ベルナルダン・ド・サン・ピエール 自然の研究 Bernardin de Saint-Pierre Études de la nature メランコリーについて

ベルナルダン・ド・サン・ピエール(1737-1814)は青年時代を旅に費やし、軍人として、マルティニーク、マルタ島、ロシア、フィンランド、モーリシャス列島、など、様々な地域を訪れた。
1771年にフランスに戻ってからは、ジャン・ジャック・ルソーと親交を結び、自然や政治に関するルソーの思想を吸収。
1773年の『フランス島(モーリシャス列島)紀行』を始めとして、『自然の研究(Études de la nature)』(1784-1788)や、その第4巻に含まれる『ポールとヴィルジニー(Paul et Virginie)』(1788)等を出版し、作家としての評価を得た。

フランス革命の後、国立植物園の館長になり、アカデミー・フランセーズの一員として迎えられたりもする。しかし、彼の『自然の研究』は、科学的で客観的な自然の研究ではなく、自然の中で全ては調和が取れているという前提の下、自然と人間の感覚的感情的な交感や、神の存在などを問題にしている。

ここでは『自然の研究』第12巻に収められた「自然の精神的法則について」という章の一節を読み、自然が表現するメランコリー(憂鬱な気分)についての考察を見ていこう。

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ジャン・ジャック・ルソーの宗教感情

現代では教育の書として知られる『エミール』が1762年に出版された時、神学者や教会から告発され、著者であるジャン・ジャック・ルソーに逮捕状まで出されたという事実は、私たちからすると不思議に感じられる。
そして、事件を引き起こした原因が、第4編に含まれる「サヴォワ地方の助任司祭の信仰告白」の中で主張された「宗教感情」だったことを知ると、その感情がどのようなものなのか知りたくなるのも当然だろう。

そこで実際に『エミール』を手に取ってみるのだが、ルソーの思想はかなり込み入っていて、それほど容易に宗教感情の核心を捉えることはできない。感覚、理性、知性、自然、神などといった言葉が絡み合い、自然宗教、理神論などといった用語も、理解をそれほど助けてくれない。

その一方で、ある程度理解できてくると、ルソーの神に向かう姿勢が、日本の宗教感情とかなり近いことがわかり、親近感が湧いてくる。
そこで、論理的な展開は後に回し、彼の宗教感情がすぐに理解できる一節をまず最初に読んでみよう。

その一節は、「サヴォワ地方の助任司祭の信仰告白」ではなく、『告白』の第12の書の中にある。
ルソーは人々から孤立し、スイスのサン・ピエール島に滞在していた。

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ルソー 告白と夢想 永遠の現在を生きる

ジャン・ジャック・ルソー(1721-1778)の後半生は、自己の人生を回想する作品に費やされたといってもいいだろう。
死後に出版された『告白』(第1部、1782年、第2部、1789年)や『孤独な散歩者の夢想』(1782)は、思想書、小説、戯曲等の執筆状況を含め、私生活を隠すところなく語った自叙伝となっている。
そのために、ルソーの著作を解読しようとすると、読者は自然に彼の告白から理解を始めようとする傾向が生まれた。例えば、ディジョンのアカデミーに応募した論文、書簡体恋愛小説『新エロイーズ』、『エミール』などに関して、『告白』の関係箇所に目を通し、彼の思想や私生活に基づいた解釈をする。
そこで、ルソーは、自分の「伝記」を書くことによって、彼の著作の死後の読み方を指定したとさえ言うことができる。

ここで注目したいのは、人生を振り返り、それを語る作業は、「記憶」に基づいているということ。
普通に考えれば、思い出には確かなこともあれば、不確かなことも、間違っていることもある。しかし、ルソーはとりわけ「真実性」に力点を置く。

 私が試みることはこれまでに決して例がなく、今後も真似する人はいないだろう。私は、一人の人間を、自然の真実のままに仲間たちにお見せしたい。そのようにして描かれることになる人間とは、私である。(『告白』第1巻)

