
ジャン・ポール・サルトルの自伝的作品『言葉(Les Mots)』(1963)の中で、日本人にとってはわかりにくい一つのテーマが扱われている。
それは、目に見え、手で触れることができる現実の「事物」と、その反対に、見ることも触れることもできない「概念」という、二つの異なった認識の次元に関わる問題。


例えば、猫に関して、ここにいる「一匹の猫」は存在するが、「猫一般」、あるいは「猫という概念」は存在しないとする立場と、逆に、概念そのものが実在するという立場がある。
普通、そんな違いを日本人は考えないので、わかりにくいし、どうでもいいようにも思われる。
ところが、サルトルが自分の幼い頃の思い出として語る一つのエピソードを読むと、私たちにとっては遠い世界の思考法がクリアーに理解できてくる。
その結果、サルトルの提示した哲学の根本的な土台が、「事物」と「概念」の関係をどのように考えるかということにあることがわかり、実存主義の理解にもつながる。
さらに、その二分法になじまない日本的な思考の特色も見えてくる。
『言葉』の中には、サルトルが小さな頃からお祖父さんの書斎に置かれた多くの本に囲まれて育ったが、その中でもとりわけ「ラルース大百科事典」に大きな興味を示したという思い出を語る部分がある。
Mais le Grand Larousse me tenait lieu de tout : j’en prenais un tome au hasard, derrière le bureau, sur l’avant-dernier rayon, A-Bello, Belloc-Ch ou Ci-D, Mele-Po ou Pr-Z (ces associations de syllabes étaient devenues des noms propres qui désignaient les secteurs du savoir universel : il y avait la région Ci-D, la région Pr-Z, avec leur faune et leur flore, leurs villes, leurs grands hommes et leurs batailles) ;

ところで、私にとって、「ラルース大百科事典」が(他の本)全ての代わりになっていた。適当に一巻を手に取る。机の後ろにある棚の、下から二番目の段にある、A-Belloの巻だったり、Belloc-Chの巻、Ci-Dの巻、Mele-Proの巻、Pr-Zの巻だったりする。(それらの音の組み合わせは固有名詞となり、普遍的な知識の分野を指し示していた。Ci-Dの地区、Pr-Zの地区があり、その中に、動物相や植物相、街があり、偉人がいて、彼らの戦があった。)
サルトルの記述からすると、「ラルース大百科事典(le Grand Larousse)」とは、「挿絵入り新ラルース百科事典(Nouveau Larousse illustér)」全7巻(1897-1904)のことだと思われる。
ここで興味深いのは、普通私たちが百科事典の項目を読む時、その内容は単なる知識に留まるのに対して、幼いサルトルにとっては、読んだ内容が具体的な体験のように感じられたという点。
例えば、Chat(猫)の項目を読んだら、そこに書かれていること全てが、実際の猫に接するような実感をもたらす。
je le déposais péniblement sur le sous-main de mon grand-père, je l’ouvrais, j’y dénichais les vrais oiseaux, j’y faisais la chasse aux vrais papillons posés sur de vraies fleurs. Hommes et bêtes étaient là, en personne: les gravures, c’étaient leurs corps, le texte, c’était leur âme, leur essence singulière; hors les murs, on rencontrait de vagues ébauches qui s’approchaient plus ou moins des archétypes sans atteindre à leur perfection: au Jardin d’Acclimatation, les singes étaient moins singes, au Jardin du Luxembourg, les hommes étaient moins hommes.
その巻を祖父のデスクパットの上によっこらしょと置き、広げた。そこで私は、本物の鳥たちを巣から出し、本物の花にとまっている本物のチョウチョを追いかけた。人間そのもの、動物そのものが、そこにいた。版画はそれらの肉体、文字はそれらの魂であり、個別的な本質だった。家の壁の外出ると、出会うものはぼんりとした素描であり、多少原型に近くはあったが、決して完全なものに達することはなかった。ブローニュの森の動物園の猿は猿的な度合いが低く、リュクサンブール公園にいる人間たちは人間的な度合いが少なかった。
サルトルの感覚は、普通の人間の感覚とは違っていたらしい。
辞書で読むことが、私たちにとっての現実体験であり、反対に、現実に見聞きすることは、ぼんやりとした素描(des vagues ébauches)のようで、現実味がないように感じられたのだという。
そんなことが本当にあるのかと不思議に思われるが、とにかくサルトルはそのように書いている。
そして、読者にとっては、その記述を辿ることで、本の内容と現実の体験という、二つの次元の区別が明らかになる。
Platonicien par état, j’allais du savoir à son objet; je trouvais à l’idée plus de réalité qu’à la chose, parce qu’elle se donnait à moi d’abord et parce qu’elle se donnait comme une chose. C’est dans les livres que j’ai rencontré l’univers : assimilé, classé, étiqueté, pensé, redoutable encore; et j’ai confondu le désordre de mes expériences livresques avec le cours hasardeux des événements réels. De là vint cet idéalisme dont j’ai mis trente ans à me défaire.
もともとプラトン的な気質を持つ私は、知識から対象へと進んだ。事物よりも観念により多くの現実性を見出した。なぜなら、観念がまず最初に私に与えられ、しかも一つの事物として与えられたからだった。まさに書物の中で、私は世界に出会った。その世界は、同化され、分類され、ラベル付けされ、思考され、それでもまだ恐ろしいものだった。そして、私は、書物を通した経験の混乱と現実の出来事の偶発的な流れを混同してしまった。それらのことから、私が捨て去るのに30年を要した、イデア優先主義(イデアリスム)が由来したのだった。

