ランボー 「錯乱1 愚かな乙女」 Rimbaud «Délires I Vierge folle» 5/5 錯乱から昇天へ

告白の最後の部分に至り、愚かな乙女は再び地獄の夫の行動に言及し、その後、彼の言葉をそのまま繰り返す。

  « S’il m’expliquait ses tristesses, les comprendrais-je plus que ses railleries ? Il m’attaque, il passe des heures à me faire honte de tout ce qui m’a pu toucher au monde, et s’indigne si je pleure.
    « ― Tu vois cet élégant jeune homme, entrant dans la belle et calme maison : il s’appelle Duval, Dufour, Armand, Maurice, que sais-je ? Une femme s’est dévouée à aimer ce méchant idiot : elle est morte, c’est certes une sainte au ciel, à présent. Tu me feras mourir comme il a fait mourir cette femme. C’est notre sort, à nous, cœurs charitables… »

 もしあの人があの人の悲しみの数々を説明してくれるとしても、私がそれを理解できるでしょうか、あの人の嘲り以上に? あの人は私を攻撃し、この世で私の琴線に触れる可能性のあるもの全てを、何時間もかけて恥ずかしいと思わせるようします。そして、私が泣くと、腹を立てるのです。
 「ーー ほら、あのエレガントな若者、きれいで静かな家に入っていくだろ。名前はデュヴァルか、デュフールか、アルマンか、モーリス、そんな感じかな。一人の女があの無能なアホをどうしようもなく愛した。で、彼女は死んじまった。今じゃ、天国で聖女になってるだろうよ。お前も俺を死なせることになる、あいつが女を死なせたみたいにさ。それが俺たちの運命なんだ、慈悲の心を持った俺たちのな。」

(朗読は12分50秒から)
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アンヌ・二ヴァ(Anne Nivat) ロシアとウクライナ紛争の事実を伝えるジャーナリストのインタヴュー

アンヌ・ニヴァ(Anne Nivat)は、チェチェン、イラク、アフガニスタンなどの戦争を取材したジャーナリスト。
彼女は英語、ドイツ語、イタリア語、チェチェン語、ポーランド語、アラビア語を使いこなすだけではなく、両親がロシア関係の専門家だったためにロシア語が堪能で、ロシアとウクライナの戦争の取材にもあたっている。

インタヴューの中で、司会のヤン・ヴァルテス(Yann Barthès)が、今回のウクライナでの戦争の特色は何かと質問したのに対して、彼女はまず最初に、「戦争はみんな同じ。罪のない若者が死んでいる。」と答えている。
これが戦争の第一の現実なのだ。

その上で、今回の戦争の特色は、情報戦争(guerre informationnelle)だという。

彼女は、その情報戦の一方の視点に偏ることなく、現場の事実を事実として伝えようとする。
以下のURLでインタヴューを見ることができる。

https://www.tf1.fr/tmc/quotidien-avec-yann-barthes/videos/invitee-anne-nivat-analyse-la-guerre-en-ukraine-partie-1-15257307.html

https://www.tf1.fr/tmc/quotidien-avec-yann-barthes/videos/invitee-anne-nivat-analyse-la-guerre-en-ukraine-partie-2-76038157.html

ランボー 「錯乱1 愚かな乙女」 Rimbaud «Délires I Vierge folle» 4/5 悲しい楽園

愚かな乙女は、地獄の夫に捉えられた囚人のようだったと語った後、不安を抱えながらも彼女なりに幸福を感じていた様子を口にする。

 « Ainsi, mon chagrin se renouvelant sans cesse, et me trouvant plus égarée à mes yeux, ― comme à tous les yeux qui auraient voulu me fixer, si je n’eusse été condamnée pour jamais à l’oubli de tous ! ― j’avais de plus en plus faim de sa bonté. Avec ses baisers et ses étreintes amies, c’était bien un ciel, un sombre ciel, où j’entrais, et où j’aurais voulu être laissée, pauvre, sourde, muette, aveugle. Déjà j’en prenais l’habitude. Je nous voyais comme deux bons enfants, libres de se promener dans le Paradis de tristesse. Nous nous accordions. Bien émus, nous travaillions ensemble.

