なぜ人は「事実」より「理由」を求めてしまうのか 陰謀論の心理学

あるインタビューの中で、SF作家であり政治家でもある安野貴博が、興味深い指摘をしていた。

私はSF作家だからわかりますが、作家の思考回路と陰謀論を生成する思考回路はとてもよく似ている。脳みそに「妙に残っちゃう」ストーリーや、仮にそうだとしたら面白いと思うアイデアを生み出すところが(笑)。
https://books.bunshun.jp/articles/-/9738

確かに、単なる事実よりも陰謀論の方が「ロマン」があるように感じられるし、人間にとってフィクションと現実が切っても切れない関係にあることは確かである。

しかし、夢のあるサイエンス・フィクションとは異なり、悪をでっち上げ、それを攻撃することで成立する陰謀論は、決して社会を善い方向へは導かない。
いまや偽りの情報に対して、どれほど「正しい情報」を提示しても意味をなさない時代が到来している。「ポスト真実」という言葉さえ、すでに過去のものになりつつある。

こうした現状を踏まえ、ここでは「なぜ正しい情報は広がらないのか」という問いから出発し、「陰謀論のシステム」と「そこにハマる人々の心理」について、できる限り簡潔に考察していきたい。

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真理に達する道は一つではない — シンマクスによる多様性と寛容の勧め

「ただ一つの道によって、これほど大いなる神秘に到達することはできない。」

力で相手を打ち倒せばすべてが解決する、そんな発想からなのか、自己の正義を振りかざした戦争という愚かな暴力が、いまも世界各地で繰り返されている。
だからこそ、この言葉はいっそう強く心に響く。

Nous contemplons les mêmes astres, le ciel nous est commun, le même univers nous enveloppe.
Qu’importe par quelle sagesse chacun cherche la vérité ?
On ne peut parvenir par un seul chemin à un si grand secret.

私たちは同じ星を仰ぎ見ている。空はすべての人に共通であり、同じ宇宙が私たちを包んでいる。
いったい何が重要だろう、どのような叡智によって、人それぞれが真理を求めるのか、ということが。
ただ一つの道によって、これほど大いなる神秘に到達することはできない。

英語だとこんな風に訳される。

We look up at the same stars; the sky is common to us all; the same universe encompasses us.
What does it matter by what path each of us seeks the truth?
We cannot arrive at so great a secret by one route alone.

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言葉で伝えることの難しさ — 選挙や財政政策について考える

長い間、同業者の間でしか通じない言葉を使い続けてきたために、多くの人々に自分の言葉を伝えることの難しさを、日々痛感している。
論理的な整合性を重視し、主張を正当化するために論点を積み重ね、具体的な例を取り上げて分析し、結論を導き出すことで説得力を持たせることを目指してきた。こうした論の展開では、どうしても文章は長くなってしまう。
しかも、正確さを期そうとすればするほど、面白みは失われ、退屈なものになりがちである。

しかし、SNSの時代においては、一般書であっても一読してさっと理解できることが、読者を獲得するための最低限の条件となっている。分かりやすくなければ、読まれないのである。

とここまで書いてきて、既に文字数はすでに300字を超えている。すでに長く、言いたいことは何?と感じられるだろう。

で、何を言いたいのかと言えば、「言葉を読むことの難しさ」ということだ。
ここでは、(1)選挙、(2)積極財政と消費税、という二つの点について書いてみよう。

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土佐・桂浜で坂本龍馬像を前にして 「日本の夜明け」について考えた

高知に行けば、桂浜に行く。桂浜に行けば、龍馬の像を見上げる。たいていの人が、たぶん、そうなる。

いまの日本で坂本龍馬は、よく知られ、よく愛されている。薩摩と長州を結び、幕府を倒す流れに関わった人物であり、しかも明治維新の直前に暗殺されて、あっけなく人生が途切れる。史実だけでも十分に劇的だ。
けれど、人気の芯は別のところにあるのかもしれない。司馬遼太郎の『竜馬がゆく』で語られる「たとえどぶの中でも前向きに倒れて死ね」のような言葉や、「日本の夜明けぜよ」といった台詞のイメージが、彼の輪郭をいっそう明るく照らしている。龍馬はいつしか、前向きに生きることの代名詞になった。

そんなことを思いながら、桂浜の空を背にして立つ像の前に立った。潮の匂いと風の音のなかで、どうでもよさそうで、しかし一度浮かぶと消えない疑問がよぎった。
明治維新は、本当に日本の「夜明け」だったのだろうか。もし夜明けなら、その前の江戸時代は「闇」だったのだろうか。

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フランス人女性歌手(?)

これまで耳にしたことのなかったフランスの女性歌手を、YouTubeでたまたま聴いた。名前も経歴もよく知らないまま、ただ曲だけが流れてくる。それぞれに雰囲気があって、声の質も、歌い方も少しずつ違う。

最初に見つけたのは、Camille Brise(カミーユ・ブリーズ)。

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エジプトのピラミッドは縄文時代の技術で作られた?  

