ジャーナリストLiseron Boudoulのインタヴュー

Liseron Boudoulは世界中で戦争や紛争が起こる度に現地に赴き、驚くほど現場に密着した取材をするジャーナリスト。彼女は2022年2月の初旬にウクライナで取材を始め、親ロシア派の地域、ロシアに攻撃された地域、モスクワで約4ヶ月間活動した。

Depuis le début de la guerre en Ukraine, les reportages de Liseron Boudoul, grand reporter pour TF1, nous aident à comprendre la situation sur place et les enjeux de ce conflit. La journaliste a passé trois mois sur les lignes de front en Ukraine et un mois à Moscou. Elle est l’une des rares à être restée sur place si longtemps et à avoir tourné des reportages des deux côtés, en Ukraine et en Russie. De retour à Paris, Liseron Boudoul revient sur quatre mois d’une guerre en Europe.

長谷寺 日本の美

奈良県の初瀬(はせ)山の中腹にある長谷寺は、創建が8世紀前半と推定されるが、美しい姿を現代にまで伝えている。

日本の建造物の美の特色の一つは屋根にある。エアコンのついた現代の家と違い、かつての日本では湿度が一番の問題だった。そのために風通しのいい空間を作る必要があり、ヨーロッパの建造物のように壁を厚くするのではなく、装飾の中心は屋根に置かれたのだった。

屋根の美

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レナード・コーエン 「ハレルヤ」を聴く

ずいぶん以前のことになるが、モンマルトルの丘の上で、偶然「ハレルヤ(Hallelujah)」という曲を聴いた。路上パフォーマンスなのだが、ずっと心の中に残る演奏だった。

その後、テレビの番組で、カウンター・テナーの歌声が素晴らしいフィリップ・ジャルスキーが歌うのを耳にし、再び心を打たれた。

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奈良・長谷寺を詠うポール・クローデル Paul Claudel chante le temple de Hasé à Nara

ポール・クローデルは詩人・劇作家であるが、フランス大使でもあり、1921(大正10)年11月から1927(昭和2)年2月まで、休暇の期間を除くと約4年半、日本に滞在した。
その間、日本の文化や心性に強い親しみを持ち、日本の芸術家たちと交わり、書籍からも多くを学び、日本に関する著作、劇作、詩などを数多く執筆したのだった。

1926(大正15)年5月には、約2週間の日程で西日本の各地を訪れた。その中でも奈良の長谷寺には強い印象を受けたらしく、『百扇帖(Cent phrases pour éventails )』の中には、長谷寺関係の素晴らしい短詩がいくつか残されている。

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マラルメ 「もう一つの扇 マラルメ嬢の」 Mallarmé « Autre éventail de Mademoiselle Mallarmé »

19世紀後半には扇を持つ女性の姿が印象派の画家たちによって数多く描かれたが、ステファン・マラルメは詩の中で扇を取り上げ、扇の動きを詩的創造の暗示として描いた。

1884年に発表された「もう一つの扇 マラルメ嬢の」では、語りの主体は、娘が手に持つ扇。
マラルメ嬢は、午後が深まり太陽も傾いてきた頃、扇の風にあたりながら、ゆったりとした気分で扇の言葉に耳を傾ける。

「もう一つの扇 マラルメ嬢の」は、1行が8音節からなり、4行からなる詩節が5つ、テンポよく続く。その音楽は美しい。
その一方で、扇の言葉は人間の言葉ではない。意味を理解するには少し時間がかかる。

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ヴェルレーヌ 「忘れられたアリエット その8」 Verlaine « Ariettes oubliées VIII » 倦怠のおぼろげな風景

Daubigny La Neige

風景を描くことが、人の心の表現になる。日本の和歌ではそれはごく当たり前のこと。
しかし、人間と自然がそれほど親密な関係にないヨーロッパでは、擬人法という形で人間の心を無生物に投影するといったやり方をしないと、景物が心模様を表現することはない。

ところが、そうした中にも例外的な存在はいる。ポール・ヴェルレーヌだ。
例えば、「忘れられたアリエット」の8番目の詩では、冬の風景が詩人のアンニュイな心持ちを伝えている。
詩句の音節数は5。5/7のリズムに馴染んでいる日本語母語者には、さらに親しみやすく感じられる。

Ariettes oubliées VIII

Dans l’interminable
Ennui / de la plaine
La neige incertaine
Luit comme du sable.