「そんな風にして、私の悲しみは絶えずぶり返し、自分の目から見てもますます道を踏み外していきました。ーー 私のことをじっと見つめようとしたかもしれないみんなの目からも、同じように見えたことでしょう、もし私が永遠にみんなから忘れられるという刑を宣告されていなければ! ーー 私はますますあの人の思いやりに飢えていきました。口づけや愛情のこもった抱擁があれば、天国でした。暗黒の天国です。私はそこに入りました。できれば、そこに取り残され、哀れで、耳が聞こえず、口がきけず、目が見えないでいられたらと思いました。そうしたことにはもう慣れていたのです。私には、私たち二人が善良な子供のように見えました。悲しい「楽園」を散歩する自由もありました。私たちはわかり合っていました。とても嬉しくて、一緒に働きました。

(朗読は9分0秒から。)
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ランボー 「錯乱1 愚かな乙女」 Rimbaud «Délires I Vierge folle» 3/5 生を変えてしまう秘密

愚かな乙女は、地獄の夫の乱暴で野蛮な側面に触れた後、今度は、優しい側面も数え上げる。

 « Parfois il parle, en une façon de patois attendri, de la mort qui fait repentir, des malheureux qui existent certainement, des travaux pénibles, des départs qui déchirent les cœurs. Dans les bouges où nous nous enivrions, il pleurait en considérant ceux qui nous entouraient, bétail de la misère. Il relevait les ivrognes dans les rues noires. Il avait la pitié d’une mère méchante pour les petits enfants. ― Il s’en allait avec des gentillesses de petite fille au catéchisme. ― Il feignait d’être éclairé sur tout, commerce, art, médecine. ― je le suivais, il le faut !

 「時々、あの人は穏やかな方言みたいな言い方で話すことがあります、死は悔いを引き起こすとか、不幸な人達が本当にいるんだとか、辛い仕事のこととか、旅立ちは心を引き裂くとか。安い酒場で私たちが酔っ払う度に、あの人は泣きました、周りにいる人達を惨めな家畜みたいにじろじろ見ながらです。真っ暗な通りでは、酔っ払いたちを起こしてあげたりもしました。あの人、幼い子供に対する意地悪な母親の同情心を持っていたんです。ーー 立ち去る時には、教会に信者のお勤めを教わりに行く女の子みたいな良い子の様子をしていたものでした。ーー どんなことでも知っている振りをしていました、商売も、芸術も、医学も。ーー 私はあの人の後をついていきました。それしかないんです!

朗読は5分40秒から
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脱西欧化する世界 désoccidentalisation

日本にいると、海外のニュースはアメリカの視点のものが主流なため、国際社会という言葉に代表される民主主義的で自由な思想が大部分の国々で共有され、その秩序に従わない全体主義的な国家が少数存在しているという印象を受ける。
しかし、そうした世界観はすでに崩れつつあり、とりわけアフリカなどでは、かつての植民地支配への反動もあり、脱西欧化が進みつつある。

国際関係を歴史的に研究しているトマ・ゴマールのインタヴューからは、世界が幾つかのブロックに分かれ、一元的な視点では捉えられない現実を理解することができる。

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ランボー 「錯乱1 愚かな乙女」 Rimbaud «Délires I Vierge folle» 2/5 醜悪で残酷になりたい

愚かな乙女(vierge folle)は、地獄の夫(époux d’enfer)に従う不幸を口にした後、今度は夫の言葉をそのまま書き写すことで、彼がどのような人間なのか浮き彫りにする。

その言葉は、作者ランボーが自分の言葉として書くのではなく、愚かな乙女(ヴェルレーヌ)の口を通すことで、ヴェルレーヌから見た地獄の夫(ランボー)の姿を反映していることになる。

 « Il dit : ” Je n’aime pas les femmes. L’amour est à réinventer, on le sait. Elles ne peuvent plus que vouloir une position assurée. La position gagnée, cœur et beauté sont mis de côté : il ne reste que froid dédain, l’aliment du mariage, aujourd’hui. Ou bien je vois des femmes, avec les signes du bonheur, dont, moi, j’aurais pu faire de bonnes camarades, dévorées tout d’abord par des brutes sensibles comme des bûchers… “

「あの人はこう言うのです。『女は好きじゃない。愛情ってのを、もう一度考え直さないといけない。わかっていることさ。女たちが望めるのは、今じゃ安定した立場だけ。その立場が手に入ったら、心も美もそっちのけ。残るのは冷酷な軽蔑さだけ。それが今は結婚生活の餌だ。幸福の印を持っている女たちが目に入ることもある。俺ならあいつらをいい仲間にすることもできただろう。そんな女たちが最初に乱暴者たちにがつがつ食われるんだ。薪の束みたいに感じやすい奴らにさ。』