「日本の縄文時代は戦いがなく、技術的にも優れていて、” 実は ” エジプトのピラミッドの精巧な作りにも、縄文時代の技術が使われている。」

その説を耳にしたとき、ふと縄文時代の土偶が巨大なピラミッドの前に置かれている姿が目に浮かび、思わず笑ってしまった。
ピラミッドが建造されたのは、おおよそ紀元前3千年紀の半ばで、日本の縄文時代でいえば後期から晩期にかけての頃である。

その頃の住居は、地面を掘り下げて床を作り、柱を立てて屋根を支えた半地下式のものだった。

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現代の病 誤った正義感が生む攻撃性

SNS上では攻撃性が増し、発信者が、自分とは全く関係がなく、ネット上で流れてくるごくわずかな情報しか知らないにもかかわらず、そこから偽りの情報を作り出し、特定の人物に向かって激しい言葉を浴びせる状況が続いている。

例えば、妻を殺害された夫が、現場となったアパートを26年間借り続け、犯人逮捕につながった「名古屋主婦殺害事件」が報道された後、ネット空間では、この被害者遺族である夫が誹謗中傷され、新たな傷を負っているという。

名古屋市西区のアパートで1999年に住人の主婦、高羽奈美子さん=当時(32)=が刺殺された事件は、容疑者が逮捕されてから間もなく1カ月がたつ。この間、インターネット上では高羽さんの夫・悟さん(69)への「身内を売った商売」「闇がありそうな人物」といった誹謗(ひぼう)中傷が相次いでいる。虚偽内容の書き込みもあり、悟さんは愛知県警に被害届を出すことを検討している。
(中日新聞、2025年11月29日) 
https://www.chunichi.co.jp/article/1171289

なぜ、このような攻撃性がこれほど頻繁に起きてしまうのだろうか。

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世論の作られ方 マスメディアとソーシャルメディア  感情ヒューリスティック(affect heuristic)

現代社会では、情報を得るメディアが世代によって異なると言われている。
若年層とされる10〜30代では、TikTok、X、Instagram、YouTubeのショート動画など、いわゆるソーシャルメディアから多くの情報を得ている。
一方で、中高年層といわれる40歳以上では、テレビや新聞といったマスメディアに接する機会が多い。
こうした違いが、社会問題などに対する考え方や意見の差を生み出していると指摘されることもある。

確かに世代間で一定の差は見られるが、よく観察すると、ソーシャルメディアとマスメディアの間にはループ(循環構造)が存在し、実際には同じような心理的メカニズムが働いていることがわかる。
両者の違いは、共通する構造の上にありながら、情報発信の形態や文脈の違いに由来していると言える。

こうした全体的な視点のもとに、現代社会における「世論の作られ方」について考えていきたい。

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陰謀論を信じること

陰謀論を信じ、客観的な事実に基づいた証拠を示されても、決してその輪から抜け出せない人たちがいる。
2016年頃には「ポスト真実」という言葉が盛んに使われ、「客観的な事実ではなく、個人の信じることが真実とされる」傾向が強まったことが話題になった。
しかし現代では、「ポスト真実」という語さえも忘れられ、自分たちが信じる「事実」の真実性を問おうとする姿勢すら見られなくなっている。

かつて「言った者勝ち」という言葉があった。
今は、発信して“バズり”、再生回数や「いいね」という承認を得た者が利益を得る時代である。
「ファクトチェック」が意味をなさない時代、と言ってもいいかもしれない。

では、日々接している情報をそのまま信じ、反復し、情報源も事実性も確かめようとしない人々が、なぜこれほど増えているのだろうか。
彼らは決して悪意をもつ人々でも、知的に劣る人々でもないように思われる。むしろ社会的な問題に関心をもち、悪に対して義憤に駆られるタイプの人々のようにも見える。
それなのになぜ? そんな疑問が湧いてくる。

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宗教は平和をもたらすのか

私たちは、宗教は慈愛をもたらし、人々に平穏を与えるものだと、漠然と信じている。しかし、現実の世界に目を向ければ、キリスト教圏とイスラム教圏の対立は激しく、宗教的な衝突が戦争やテロを引き起こしている。歴史を振り返っても、キリスト教の内部ではカトリックとプロテスタントの間に殺戮があり、ユダヤ教徒への迫害も繰り返されてきた。現代のイスラム教においても、シーア派(イランなど)とスンニ派(サウジアラビアなど)の対立は続いている。

こうした現実を前にすると、「愛」を説くはずの宗教が、なぜ争いを生み出してしまうのかという問いがどうしても浮かんできてしまう。私自身、この疑問を長く抱いてきたが、柄谷行人による伊藤仁斎論を読んでいて、一つの答えに出会った。

柄谷が解説する儒学者・伊藤仁斎(1627-1705)の思想は、「私」と「あなた」という対の関係を出発点にしていて、その関係を一般化・抽象化することを拒む。ここに重要な視点がある。以下の引用を読んでいくと、宗教が実際の殺戮を抑止する方向に働かない理由が見えてくる。

仁とは愛であり、愛は「実徳」である。つまり、愛は、対関係においてのみある。それゆえに「実徳」なのだ。朱子は、仁を「愛の理」、すなわち愛の本質または本質的な愛とみなす。

(柄谷行人『ヒューモアとしての唯物論』「伊藤仁斎論」、p. 224.)

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