ポール・ヴァレリー 若きパルク Paul Valéry « La Jeune Parque » 4~37行 私を咬む蛇

「Qui pleure là ?」(誰が泣いているの?)で始まる「若きパルク(La Jeune Parque)」は、冒頭の3行の詩句がオペラの前奏曲のような役割を果たし、自己が自己に問いかける自己意識のドラマの開始を告げる。
(参照:ポール・ヴァレリー 若きパルク 冒頭の3行 音楽と思想

その後、ヴァレリー自身の言葉によれば、連続する心理的な変転の数々(une suite de substitutions psychologiques)を通して、一つの意識が一晩の間に辿る変化(le changement d’une conscience pendant la durée d’une nuit.)を、512行の詩句によって描き出していく。

そうした中で、第4行目から第37行目までの断片は、オペラで言えば、第1場第1楽章ともいえる場面。
最初に話題になるのは、涙。
涙をぬぐおうとする手の動きや心の内が明かされる。(第4行~第8行)

Cette main, sur mes traits qu’elle rêve effleurer,
Distraitement docile à quelque fin profonde,
Attend de ma faiblesse une larme qui fonde,
Et que de mes destins lentement divisé,
Le plus pur en silence éclaire un cœur brisé.

続きを読む

ポール・ヴァレリー 若きパルク Paul Valéry « La Jeune Parque » 冒頭の3行 音楽と思想

ポール・ヴァレリー(Paul Valéry)の「若きパルク(La jeune Parque)」は、512行に及ぶ長い詩。執筆期間は4年に渡り、その間に書かれた下書きは600ページにのぼるという。
内容的にもかなり理解が難しく、全てを読み通すためにはかなりの労力と根気と忍耐を要する。

その一方で、この詩が発表された当時から音楽性が高く評価され、ヴァレリー自身、18世紀の作曲家グルックやワグナーのオペラを念頭に置いていたことが知られている。
実際、「知性」のメカニスムとか「自己意識」のドラマといった哲学的な思索が、フランス語の詩句の奏でる美しい調べに乗せて運ばれている。

ここで冒頭の3行の詩句を取り上げるにあたり、まず最初に、詩句の音楽性を感じてみよう。

La jeune Parque

Qui pleure là, sinon le vent simple, à cette heure
Seule, avec diamants extrêmes ?.. Mais qui pleure,
Si proche de moi-même au moment de pleurer ?

若きパルク

誰がそこで泣いているの、ただの風でないのなら、こんな時間に、
1人で、極限のダイヤモンドと一緒に?・・・ でも、誰が泣いているの、
私自身のこんな近くで、泣いているこの時に?

以下のyoutubeビデオで、この3行の朗読を聴くと、フランス語の詩句の美を感じことができる。

続きを読む