このように、彼の自画像には決して嘘偽りがなく、真実であることを強調する。そして、その試みは、これまでに誰もしたことがないし、これからも真似る人はいないであろう、唯一のものだとする。

アウグスチヌスの有名な『告白』とも、モンテーニュの『エセー』とも、歴史上に名前を残す人々の「回想録」とも違う。
そうした言葉は、自分の告白を価値付けるための宣伝文句という面も否定できない。しかし、実際にルソーは、その独自性を確信していたと思われる。
エピグラフ(銘句)として引用される古代ローマの詩人ペルシウスの句が、その確信の源泉を示している。

内面に、そして、肌の下に。 Intus, et in Cute.

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ルソー 『新エロイーズ』 記憶の作用と「感情」の高揚

1761年に出版されたジャン・ジャック・ルソーの『ジュリ、あるいは新エロイーズ』は、18世紀最大のベストセラーになり、18世紀後半の読者を熱狂させた。
美しいスイスの自然を背景として、主人公のサン・プルーとジュリという「美しい魂」たちを中心にした書簡のやり取りを通して表現される恋愛の喜びと苦しみは、当時の読者の感受性と共鳴し、人々がおぼろげに求めていた心情に明確な形を与えたのだった。

しかし、21世紀の読者にとって、それがフランスであろうと、日本であろうと、全体で163通からなり、6部に分かれ、時には何ページにも及ぶ手紙が含まれる長大な書簡体小説を、最初から最後まで読み通すことは難しい。

話題は恋愛だけではなく、社会制度、哲学思想、宗教、音楽等に及び、『百科全書』的な知識に対する興味がなければ、ルソーが何を目的に手紙の主たちにそのような話題を語らせているのか理解できないことも多い。

さらに、語り口がスローテンポで、18世紀の簡潔な文体とはかなり違っている。
ルソーは、その点について、表現が単調なことも、大げさすぎることもあり、言葉の間違いもあったりするので、パリの洗練された社交界で読まれるようなものではない。手紙の主たちは田舎に暮らす人々で、「小説じみた想像力の中で、彼らの頭が生み出した誠実ではあるが狂気じみた妄想を哲学だと思い込んでいる」のだと、あえて言い訳めいたことを書いている。

実際には、ルソーのフランス語は血が通い、生命の鼓動が感じられるような温かみを持っている。音楽的で、詩的散文といった印象を与える文も多い。
しかし、21世紀のフランス語ともかなり違っていて、現代フランスの若者にとっても馴染みが薄いもののようだ。

しかし、『新エロイーズ』には、読みにくいという理由で読まないでおくにはもったいない価値がある。
では、どうすればいいのか?

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ジャン・ジャック・ルソー 「内面」の時代へ 心の時代の幕開け

ジャン・ジャック・ルソーが後の時代に与えた影響は、18世紀の全ての思想家や作家と比べ、圧倒的に大きなものがある。

1712年生まれのルソーは、18世紀を代表する哲学者・文学者であるヴォルテール(1694-1778)よりも後の世代であり、『百科全書』の編集者ドゥニ・ディドロ(1713-1784)や感覚論の中心人物コンディヤック(1714-1780)と同世代に属する。

彼が生きたのは、デカルト的な「理性」を人間の中心に据え、観念から出発して真理を追究する観念論の時代から、生まれながらの観念は存在せず、人間は白紙状態(タブラ・ラサ)で生まれ、全ては「感覚」を通して得られる「経験」に由来すると考える経験論や感覚論が主流となる時代へと移行する時代だった。

ルソーはその流れを踏まえながら、新しい一歩を踏み出した。そして、その一歩が、19世紀のロマン主義の本質となっただけではなく、現代の私たちにまで影響を及ぼしている。

日本でも、サン・テグジュペリの『星の王子さま』の有名な言葉はよく知られている。
「心で見なくては、ものごとはよく見えない。大切なものは、目には見えない。」

目で見て、手で触れることができる物質世界こそが現実であり、科学的な実験によって確認される物理的な事実が正しいと見なす世界観が一方にはある。
しかし、それ以上に大切なものが、人間にはある。それは心の世界。人間にとって物よりも心の方が大切だと見なす方が人間的と見なす考え方もある。

