ボードレール 「レスボス」  Baudelaire « Lesbos » 3/3 選ばれし詩人の謳うサッフォーの秘儀

第9詩節から第11詩節の間、ボードレールは自らがレスボスによって選ばれた者であり、そこで行われる秘儀の神秘を歌う巫女あるいは詩人であると言う。

Car Lesbos entre tous m’a choisi sur la terre
Pour chanter le secret de ses vierges en fleurs,
Et je fus dès l’enfance admis au noir mystère
Des rires effrénés mêlés aux sombres pleurs ;
Car Lesbos entre tous m’a choisi sur la terre.

Et depuis lors je veille au sommet de Leucate,
Comme une sentinelle à l’œil perçant et sûr,
Qui guette nuit et jour brick, tartane ou frégate,
Dont les formes au loin frissonnent dans l’azur ;
Et depuis lors je veille au sommet de Leucate,

Pour savoir si la mer est indulgente et bonne,
Et parmi les sanglots dont le roc retentit
Un soir ramènera vers Lesbos, qui pardonne,
Le cadavre adoré de Sapho qui partit
Pour savoir si la mer est indulgente et bonne !

(朗読は2分22秒から)

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ボードレール 「レスボス」  Baudelaire « Lesbos » 2/3 レスボスの女たちの宗教

第3-4詩節でもレスボス島への呼びかけが続くが、ここからは肉体的で官能的な要素に言及され、意識が地上的な次元に下ってくる。

フリネ(Phryné)に代表される乱れた生活を送る女たち(femmes de moeurs légères) の吐息がこだまし、鏡に映る自分の肉体に恋をする。

Lesbos, où les Phrynés l’une l’autre s’attirent,
Où jamais un soupir ne resta sans écho,
A l’égal de Paphos les étoiles t’admirent,
Et Vénus à bon droit peut jalouser Sapho !
Lesbos, où les Phrynés l’une l’autre s’attirent,

Lesbos, terre des nuits chaudes et langoureuses,
Qui font qu’à leurs miroirs, stérile volupté !
Les filles aux yeux creux, de leur corps amoureuses,
Caressent les fruits mûrs de leur nubilité ;
Lesbos, terre des nuits chaudes et langoureuses,

(朗読は44秒から)

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ボードレール 「レスボス」  Baudelaire « Lesbos » 1/3 レスビエンヌたちの口づけ

シャルル・ボードレール(Charles Baudelaire)の『悪の華(Les Fleurs du mal)』が1857年に出版された時、反宗教的かつ風俗を乱すという理由で裁判にかけられ、詩集から6編の詩を削除することが命じられた。「レスボス」はその中の一編で、実際に1861年の第二版からは削除された。

現在の私たちの感覚からすると、なぜこの詩が猥褻とみなされたのか不思議な感じがする。そのギャップを知るだけでも「レスボス」を読むのは興味深いのだが、詩の理解を通して19世紀半ばと現代の知識のギャップを知ることができるのも楽しい。

詩の題名のレスボスは、ギリシアのレスボス島のこと。エーゲ海北東部のトルコ沿岸に近いギリシア領の島で、紀元前7世紀後半から6世紀前半、女性の詩人サッフォーが生まれたことで知られている。

ウィキペディアの「サッポー」の項目を見ると、「サッポーは、自分の身のまわりにいた少女たちに対する愛の詩を多く残した。そのため、サッポーと同性愛を結びつける指摘は紀元前7世紀ごろから存在した。」という記述とともに、「ボードレールは『悪の華』初版で削除を命じられた「レスボス」においてレスボスを同性愛にふける島として描き、レズビアニズムの代表としてのサッポーのイメージを決定的にした。」という記述が見られる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%83%E3%83%9D%E3%83%BC#cite_note-yk18-1

19世紀前半のサッフォーのイメージで最も大きかったのは、グリルパルツァーの戯曲『サッフォー』やラマルティーヌの詩「サッフォー」に描かれたような、美少年パオーンとの恋に破れ、レスボス島の断崖から海に身を投げる姿だった。


ボードレールは、まずレスボス島への呼びかけから始める。その第1詩節に関して、『悪の華』裁判で弁護を担当した弁護士は、「詩的な観点から見て、この詩節を手放しで賞賛しないことは不可能です。」と述べている。

