ロンサール ガティーヌの森の樵に反対して Pierre de Ronsard Contre les bûcherons de la forêt de Gastine 3/3

ロンサールは、「さらば(Adieu)」という言葉を3度反復しながら、ガティーヌの森を3つの視点から描き出していく。
最初は、詩人にとっての森。二つ目は、過去の森と現在の森の対比。三つめは、古代ギリシアの神託の地としての森。

そして、こうした側面を浮かび上がらせた後、最後に、一つの哲学が提示される。その哲学の根本は、「素材(la matière)は残り、形(la forme)は失われる」というもの。
アリストテレスにおける質料/形相を思わせるこの最後の詩句には、どのような意図が込められているのだろう?


41-48行で歌われる「詩人にとっての森」に関しては、「最初に(premier)」という言葉が反復され、詩人としての「私」の起源がガティーヌの森にあることが示される。

Adieu, vieille forest, le jouet de Zephyre,
Où premier j’accorday les langues de ma lyre,
Où premier j’entendi les flèches resonner
D’Apollon, qui me vint tout le cœur estonner ;
Où premier admirant la belle Calliope,
Je devins amoureux de sa neuvaine trope,
Quand sa main sur le front cent roses me jetta,
Et de son propre laict Euterpe m’allaita. (v. 41-48)

(朗読は1分21秒から)
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ロンサール ガティーヌの森の樵に反対して Pierre de Ronsard Contre les bûcherons de la forêt de Gastine 2/3

「哀歌(Élégie)」第24番の第19 – 26行の詩句では、樵(bûcheron)に向かい、木を切るのは殺人と同じことだと、激しい言葉を投げかける。

それらの詩句を読むにあたり、16世紀と現代でつづり字が違うことがあるので注意しよう。
es+子音 → é  : escoute – écoute ; arreste – arrête ; escorce – écorce ; destresse – détresse ; meschant – méchant
e → é : degoute – dégoute ; Deesse – Déesse ;
oy → ai : vivoyent – vivaient
d – t : meurdrier – meurtrier

 Escoute, Bucheron, arreste un peu le bras.
Ce ne sont pas des bois que tu jettes à bas,
Ne vois-tu pas le sang lequel degoute à force
Des Nymphes qui vivoyent dessous la dure escorce ?
Sacrilège meurdrier, si on pend un voleur
Pour piller un butin de bien peu de valeur,
Combien de feux, de fers, de morts, et de destresses
Merites-tu, meschant, pour tuer nos Deesses ? (v. 19 – 26)

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ロンサール ガティーヌの森の樵に反対して Pierre de Ronsard Contre les bûcherons de la forêt de Gastine 1/3

ピエール・ド・ロンサール(1524-1585)の「エレジー(Élégie)」第24番は、森で木を切る樵に向かい、木から血が流れているのが見えないのかと詰問し、手を止めるように命じる内容の詩であるために、現在ではエコロジー的な視点から解釈されている。
そのために、しばしば詩の前半部分が省略され、樵に手を止めるようにと命じる詩句から始まり、「ガティーヌの森の樵に反対して」という題名で紹介されることが多い。

しかし、ヨーロッパにおいて、18世紀後半になるまで山や森は人間が征服すべき対象であり、16世紀に自然保護という思想は存在していなかった。
ロンサールも決してエコロジー的な考えに基づいていたわけではなく、アンリ・ド・ナヴァール(後のアンリ4世)が彼らの故郷にあるガティーヌの森を開墾し、売却することに反発するというのが、「エレジー」第24番に込められた意図だった。

ロンサールが悲しむのは、木を切る行為そのものではなく、旧教(カトリック)と新教(プロテスタント)の対立の時代に翻弄され、1572年のサン・バルテルミの虐殺を逃れたアンリ・ド・ナヴァールが、宮廷で生き延びていくための資金を得るために、ガティーヌの森を伐採することだった。
あるいは、旧教側を信奉するフランス国王の宮廷詩人だったロンサールが、新教側のアンリ・ド・ナヴァールを批難する意図を持って書かれたエレジー(哀歌)だとも考えられる。

そうした歴史を知ると、ロンサールが詩に込めた意味と、後の時代の解釈との間にずれが生じていることが明らかになる。
では、そうしたズレた解釈は、後世の誤りだと考えるべきだろうか?