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シュールレアリスムの忘れられた女性画家トワイヤン

シュールレアリスムの女性画家トワイヤンの作品を展示する« Toyen l’écart absolu»が、2022年3月25日から7月24日まで、Musée d’Art Moderne de Parisで開催されている。https://www.mam.paris.fr/fr/expositions/exposition-toyen

Le retour en grâce de Toyen, peintre aux multiples facettes
La peintre Toyen est l’une des figures du mouvement surréaliste. Elle a pourtant été complètement oubliée ces dernières années, malgré une œuvre aussi prolifique que géniale.
Le Musée d’Art Moderne de Paris lui consacre une grande exposition, de quoi la remettre à sa juste place : en pleine lumière. 

古池や 蛙飛び込む 水の音 —— 芭蕉の捉えた永遠の瞬間

世界中で最も知られている俳句は、芭蕉の「古池や 蛙飛び込む 水の音」だと断言できるほど、この俳句はよく知られている。
そして、句の解釈としては、蛙が池に飛び込む水の音がはっきりと聞こえるほど、古い池の辺りは静かでシーンとしている、そうした静寂を捉えたもの、とされることが多い。

それに対して、長谷川櫂は『古池に蛙は飛び込んだか』の中で、次のような解釈を提示した。

ある春の日、芭蕉は蛙が水に飛び込む音を聞いて古池を思い浮かべた。すなわち、古池の句の「蛙飛び込む水のおと」は蛙が飛び込む現実の音であるが、「古池」はどこかにある現実の池ではなく芭蕉の心の中に現れた想像の古池である。
とすると、この句は「古池に蛙が飛び込んで水の音がした」という意味ではなく、「蛙が飛び込む水の音を聞いて心の中に古池の幻が浮かんだ」という句になる。

さて、このとき、芭蕉は坐禅を組む人が肩に警策(きょうさく)を受けてはっと眠気が覚めるように、蛙が飛び込む水の音を聞いて心の世界を呼び覚まされた。いいかえると、一つの音が心の世界を開いたということになる。

この結論だけ読むとわかりづらいかもしれないが、長谷川櫂の解説をたどって理解すると、芭蕉が創造した新しい俳句の世界=「蕉風」とは、日本的な感性を5/7/5の言葉のリズムの中に凝縮したものであることがわかってくる。

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閑さや 岩にしみ入る 蝉の声 —— 俳句の音と意味

芭蕉が『奥の細道』の中で詠んだ俳句の中で、最も有名なもの一つに、「閑(しづか)さや 岩にしみ入る 蝉の声」がある。

普通に考えれば、蝉がミンミン鳴いていれば、ひどくうるさいはず。
それなのに、なぜ芭蕉が静かだと思ったのか疑問に思うのが自然だし、そんな疑問を持てば、句の説得力がなくなるはず。
それにもかかわらず、誰もが知る俳句として人々に親しまれている。

その理由の一つには、この句を構成する言葉の音に、静かさを感じさせる要素が含まれているからではないか?

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ひさかたの光のどけき春の日に —— 和歌の音と意味

紀友則の有名な和歌「ひさかたの 光のどけき 春の日に しづごころなく 花の散るらむ」には、音と意味のつながりが感じられる。

和歌の分析ではあまり音に意識を向けることはないかもしれないが、フランス語の詩の分析では音と意味の関係に注目することがよくあるので、それに倣ってこの有名な和歌を見ていこう。

まず音に注目すると、語頭にハ行の音の反復が見られる。
ヒさかた ヒかり ハる ヒに ハな  (ヒ・ヒ・ハ・ヒ・ハ)

もう一つの反復はノの音。
ひさかたノ ノどけき 春ノ 花ノ

こうした音の反復が、歌の意味に抑揚を与えている可能性がある。

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