ルイーズ・ラベ 「私は生き、私は死ぬ」  Louise Labé « Je vis, je meurs » 愛(アムール)とは何か?

Louise Labé

ルイーズ・ラベは、16世紀半ばにリヨンで活動し、ルネサンス期のフランスを代表する詩人の一人。

彼女の代表的な詩「私は生き、私は死ぬ(Je vis, je meurs)」は、イタリアの詩人ペトラルカに由来するソネットの詩型を用い、愛(Amour)とは何かを歌っている。

2つの四行詩(カトラン)では、私(je)を主語にして、私がある矛盾した感情や感覚に捉えられることが語られる。

Angelo Bronzino, Allégorie du triomphe de Vénus

3行詩(テルセ)に移ると、私を捉えていたものが愛(Amour)であることが最初に示される。
そこでは、主体は愛になり、私は愛という行為が働きかける対象(me)であることが示される。

そのようにして、14行のソネット全体を通して、愛とは何かという謎解きが行われていく。

続きを読む

ジョアシャン・デュ・ベレー 「一生が一日よりも短いならば」 Joachim du Bellay « Si notre vie est moins qu’une journée » プラトニック・ラブの神話

ジョアシャン・デュ・ベレー(Joachim du Bellay)は、プレイアッド派の中心的なメンバーの一人。
イタリアの詩人ペトラルカが用いたソネット形式と、プラトン哲学に基づく愛の概念をフランスに導入することに、大きな役割を果たした。

ソネット(sonnet)は、2つの四行詩(Quatrain)と2つの三行詩(Tercet)の、14行からなる詩の形式。
韻に関しても、最初の8行はabba abba、次の6行は、cde cde、cdc cdc、cdc dcdなど、基本的な形が決められていた。

ペトラルカは、ソネット形式を用いて、ラウラと呼ばれる女性に捧げた恋愛抒情詩を書き、イタリアだけではなく、16世紀フランスの詩人たちに圧倒的な影響を与えた。

恋愛を歌うことは、人間的な自然な感情の表現であると思われるかもしれない。しかし、古代の文藝を再評価したルネサンスの時代には、哲学者プラトンから出発した愛の神話 — プラトニック・ラブ — を歌うことでもあった。

続きを読む

フランソワ・ラブレー François Rabelais 『パンタグルエル物語』と『ガルガンチュア物語』教育論と理想世界

フランソワ・ラブレーは16世紀前半を代表する作家というよりも、フランス文学全体を通して最も重要な作家の一人。
残念ながら、16世紀のフランス語は現代のフランス語とかなり違っていて、容易に読むことができない。従って、ラブレーのフランス語のテクストをそのまま読み、解読してしていくことは難しい。

ここでは、ラブレーの教育論と理想世界について、核になる言葉を取り上げて、概要を見ていくことにする。
ポイントになるのは、二つの言葉。
« science sans conscience n’est que ruine de l’âme. »
« Fais ce que voudras.»

続きを読む

モンテーニュ 子供の教育について Montaigne De l’Institution des enfants 判断力を養う

モンテーニュ(Montaigne)は『エセー(Essais)』の中で、「子供の教育について(De l’Institution des enfants)」という章を設け、教育の目的が、「判断力(jugement)」を養うことであると述べる。
子供に悪いものを見せないのではなく、いいものと悪いものを前にした時、いいものを選択する判断ができる能力を養うこと。

教師は、子供を導く者(conducteur)であり、「一杯につまった頭より、よく出来た頭(plutôt la tête bien faite que bien pleine)」の人間である必要がある。
では、よく出来た頭とは、どんな頭なのか?
モンテーニュの語る「蜜蜂の比喩」はその回答を教えてくれる。

続きを読む

モンテーニュ 「読者へ」 Michel de Montaigne Au lecteur 自己を語る試み

1580年、モンテーニュは、『エセー(Essais)』の最初に「読者へ(Au lecteur)」と題した前書きを付け、自分について語ることが16世紀にどのような意味を持っていたのか、私たちに垣間見させてくれる。

現在であれば、自己を語ることはごく当たり前であり、日本には私小説というジャンルさえある。
それに対して、モンテーニュは、自己を語ることの無意味さを強調する。
そして、彼が書いたことは彼自身のことなので、他人が読んでも時間の無駄だと、読者に向かって語り掛ける。

出だしから、読むなと言われれば、読者は当然読みたくなる。
次の時代のパスカルも、18世紀のルソーもモンテーニュの熱心な読者だし、現代のフランスでも読者の数は多い。

16世紀のフランス語は現在のフランス語とはかなり異なっているので、多少綴り字などを現代的にしたテクストで、「読者へ」を読んで見よう。

続きを読む

ロンサール 「愛しい人よ、さあ、バラを見に行こう」Ronsard « Mignonne, allons voir si la rose » 今をつかめ Carpe Diem

16世紀を代表する詩人ピエール・ド・ロンサールの詩「愛しい人よ、さあ、バラを見に行こう。」« Mignonne, allons voir si la rose »は、フランス詩の中で最も有名なものの一つ。

その恋愛詩のベースになるのは、「時間が過ぎ去り、戻ってこないこと」というテーマである。そして、過ぎゆく「今」という時を捉えよという、Carpe Diem(今をつかめ)の思想が美しく表現されている。

続きを読む