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ロンサール ベルリの泉に Ronsard À la fontaine Bellerie 故郷の泉への祈祷

フランスでは16世紀半ばまで公用語はラテン語だった。フランス語が公用語になったのは、1539年に国王フランソワ1世がヴィレル=コトレで勅令を発布した時のこと。
それ以降、ピエール・ド・ロンサール(1524-1585)やジョアシャン・デュ・ベレー(1522-1560)たちは、地方語であるフランス語がラテン語に劣る言葉ではないと主張し、フランス語をラテン語に匹敵しうる優れた言語となるように努めた。

ロンサールがとりわけ注力したのは、言葉と音楽の融合だった。人物や事物を褒め称えることを目的としたオード(ode)においても、シャンソン(chanson)においても、リラを伴って歌われることを原則とした。詩句の音節数を一定にすることや、様々な押韻の規則は、現代の言葉で言えば歌詞となるようにするためだった。

『オード集』(1550)に収められた「ベルリの泉に(À la fontaine Bellerie)」では、ローマの詩人ホラティウスの「バンドゥリアの泉」に倣い、故郷にあるベルリの泉への愛と賛美を綴った。

その詩句は、一行が7音節に整えられ、韻はAABCBCB、しかもAとB女性韻でBは男性韻というように女性韻と男性韻が交互に続く。
それ以外にも、詩句のリズムや音色に精巧な仕組みが施され、ホラティウスのラテン語の詩句に劣らないフランス語の詩句が練り上げられている。

ロンサールの時代にはフランス語のつづり字がまだ定まっていなかった。そのために現代フランス語と多少違うところがあるが、ここでは古い時代のつづり字のままで、ロンサールの詩句を読んでいこう。

O Fontaine Bellerie
Belle fontaine cherie
De nos Nymphes, quand ton eau
Les cache au creux de ta source
Fuyantes le Satyreau,
Qui les pourchasse à la course
Jusqu’au bord de ton ruisseau.

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ギヨーム・アポリネール 二十世紀芸術への第一歩を踏み出した詩人 2/2

1870年前後に生まれたポール・ヴァレリー、マルセル・プルーストたちと、1880年に生まれたギヨーム・アポリネールには、約10歳の違いしかない。しかし、ヴァレリーやプルーストの作品が19世紀後半の面影を色濃く残しているのに対して、アポリネールのある時期からの作品になると、明らかに新しい時代の文学に足を踏み入れたことが理解できる。

その新しさは、1907年にマリネッティが発表した「未来派宣言」としばしば関係付けられ、20世紀初頭の科学技術の進歩によってもたらされた自動車や飛行機など最先端のテクノロジーを謳い、同時代の社会を芸術の対象とするところから来ているように思われる。
しかし、文学や芸術が同時代の事象を取り上げることは、19世紀初頭に、ルイ・ド・ボナルドが「文学は社会の表現である」と述べたように、ロマン主義や写実主義を通して100年に渡り、芸術の原則となっていたことだった。

アポリネールも確かに20世紀前半の新しい事物、例えばエッフェル塔や飛行機を題材にしているが、そのこと自体が新しさではなかった。
彼の試みは、対象に対する姿勢を変化させたこと。その変化を一言で言えば、対象を自然に見えるように再現するのではなく、対象を多元的に捉え、その本質的な存在のあり方を明らかにし、「新しい現実を創造する」ことだった。
その芸術観は、アポリネールと同時代の画家、パブロ・ピカソやジョルジュ・ブラックが開拓したキュビスムの絵画と対応している。

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ギヨーム・アポリネール 二十世紀芸術への第一歩を踏み出した詩人 1/2

ピカソ「アポリネールの肖像」

ギヨーム・アポリネールは、20世紀初頭の「エスプリ・ヌーヴォー(新しい精神)」を体現し、19世紀までの伝統を受け継いだ上で、20世紀芸術への扉を開いた最初の作家だといえる。

恋人であったマリー・ローランサンとの恋愛を歌った「ミラボー橋」は日本でもよく知られているが、彼の活動は詩だけではなく、小説や演劇、文学批評、美術評論など多様な分野に及んだ。
とりわけピカソを始めとするキュビスムの画家たちを理論的に支えたことは、アポリネール自身の作品にも反映し、19世紀芸術とは明確に異なる芸術観に基づく詩の創造へと繋がっていった。

