ボードレール 「寡婦たち」 Baudelaire « Les Veuves »  3/3 韻文詩「小さな老婆たち」の散文化?

ボードレールは、もう一人の寡婦について語り始める。
彼女は、「私」が後を付けた寡婦と同じように、公園で催される公共の音楽会に立ち会っている。しかし、今度は音楽自体の力が問題になるのではなく、音楽会を通して二つの社会階級が浮き彫りにされ、その中で彼女のいる位置が考察の対象になる。

(朗読は3分32秒から)

Une autre encore :
Je ne puis jamais m’empêcher de jeter un regard, sinon universellement sympathique, au moins curieux, sur la foule de parias qui se pressent autour de l’enceinte d’un concert public. L’orchestre jette à travers la nuit des chants de fête, de triomphe ou de volupté. Les robes traînent en miroitant ; les regards se croisent ; les oisifs, fatigués de n’avoir rien fait, se dandinent, feignant de déguster indolemment la musique. Ici rien que de riche, d’heureux ; rien qui ne respire et n’inspire l’insouciance et le plaisir de se laisser vivre ; rien, excepté l’aspect de cette tourbe qui s’appuie là-bas sur la barrière extérieure, attrapant gratis, au gré du vent, un lambeau de musique, et regardant l’étincelante fournaise intérieure.

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ボードレール 「寡婦たち」 Baudelaire « Les Veuves » 2/3  韻文詩「小さな老婆たち」の散文化?  

ボードレールは、自分たちの時代を、悲しみや苦しみに満ちた「喪(deuil)の時代」と見なしていた。

蒸気機関車の線路が各地に引かれ、街角にはガス灯が設置され、文明の進歩を多くの市民が享受するように見える時代、そこから排除された人々の数も膨れ上がっていた。
マルクスがこの時代に共産主義宣言を出したことは、労働者の悲惨が社会問題となっていたことを示す一つの証拠だといえる。

そうした社会の中で、ボードレールが眼差しを注いだのは、進歩を享受する側ではなく、虐げられた人々の側だった。
その点では、『レ・ミゼラブル(悲惨な人々)』の著者ヴィクトル・ユゴーに近い感性を共有していたといえる。

彼の目には、男性の黒い服やフロックコートは喪の象徴に見えた。女性の側に目を移せば、夫を失った寡婦たちが喪を象徴した。
韻文詩「小さな老婆たち」では老婆たちの後を辿っていった彼が、散文詩「寡婦たち」では、寡婦の後をついていく。

(朗読は1分27秒から)

Avez-vous quelquefois aperçu des veuves sur ces bancs solitaires, des veuves pauvres ? Qu’elles soient en deuil ou non, il est facile de les reconnaître. D’ailleurs il y a toujours dans le deuil du pauvre quelque chose qui manque, une absence d’harmonie qui le rend plus navrant. Il est contraint de lésiner sur sa douleur. Le riche porte la sienne au grand complet.

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与謝野晶子 「君死にたまふことなかれ」 Akiko Yosano « Que tu ne meures pas »

1904年(明治37年)2月から1905年(明治38年)9月にかけて行われた日露戦争の中で、旅順要塞を日本軍が包囲し陥落させた戦いは、旅順攻囲戦と呼ばれている。

与謝野晶子は、その旅順攻囲戦に兵士として送り出された弟の命を心配し、「君死にたまふことなかれ」と歌った。

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ボードレール 「寡婦たち」 Baudelaire « Les Veuves » 1/3 韻文詩「小さな老婆たち」の散文化?

シャルル・ボードレールは、1857年に韻文詩集『悪の華(Les Fleurs du mal)』を出版する少し前から、散文詩を書き始めていた。

その詩集が風俗を乱すという理由で裁判にかけられ有罪になると、1861年に出版されることなる第2版に向けて、韻文詩をさらに付け加える準備をしながら、それと並行して散文詩も積極的に発表した。
詩人の死後に『パリの憂鬱( Le Spleen de Paris)』という題名で出版された散文詩集はその果実である。

こうしたことは、現在の視点から見ると何の驚きもない事実を列挙しただけだが、19世紀の半ばにおいては、自明のこととはいえなかった。
では、何か問題なのか?

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ボードレール 「小さな老婆たち」 Baudelaire « Les Petites Vieilles » 5/5

愛する者の後を付いて行ったら、最後は声を掛けることになるだろう。実際、「私」は、第4部に至り、vousという代名詞を使い、老婆たちに呼びかけ始める。

ここでは、第4部を構成する6つの詩節を読む前に、英語やフランス語と日本語の違いについて考えておきたい。

英語であれば相手を指す代名詞(二人称)はyouのみ。フランス語であれば、tuとvousのニュアンスはあるが、2つの代名詞しかない。
それに対して、日本語では、相手との関係によって数多く存在する。
あなた、あんた、君、お前、貴様、等々。その他、先生、社長、おばちゃん、お姉さん、等々、仕事の役職や親族関係を示す言葉が、代名詞のように使われるし、そちらの方が自然だろう。

また、それに合わせて、自分の呼び方(一人称)も、私、ぼく、おれ、わし、等、色々とある。子どもに対して、お父さんとかお母さんと言った言葉を、一人称の代名詞のように使うこともある。