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マリー・ローランサン 儚さを超えた美の画家

マリー・ローランサンは日本でとりわけ愛されている画家であり、アポリネールが「ミラボー橋」の中で彼女との失恋体験を歌った女性、さらには掘口大學の翻訳で知られる「鎮静剤(le Calmant)」を書いた詩人として、広く知られている。

Plus qu’ennuyée Triste.      退屈な女より もっと哀れなのは 悲しい女です。
Plus que triste Malheureuse.   悲しい女より もっと哀れなのは 不幸な女です。

画家で絵本作家のいわさきちひろは、儚げな女性たちを淡いパステル調で描いたローランサンの絵画をとりわけ好んだという。

このローランサン的な美の世界は、少々甘ったるいと感じる人々がいるかもしれないが、単におぼろげで夢幻的というだけはなく、彼女が20世紀前半の絵画の様々な傾向を吸収し、その上で個性的な表現として結晶化したものに他ならない。

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モディリアーニ 幸福な美を求めた画家 

アメデオ・モディリアーニ(1884-1920)の肖像画や裸婦像は、一目見れば彼の作品だとわかるはっきりとした個性を持っている。その特色があまりにも強いため、モデルとなった人物やポーズの違いをのぞくと、どの絵も同じように見えるかもしれない。

しかし、1906年にイタリアからパリにやってきて、貧しい画家たちが集まるモンマルトルを中心に活動を始めた時から、1920年に亡くなるまでの間に描かれた作品を年代を追って見ていくと、かなり違っている。

例えば、1910年の「青いブラウスの女性」(下左)と1918年の「青い眼の女」(下右)。
どちらもブルーを基調にし、一人のほっそりとした女性が無地の壁あるいは扉の前に立っているという部分では共通しているが、2枚の絵画の美しさは随分と違っている。こう言ってよければ、「青い眼の女」の方がはるかにモディニアーニ的だ。

ここでは、そのモディリアーニ的な美とはどのようなものなのか、見ていくことにする。

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佐伯祐三 パリの詩情

佐伯祐三は、フランスに留学して絵画を学んだ日本人画家の中で、パリの街の詩情を最も美しく表出した画家といっていいだろう。

彼の描く数多くのパリを見ればすぐにわかるように、佐伯は決して観光名所となるような建物や場所を対象としなかった。彼の眼が引き寄せられ、彼の眼が捉えたのは、普段着のパリの街並みだった。

最初のパリ滞在は、1924年(大正13年)1月から1926年1月までの約2年。二度目の滞在は、1927年(昭和2年)8月から翌年8月に病死するまでの約1年。そんなわずか3年の滞在で、花の都としてのパリではなく、ごく当たり前の街並みの発する魅力を感じ取り、日本的な感性をとりわけ主張することなく、一人の画家としてパリの美を表現した佐伯祐三。
彼の描いたパリの絵画が私たちに伝えるのは、穏やかだが生き生きとした抒情性。こんな街並みの中を歩き、呼吸したいと、誰もが憧れるだろう。

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中原中也 冬の長門峡 法悦的境地の景色

1936(昭和11)年11月10日、中原中也は最愛の息子文也を亡くし、深い深い悲しみの中で詩を綴り続けた。

死の直後には、「月の光」のように、癒しがたい悲しみをヴェルレーヌの詩句に似せた音楽的な詩句で歌うこともあった。(参照:中原中也 月の光 癒しがたい悲しみを生きる
翌年になると、苦悩を直接的に吐露し、1937(昭和12)年3月末に書かれたと推定される「春日狂想」では、「愛するものが死んだ時には、/自殺しなけあなりません。//愛するものが死んだ時には、/それより他に、方法がない。」などと公言することもあった。

「冬の長門峡」は、それらの日付に挟まれた1936年12月12日頃に書かれたと推測されている。
その時期、中也は「愛するものが死んだ時」の苦しみに苛まれていたが、しかし、故郷である山口県を流れる阿武川上流の美しい峡谷、長門峡(ちょうもんきょう)を背景にしたこの詩は、穏やかで静かな悲しみが世界を包み込み、大変に美しい。

冬の長門峡

長門峡に、水は流れてありにけり。
寒い寒い日なりき。

われは料亭にありぬ。
酒酌(く)みてありぬ。

われのほか別に、
客とてもなかりけり。

水は、恰(あたか)も魂あるものの如く、
流れ流れてありにけり。

やがても密柑(みかん)の如き夕陽、
欄干にこぼれたり。

ああ! ――そのような時もありき、
寒い寒い 日なりき。

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