ロマン主義絵画 メランコリーの美

19世紀前半の絵画の中には、ロマン主義的な雰囲気を持つ魅力的な作品が数多くある。
日本ではあまり知られていない画家たちの作品を、少し駆け足で見ていこう。

最初は、アンヌ=ルイ・ジロデ=トリオゾンの「エンデュミオン 月の効果」(1791)。
最初にルーブル美術館を訪れた時、まったく知らなかったこの絵画を見て、しばらく前に立ちつくしたことをよく覚えている。

Anne-Louis Girodet-Trioson, Endymion ou effet de lune
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マラルメ 「エロディアード 舞台」 Mallarmé « Hérodiade Scène » 言語と自己の美的探求 7/7

エロディアードの32行に及ぶセリフの後、彼女と乳母のやりとりが2度繰り返され、「エロディアード 舞台」は幕を閉じる。

ただし、二人の対話と言っても、乳母の発話は極端に短く、最初は「あなた様は、死んでおしまいになるのですか」、2度目は、「今?」のみ。

実質的には、エロディアードがほぼ全ての言葉を独占し、マラルメの考える美のあり方が示されていく。

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学校再開を前にしたフランスの子供たち 

2020年4月27日のQuotidienで、フランスの子供たち(4才から6才くらい)に、学校が始まるけれどどう思う?というインタヴューをしていました。
これを見ると心が和みますので、その部分だけ切り取り、限定公開しました。(リンクを知っている人だけ見ることができる公開の仕方です。)

マラルメ 「エロディアード 舞台」 Mallarmé « Hérodiade Scène » 言語と自己の美的探求 6/7

Jean-Jacques Henner, Hérodiade

「エロディアード 舞台」の第86行目から117行目までの32行の詩句は、エロディアードが自己のあり方を4つの視点から規定する言葉から成り立っている。
まず、彼女が花開く庭から出発し、黄金、宝石、金属に言及されることで、個としてのエロディアードの前提となる、普遍的な美が示される。
次いで、乳母から見える彼女の姿。
3番目に、彼女自身が望む彼女の姿。
最後に、「私を見る私」という構図の種明かしがなされる。

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外出制限と性生活 le confinement et la vie sexuelle

日本では考えられないことだが、フランスでは、外出制限と性生活の関係が話題になることがある。
冗談のように語られるのは、制限が終わった後の2ヶ月で離婚が増え、9ヶ月で出産が増えるというもの。

4月24日のQuotidienでは、性の問題の専門家La sexperte Maïa Mazauretteのインタヴューがあった。
https://www.tf1.fr/tmc/quotidien-avec-yann-barthes/videos/invitee-les-conseils-sexo-special-confinement-de-maia-mazaurette-27384527.html

外出制限前には22%のフランス人女性が自分のことを綺麗だと思っていてけれど、家に籠もっているのでその数が12%に減ったとか。
笑ってしまうのは、家の中で家事をしている女性は家具のように存在になり、性的な対象ではなくなるという考え。
愛の国フランスと言うべきか。。。

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マラルメ 「エロディアード 舞台」 Mallarmé « Hérodiade Scène » 言語と自己の美的探求 5/7

Jean Raoux, Femme à sa toilette

エロディアードが乳母に「私、きれい(Suis-je belle ?)」と問いかける言葉で、「エロディアード」という詩のテーマが明確にされた。
マラルメが詩の効果として追求するものは、「美」なのだ。

では、姫の問いかけに、乳母は何と応えるのだろう。

              N.

                              Un astre, en vérité :
Mais cette tresse tombe…

         N. (乳母)

                     星のように、本当に。
でも、この御髪が落ちかかっていらっしゃいます。

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コロナウィルスに関する社会学的な視点

日本ではなかなかコロナウィルスに関する冷静な分析を目にすることがない。メディアで流れる情報も、視野がかなり限定されたものに限られる。

4月22日のQuotidienに出ていた社会学者Gerald Bronnerは、ウィルスに関して氾濫する噂やニセの情報を、説得力のある言葉で説明していて、非常に興味深かった。

https://www.tf1.fr/tmc/quotidien-avec-yann-barthes/videos/invite-on-parle-psychose-fake-news-et-theories-du-complot-avec-le-sociologue-gerald-bronner-77773142.html

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マラルメ 「エロディアード 舞台」 Mallarmé « Hérodiade Scène » 言語と自己の美的探求 4/7

Berthe Morisot, Devant le miroir

乳母とエロディアードの最初の対話によって、見ることが自己の分裂を生みだし、「自己が見る自己」の映像が詩のテーマとして設定された。

エロディアードは、ライオンのたてがみのような髪を整えるために、乳母に手を貸すように命じる。
そこで、乳母は、髪に振りかける香水について、一つの提案をする。

         N.

Sinon la myrrhe gaie en ses bouteilles closes,
De l’essence ravie aux vieillesses de roses,
Voulez-vous, mon enfant, essayer la vertu
Funèbre?

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マラルメ 「エロディアード 舞台」 Mallarmé « Hérodiade Scène » 言語と自己の美的探求 3/7

Filippo Lippi, Fête de Herode

8行目の詩句の最後の4音節は、次の行に移る。
芝居のセリフではよくあるが、マラルメはその技法によって、« Par quel attrait »というキーになる詩句を、目に見える形で強調する。

Par quel attrait
Menée et quel matin oublié des prophètes
Verse, sur les lointains mourants, ses tristes fêtes,
Le sais-je ? tu m’as vue, ô nourrice d’hiver,
Sous la lourde prison de pierres et de fer
Où de mes vieux lions traînent les siècles fauves
Entrer, et je marchais, fatale, les mains sauves,
Dans le parfum désert de ces anciens rois :
Mais encore as-tu vu quels furent mes effrois ?

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マラルメ 「エロディアード 舞台」 Mallarmé « Hérodiade Scène » 言語と自己の美的探求 2/7

マラルメは、「エロディアード」を、ミロのヴィーナスやダヴィンチのモナリザに匹敵する美を持つ作品にまで高めることを望んだ。
そのために、様々な技法をこらし、言葉の意味だけではなく、言葉の姿や音楽性も追求した。

「序曲」が原稿のままで留まったのに対して、「舞台」は『現代高踏派詩集』上で発表された。とすれば、「舞台」はマラルメの自己評価をある程度まで満たしていたと考えてもいいだろう。

「エロディアード 舞台」では、乳母(la nourrice)を示す N.、エロディアード(Hérodiade)を示す H. による対話形式、12音節の詩句が、演劇や詩の伝統の枠組みの中にあることを示している。

そうした伝統に則りながら、その中で新しい詩的言語によるシンフォニー的な作品を生み出すことが、マラルメの目指すところだった。

N.

Tu vis ! ou vois-je ici l’ombre d’une princesse ?
À mes lèvres tes doigts et leurs bagues, et cesse
De marcher dans un âge ignoré…

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