ランボー 「永遠」 Rimbaud « Éternité »

誰もが望みながら、どうやっても到達できない永遠。ランボーはその永遠を容易に見つけてしまう。
彼はいとも簡単に言う。「永遠がまた見つかった!」と。

1872年、彼はヴェルレーヌと一緒にあちこち放浪していた。
そして、腹が減ったとか(「飢餓のコメディ」)、我慢しよう(「忍耐祭り」)といった気持ちを、歌うようにして詩にした。

「永遠」もそうした詩の一つ。
その後、『地獄の季節』(1873)の中で、「言葉の錬金術」によって生み出された詩として歌われることになる。

Elle est retrouvée !
Quoi ? l’éternité.
C’est la mer mêlée
   Au soleil.

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ランボー 「酔いどれ船」 Rimbaud « Le Bateau ivre » その3 見者のヴィジョン

第6−7詩節において、「ぼく=酔いどれ船」は「海という詩」を航海していることが明かされた。そこで示されたのは、新しいポエジーの定義。錯乱とリズムを中心に、青を基調として赤茶色が配色された。

第8詩節から第10詩節になると、「見る」という言葉を中心に、「ぼく=酔いどれ船」が航海する間に見たと思われるものが描かれる。

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ランボー 「アマランサスの花の列」 Rimbaud « Plates-bandes d’amarantes… » 疾走する想像力と言葉の錬金術

1872年、ランボーはヴェルレーヌと二人、パリから逃れてベルギーに向かう。その旅の間に二人が見た物、感じたことは、ベルギーを対象にした二人の詩の中に定着されている。

ランボーの「アマランサスの花の列」(Plates-bandes d’amarantes…)は、そうした詩の中の一つ。
その詩には、大通りの様子らしいものが描かれているのだが、ランボーの詩の言葉は、現実から飛び立ち、疾走する。

詩としての出来栄えに関しては、それほど高く評価できるものではないかもしれない。しかし、ランボーの詩的想像力の動きを理解するためには、最適の詩だといえる。

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ランボー「母音」 Rimbaud, « Voyelles » ボードレールを超えて  Au-delà de Baudelaire

「母音」« Voyelles»はランボーの詩の中でも傑作とされ、多くの読者を引きつけてきた。しかし、何度読んでも難しい。なぜこんなに難解な詩が高く評価されるのだろうか。

その魅力を知るためには、ランボーが目指したものを知り、一つ一つの詩句をじっくりと読んでみるしかない。

その試みに挑んだら、ソネを構成する14行の詩句の解説に、12,000字程度費やすことになってしまった。長い長い解説。。。

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