「感覚」から「感情」へと進み、人間の価値を「内面」に置く世界観。その道筋を付けたのが、ジャン・ジャック・ルソーなのだ。

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ディドロ 百科全書的視線を通して見る18世紀フランスの絵画 シャルダンとグルーズ

ドゥニ・ディドロは、「百科全書」を「知識の連鎖」と定義し、「地球上にばらまかれた知識を集積し、それらの全体的な体系を開示することが目的」であるとしている。
そうした百科全書の精神は、絵画を見る彼の目を通しても読み取ることができる。

1765年のサロン評の続編として執筆された「絵画に関するエセー」(公にされたのは1795年)は、素描、色彩、明暗法、表現、構成等について総合的に論じたものだが、物質主義的、経験論的な視点に基づき、現実に体験する「自然」を観念的な理想の美の上位に位置づける絵画論を展開している。

自然は何も不正確なものを創造しない。あらゆる形態は、美しかろうが醜かろうが、その原因を持っている。存在する全てのものには、一つとして、そうあらなければならないようでないものはない。(「絵画に関するエセー」)

伝統的な絵画の技法では、「様式」が重視され、それを学ぶことが重要とされた。現実を観察するのではなく、傑作とされる作品を見、師匠から学ぶ流儀に従って描くことが、画家に求められるものだった。あるがままではなく、あるべき姿を描くことが、普遍的な理想の美を生み出す道とされた。

それに対して、ディドロは、「自然」を厳密に模倣することが必要だとする。たとえ描かれた姿がどんなに理想の美と思われる姿と違っていてもいい。必要なのは、微妙なタッチだ。

そのタッチは、実際に起こっている現象を継続的に観察することから得られるのであり、そのタッチがあれば、私たちは、何らかの秘密の繋がり、不格好に描かれたものの間にある必然的な連鎖を感じることになる。(「絵画に関するエセー」)

ディドロはここで、自然は事物の連鎖の全体であり、絵画はその連鎖を感じさせることが必要だと述べている。
その意味で、絵画を見るディドロの目と、『百科全書』の編集者であるディドロの頭は、同じ思想を宿しているということができる。

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ディドロ 『運命論者ジャックとその主人』 百科全書的世界観を小説として展開する

ドゥニ・ディドロ(1713-1784)の百科全書的世界観に従えば、存在するものは一つの全体のみであり、全体の要素となる個々の事物(鉱物、植物、動物、人間など)は連続的に繋がっている。

その連鎖の中で、一つの要素は前の要素とある部分を共有し、ある部分は共有しない。それに続く要素も同様。従って、どれ一つを取り上げても決定的な断絶はなく、逆に言えば、どれを取り上げてもそれほどの違いはない。
どれか一つを取り上げたとしても、それはたまたまそうなっただけで、決定的なことにはならない。

そのことは、開始にしても終了にしても偶然でしかなく、決定的な何かがあるわけではないという思考につながる。

ディドロの『運命論者ジャックと彼の主人』は、決定論的に定められた一貫した物語の流れがあるわけではない。小説全体が、召使いのジャックと彼の主人が旅をしながら交わす脱線続きの会話を中心にして構成されている。

ディドロは、この小説の骨格を、イギリスの小説家ローレンス・スターン(1713-1768)の小説『紳士トリストラム・シャンディの生涯と意見』(1759-1767)で語られる、一人の傷ついた兵士が自分の負傷と恋について語る短い挿話から借用したと考えられている。
しかしそれ以上に、余談と脱線の連鎖によって小説全体を構成するスターンの構成法に多くを負っている。

では、なぜディドロは、物語を最初から最後まで一貫したあらすじに基づいて語るのではなく、連想の赴くままにエピソードをつなぎ合わせていく語り方を選択したのだろう?