この一節の前までは、子供時代の思い出として具体的な出来事が語られた。ところがここからは一転して、哲学者プラトンの名前が出され、「事物」と「概念」の関係が一般論として論じられる。
プラトンによれば、現実の出来事は束の間で儚い。そして、本当に存在するものは、現実を超えたイデア(観念的な理想)の世界に他ならない。
サルトルは、自分をプラトン的な気質を持つ人間だと規定し、彼が現実性を感じるのは、「対象(l’objet)」や「事物(la chose)」よりも、「知識(savoir)」や「観念(l’idée)」だとする。
イデアリスム(idéalisme:イデア優先主義)とは、「事物」の上位に「概念」を置く考えと対応する哲学思想だということになる。
サルトルにとって、世界(l’univers)=書物を通した経験(mes expériences livresques)は、ある程度までは同化され(assimilé)、分類され(classé)、ラベルが付けられ(étiqueté)、頭で考えられている(pensé)。
しかし、それでもまだ完全に整理されてはいず、恐ろしい(redoutable)ものに留まっている。
だからこそ、まだ混乱(le désordre)しているものであり、イデアリストのサルトルでさえ、現実の出来事の偶然的な流れ(le cours hasardeux)と混同することがある。
その混同によって何を言いたいのかと言えば、サルトルでさえ、「事物」と「概念」の区別が曖昧なことがあり、そのために、自分が気質として持っていたプラトン的な思考から脱却するのに30年もの時間を要したということ。
つまり、彼は30年の間思索を続け、最後に、「概念」の上位に「事物」を置く、反プラトン的な思考に至ったのだった。
以上のように、子供時代の具体的な思い出から出発して、「事物」と「概念」の関係を解き明かされると、実存主義と呼ばれる哲学思想の根本が、比較的容易に理解できる。
「実存主義はヒューマニズムであるか(L’existentialisme est un humanisme)」(1945年)と題された講演の中で、サルトルは、「実存は本質に先立つ( l’existence précède l’essence)」と主張した。
この言葉を巡って様々な議論が交わされたのだったが、『言葉』のエピソードに基づいて考えれば、「本質(l’essence)」とは「概念」であり、「実存( l’existence)」は「事物」に対応する。
そこで、実存主義の定義として、「事物」をまず第一に置く主張だったということがわかってくる。
。。。。。
そのように考えると、ヨーロッパの中世に行われた「普遍論争」との関係も見えてくる。
普遍論争とは、普遍は実体として存在するか、人間の思考の中で存在するだけなのか、という議論。
実在論(réalisme)は、「普遍」が「個物」に先立って存在するとした。
唯名論(nominalisme)は、「普遍」は「個物」をあらわす名前にすぎないとした。
こうした哲学的な用語を使ってしまうと一見わかりにくいのだが、「普遍」は「概念」、「個物」は「事物」だと考えると、要するに、「概念」と「事物」の関係を論じたのだということがわかる。
「普遍」=「概念」が優先すると考えるのが、実在論=プラトン的思考。
「個物」=「事物」を優先すると、「概念」は単なる「名前」にすぎないと考えることになり、唯名論になる。
。。。。。
サルトルは唯名論の立場に立ち、実存主義の思想を展開することで、目に見え、手で触れることができる現実の「事物」の体験を「実存(existence)」として重視したということになる。
哲学の問題として、専門用語を使い細かな議論をすると、一般の人々には意味不明な議論になりがちになる。
サルトルは、『言葉』において、哲学を振り回さず、自分の個人的な体験を語ることで、誰にでもわかる言葉で、自分の思想を語ろうとしたのだと考えられる。
最後に、日本人には「事物」と「概念」の区別はあまりなじみがないし、説明されてもすぐにピンとこないのは何故か、という問題について簡潔に考えてみよう。
日本人も知的な理解としては、現実とイデア界(超越的世界)を区別する。
仏教で言えば、この世(穢土)とあの世(浄土)。本来の仏教の教えは、この世の幸福ではなく、死後に浄土に行くことを説く。
しかし、日本人は古来から仏教に、この世での幸運、現世利益を求めてきた。さらに、この世に浄土を再現するとして、浄土寺や鳳凰堂まで建造した。
ちなみに、キリスト教の教会が、天国そのものだと見なすことは決してない。
つまり、日本的な感性は、現実的な「事物」の世界と超越的な「概念」の世界の間に断絶を設けることなく、両者を渾然一体のものとして受け入れてきたのだといえる。
そうした感性が何に由来するのかは別に考える必要があるが、「事物」と「概念」を区別することなく生の世界を体験する傾向が日本的であり、そのために、プラトニスム以来の欧米の哲学にどこか違和感を抱くことになると考えても、間違いではないだろう。
逆に言えば、『言葉』のサルトルのように、具体的な体験としてそうした問題を提示する文章に接することで、今まで日本人が意識化してこなかった思考を理解するための、非常にいい手掛かりになるのだといえる。