このように日本語では、自分と相手との人間関係を直感的に測り、自分や相手を呼ぶ言葉を決め、それに合わせて言葉のレベル全体も調整する。

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ボードレール 「小さな老婆たち」 Baudelaire « Les Petites Vieilles » 4/5

第3部では、具体的に一人の女性に焦点が絞られ、公園にたたずむ彼女の姿と彼女を取り囲む世界が絵画のように描き出される。
その絵は、生命感に溢れ、日常でありながら英雄性を持ち、ボードレール的美を表現したものになっている。

(朗読は2分55秒から)

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ボードレール 「小さな老婆たち」 Baudelaire « Les Petites Vieilles » 3/5

ボードレールはヴィクトル・ユゴーへの手紙の中で、「小さな老婆たち」について、ユゴーのいくつかの詩の模倣をしたと書いていた。

その際、彼が頭に置いていた詩の一つは、『東方詩集(Les Orientales)』に納めされた「亡霊たち(Fantômes)」だろう。

その詩は、「ああ! 私は見たのだった、数多くの若い娘たちが死んでいくのを!(Hélàs ! que j’en ai vu mourir de jeunes filles !)」という詩句から始まり、様々な少女たちが、一人一人、数え上げられ、人生の儚さが歌われる。

ユゴーの詩の雰囲気は、友人の画家ルイ・ブランジェの絵画によっても知ることができる。

ボードレールは、「小さな老婆たち」の第2部で、まず最初に三人の女性に呼びかける。

(朗読は、2分10秒から。)

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スティング 「ロシア人」 Sting «Russians» The Russians love their children too.

スティングが、ウクライナ支援のために、1985年に発表した« Russians »をインスタグラムにアップしたというニュースが流れている。
https://www.musiclifeclub.com/news/20220308_05.html

« Russians »は、1980年代の米ソの冷戦時、核戦争で世界が破壊される前に、両国ともに「人道的な感情」を取り戻して欲しいという内容のもの。
英語の歌詞と日本語の訳がついたビデオで聞いて見ると、スティングの思いが伝わってくる。

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ボードレール 「小さな老婆たち」 Baudelaire « Les Petites Vieilles » 2/5

第1詩節で、「私」が見たいと望む「独特な存在(singuliers êtres)」には、矛盾する二つの特質が付与された。
それらは、「老いさらばえている(décrépits)」けれど、「魅力的(charmants)」でもある。

第2詩節から第9詩節にかけては、その存在についての詳細な描写がなされていくのだが、決して「老婆(vieilles)」という言葉が使われない。
もしその単語が使われると、それを受ける代名詞は女性形のellesになる。
しかし、ボードレールは最初に「怪物(monstres)」と呼び、男性単語を使うために、代名詞は男性形のilsが使われ続ける。
そのことで、老婆には女性性が失われているかのような印象が生み出される。

(ilsと書かれていても「彼女たち」としてしまう方がわかりやすいのだが、ボードレールがあえてilsとしていることを考慮し、以下に付す日本語では、代名詞を使う場合には「それら」とする。既訳では、「彼ら」としているものもあるが、それでは老婆の意味が消えてしまう。)

第2ー3詩節のポイントとなるのは、「魂(âmes)」と「謎かけの絵(rébus)」。

rébus

Ces monstres disloqués furent jadis des femmes,
Éponine ou Laïs ! Monstres brisés, bossus
Ou tordus, aimons-les ! ce sont encor des âmes.
Sous des jupons troués et sous de froids tissus

Ils rampent, flagellés par les bises iniques,
Frémissant au fracas roulant des omnibus,
Et serrant sur leur flanc, ainsi que des reliques,
Un petit sac brodé de fleurs ou de rébus ;

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ボードレール 「小さな老婆たち」 Baudelaire « Les Petites Vieilles » 1/5

「小さな老婆たち(Les Petites Vieilles)」は、「七人の老人(Les Sept vieillards)」と共に、ボードレールが1869年9月にビクトル・ユゴーに送った詩。
その際、二つの詩には「パリの亡霊たち(Fantômes parisiens)」という総題が与えられていた。

その手紙の中で、ボードレールはとりわけ「小さな老婆たち」に関して、次のように書いている。

二番目の詩(「小さな老婆たち」)は、「あなたを模倣することを目指して」書いたものです。(私のうぬぼれを笑って下さい。自分でも笑っています。)あなたの詩集から何編かを読み返しました。素晴らしい慈悲の心が、感動的な親密さと混ざり合っているものです。私は時々、絵画展で、惨めな画学生が巨匠の作品を模写するのを見てきました。巧みに描かれたものも、稚拙なものもありました。でも、彼らの模写の中に、彼らの知らないうちに、時に、彼ら自身の性質に由来する何かが含まれていることがありました。優れたもののことも、卑俗なこともありました。

ここでボードレールは、「模倣」にも、模倣した人間の「性質(nature)」が反映すると考えていることがわかる。
としたら、ユゴーの詩の模倣の試みである「小さな老婆たち」にも、ボードレールの気質の反映が見られるはずであり、それが1860年前後のボードレールという詩人の特質になっているかもしれない。

「模倣」について考えるために、絵画の例を見ておこう。

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