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アベ・プレヴォ 『マノン・レスコー』 新しい時代を予告する女性の誕生

Jean-Honoré Fragonard, La Lettre d’amour

マノン・レスコーの名前は現在もよく知られている。近年の日本では、彼女はファム・ファタル、つまり、抗いがたい魅力で男性を魅了し破滅に陥らせる女性という、類型化した形で紹介されることがよくある。

その一方で、1731年に出版された時の題名が『騎士デ・グリューとマノン・レスコーの物語』であり、作者アベ・プレヴォの自伝的小説『ある貴族の回想と冒険』の7巻目にあたることはあまり考慮に入れられることがない。

そのために、実際に小説を読んだとしても、18世紀の前半にその作品がどのような意義を持ち、何を表現していたのか、考察されることはあまりない。
読者は、マノンにファム・ファタル、情婦、悪女などのイメージを投げかけ、自分の中にある恋愛観を通して、無意識に潜む性愛的ファンタスムを読み取るといったことが多いようである。
その場合、アベ・プレヴォの小説を読むというよりは、ファム・ファタルという女性像を中心に置き、物語のあらすじを辿り、気にかかる部分やセリフを取り上げ、恋愛のもたらす様々な作用について語ることになる。
マノン・レスコーはファム・ファタルだと思い込んだ瞬間に、そうした危険があることを意識しておいた方がいいだろう。

フランス文学の歴史の中に位置づける場合には、『騎士デ・グリューとマノン・レスコーの物語』が1731年に出版された作品であることを踏まえ、その時代にこの小説がどのような意味を持ちえたのかを考えていくことになる。

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モンテスキュー 『ペルシア人の手紙』 新しい時代精神の確立

モンテスキューは1689年に生まれ、1755年に死んだ。
その時代には、1715年のルイ14世の死という大きな出来事があった。
大王の死後、オルレアン公フィリップの執政時代(1715-1723)、次いでルイ15世が1723年に国王としての実権を握るといった政治の動きがあった。

それと同時に、時代精神も大きな転換期を迎えていた。
ルネサンスから17世紀前半にかけて成立した合理主義精神が主流となり、神の秩序ではなく、人間の秩序(物理的な現実、人間の感覚や経験)に対する信頼が高まっていた。

そうした時代の精神性は、18世紀前半に生まれたロココ美術を通して感じ取ることができる。
そこで表現されるのは、微妙で繊細な細部の表現であり、見る者の「感覚」に直接訴えてくる。17世紀の古典主義芸術の壮大さ、崇高な高揚感に代わり、ロココ芸術では、軽快で感覚的な魅力に満ちている。
非常に単純な言い方をすれば、神を崇めるための美ではなく、現実に生きる人間が幸福を感じる美を追求したともいえる。

モンテスキューは、17世紀の古典主義的時代精神から啓蒙の世紀と呼ばれる18世紀の時代精神へと移行する過程の中で、新しい時代精神の確立を体現した哲学者・思想家である。

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18世紀の時代精神 幸福を求めて

フランスの18世紀は、ルイ14世の治世が終盤を迎えるところから始まり、フランス革命からナポレオンの登場で終わりを迎える。
一言で言えば、血縁に基づいた貴族の時代が終わり、ナポレオンという個人が能力を発揮して国家を支配できる時代が到来した。

こうした変化は、16世紀において「人間」という存在に価値があるという認識が行われ、17世紀になると全ての人間に「理性」が備わっているというデカルトの確認に続いて、実現されたのだと考えられる。
そして、18世紀に確立した人間観や世界観は、21世紀においても支配的な時代精神であり続けている。

その精神の根本にあるのは「幸福」の追求であり、「個人の自由」、「科学の進歩」等がその手段を支える思想となる。
しかし、興味深いことに、合理主義精神や科学主義が中心となる中で、「理性」よりも「非理性」に、「文明」よりも「未開」や「自然」に、「進歩」よりも「原初」に、「科学」よりも「神秘」や「超自然」に、価値を置く精神性が忘れられることはなかった。

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