérodiade Scène » 言語と自己の美的探求 6/7

Jean-Jacques Henner, Hérodiade

「エロディアード 舞台」の第86行目から117行目までの32行の詩句は、エロディアードが自己のあり方を4つの視点から規定する言葉から成り立っている。
まず、彼女が花開く庭から出発し、黄金、宝石、金属に言及されることで、個としてのエロディアードの前提となる、普遍的な美が示される。
次いで、乳母から見える彼女の姿。
3番目に、彼女自身が望む彼女の姿。
最後に、「私を見る私」という構図の種明かしがなされる。

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マラルメ 「エロディアード 舞台」 Mallarmé « Hérodiade Scène » 言語と自己の美的探求 5/7

Jean Raoux, Femme à sa toilette

エロディアードが乳母に「私、きれい(Suis-je belle ?)」と問いかける言葉で、「エロディアード」という詩のテーマが明確にされた。
マラルメが詩の効果として追求するものは、「美」なのだ。

では、姫の問いかけに、乳母は何と応えるのだろう。

              N.

                              Un astre, en vérité :
Mais cette tresse tombe…

         N. (乳母)

                     星のように、本当に。
でも、この御髪が落ちかかっていらっしゃいます。

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