その新しさを感じるためには、キュビスムの開始を告げるジョルジュ・ブラックの「グラン・ニュ(巨大な裸体)」とパブロ・ピカソの「アヴィニョンの娘たち」を見るといいだろう。
これらの絵画は、モデルとなった対象の再現を前提とした伝統的な絵画とは明らかに違う。モデルがあるにしても、それらを素材として使い、私たちの現実感とは異なる「新しい現実」とも呼べる独自の世界を作り出している。
アポリネールはこうした芸術を、ミメーシス(模倣)ではなく、ポイエシス(創造)と見なした。

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ロンサール 「もう骨だけで骸骨のようだ」 Pierre de Ronsard « Je n’ai plus que les os » 死の床で

16世紀を代表する詩人ピエール・ド・ロンサール(Pierre de Ronsard : 1524-1585)は、亡くなる直前、死の床で数編の詩を口頭で語り、友人に書き取ってもらった。
「もう骨だけで骸骨のようだ(Je n’ai plus que les os, un squelette je semble)」はその中の一編。

詩人は、自分の体が骸骨のように痩せ衰えてしまった状態をリアルに描き、最後は友人たちにユーモアを持った別れを告げる。
フランスにおけるソネット形式の完成者であるロンサールらしく、ソネット形式に則り、リズムや音色においても完成度が高い。

ソネット形式の基本は3つの項目からなる。
1)2つの四行詩と2つの三行詩 (計14行)
2)韻の繋がり:四行詩は、abba-abba(抱擁韻)、3行詩は、ccd-ede(平韻+交差韻)、あるいはccd-eed(平韻+抱擁韻)
3)女性韻(無音のeで終わる)と男性韻の交代:この規則はロンサールが作ったもの。

「もう骨だけで骸骨のようだ」はこうしたソネット形式の規則にほぼ完全に適合しており、ロンサールが後世に残した遺言として読んでみたい。

Je n’ai plus que les os, un Squelette je semble,
Décharné, dénervé, démusclé, dépulpé,
Que le trait de la mort sans pardon a frappé,
Je n’ose voir mes bras que de peur je ne tremble.

Apollon et son fils, deux grands maîtres ensemble,
Ne me sauraient guérir, leur métier m’a trompé,
Adieu, plaisant soleil, mon œil est étoupé,
Mon corps s’en va descendre où tout se désassemble.

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ラ・フォンテーヌ 死の女神と死につつある男 La Fontaine « La Mort et le mourant » 2/2 心の平安を得るための教え

第1の教訓の最後に置かれているのは、人間には死に対する心の準備ができていないという指摘だった。としたら、続く物語は、心の準備を説くものになることが予想される。

その物語は、ロレンツォ・アステミオの寓話「死を遅らせようと望んだ老人」を語り直したものであることが知られている。
アステミオの寓話では、一人の老人が、死神に向かい、まだ遺言を書いていないし、その他の準備もできていないので、死を遅らせて欲しいと懇願する。それに対して、死神はこう応える。「もうすでに十分予告はしてきた。お前は、様々な人が死ぬ姿をたくさん見てきたはずだし、目や耳が衰え、体全体も弱ったのを感じているはずだ。それなのに予告がなかったと言うのか? さあ、もうこれ以上遅らせる必要はない。」
その物語の後ろに、「常に目の前に死を見ているように生きること」という教訓が付け加えられる。

ラ・フォンテーヌの寓話では、老人の姿がアステミオの老人よりもずっと具体的に描かれる。

Un mourant qui comptait plus de cent ans de vie,
Se plaignait à la Mort que précipitamment
Elle le contraignait de partir tout à l’heure,
           Sans qu’il eût fait son testament,
Sans l’avertir au moins. Est-il juste qu’on meure
Au pied levé ? dit-il : attendez quelque peu.
Ma femme ne veut pas que je parte sans elle ;
Il me reste à pourvoir un arrière-neveu ;
Souffrez qu’à mon logis j’ajoute encore une aile.
Que vous êtes pressante, ô Déesse cruelle ! (v. 20 – 29)

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