(朗読は3分40秒から)
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ランボー 「錯乱1 愚かな乙女」 Rimbaud «Délires I Vierge folle» 1/5 ヴェルレーヌの目を通したランボーの自画像

アルチュール・ランボー『地獄の季節(Une saison en enfer)』の中心に位置する「錯乱(Délires)」前半には、「愚かな乙女(Vierge folle)」と題された散文詩が置かれている。

そこでは、ポール・ヴェルレーヌの目を通して描かれたランボーの自画像が描かれる。
他者の目を通した自画像?

1871年9月、ランボーはポール・ヴェルレーヌの呼びかけに応じて、シャルルヴィルを離れパリに向かう。その時、ランボーは17歳になる直前、ヴェルレーヌは27歳だった。
ヴェルレーヌは結婚して1年しかたっていなかったがランボーに夢中になり、翌1872年の夏から2人は北フランスやベルギーを通り、9月からはロンドンで暮らし始める。
しかし、2人の生活は平穏なものではなく、ランボーは何度かヴェルレーヌと別れようとして、フランスに戻ることもあった。それは、ランボーがヴェルレーヌに書き送った手紙の表現を借りれば、「喧嘩にあけくれ荒れた生活」だった。
その結末は1873年7月に訪れる。ブリュッセルで別れ話をする中で、ヴェルレーヌがランボーをピストルで撃ち、怪我をさせるという事件が起こる。その結果、ヴェルレーヌは約2年間、監獄に収監さることになる。

こうした経過を簡単に辿るだけで、2人の関係の中で、ランボーが男役、ヴェルレーヌが女役だったらしいことが推測できる。

「愚かな乙女」に目を移すと、最初に、地獄の夫(l’époux infernal)が、「地獄の道連れ(un compagnon d’enfer)の告白(la confession)を聞こう。」と話を始める。
次の、その内容が、彼の道連れである愚かな乙女(vierge folle)の打ち明け話(une confidence)として語られる。
夫はランボー、乙女はヴェルレーヌを思わせる。

その告白の中で、愚かな乙女が地獄の夫のことを延々と語り、言葉によって夫の肖像を描くとしたら、それは、ランボーがヴェルレーヌの視線を通して自分の肖像を描いていることになる。

その自画像でとても興味深いのは、ランボーの自己意識を知ることができると同時に、ヴェルレーヌに対する意識も知ることができることである。
ランボーにとって、ヴェルレールは何だったのか? 
そのヴェルレーヌにどのように見られていると思っていたのか?

こうした他者意識と、他者を通して見る自己意識という仕組みは、実は、私たちが自分について考える時の仕組みかもしれない。
そのように考えると、「愚かな乙女」がますます興味深い散文詩に思えてくる。

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ヴェルレーヌ  「ああ!主よ、私はどうしたのでしょう?」 Verlaine « Ah! Seigneur, qu’ai-je? » 『叡智』 Sagesse 選ばれてあることの恍惚と不安と

『叡智(Sagesse)』2部の最後に置かれた「その4 神が私に言われた(Mon Dieu m’a dit)」は9つの詩篇に分かれ、罪人(pécheur)である「私(je)」と神(Dieu)の間で交わされる対話によって構成されている。

「私」は、五感の官能に恍惚とする人間であり、神を愛することに値する人間ではない(indigne)と自覚し、神を愛することに恐れを感じ、ためらう。

他方、神は、「私(神)を愛せ(Il faut m’aimer)」と諭し続ける。そして、「私(Je)」が教会でミサを受け、心の平穏を味わうことが可能だと告げる。

その神の言葉を受けて、「私」は「ああ! 主よ、私はどうしたのでしょう? 」に至り、一見矛盾する心情を吐露することになる。

VIII

Ah ! Seigneur, qu’ai-je ? Hélas ! me voici tout en larmes
D’une joie extraordinaire: votre voix
Me fait comme du bien et du mal à la fois,
Et le mal et le bien, tout a les mêmes charmes.



ああ! 主よ、私はどうしたのでしょう? ああ! 私は涙にくれています、
尋常ではない喜びの涙に。あなたの御声が、
私に、善きことでもあり悪しきことでもあるようなことを、なしてくださいます。
悪と善と、全ては同じ魅力を持っています。

                   朗読は6分35秒から
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