ラ・フォンテーヌ 「死と不幸な人」と「死と木こり」 La Fontaine « La Mort et le malheureux »  « La Mort et le bûcheron » 死とどのように向き合うのか 1/3

 フランス語では人間のことをmortel(死すべき者)といい、死なない存在である神をimmortal(不死のもの)という。その言葉が示すように、人間は必ず死ぬ。人間は生まれた時から死に向かって進んでいくのであり、生きることは死への行進だと言ったりすることもある。

それにもかかわらず、あるいはそれだからこそ、私たちは死を恐れ、死を避けようとする。長寿を祝い、現代であれば、科学の力によって老化を防ぎ、極端な場合には、あるアメリカ人のように不死になることを試みようとする。災害で多くの人命が失われれば、悲しみ涙を流す。
死は何としても避けるべきもの。そうした認識はごく普通のことだ。

ただし、安楽死に対しては、意見が分かれるかもしれない。一方には、終末期の苦痛を和らげるためであれば、死を早めることは認められるという意見がある。他方には、生きることに手をつくすべきであり、死を助けることは殺人になると考える人々もいる。
論理的にどちらが正しいということはないのだが、世界で死の幇助が認められている国は現状では10未満であり、死に手を貸すことは違法という認識が大多数を占めているといっていいだろう。

ヨーロッパにおける死に対する思想を歴史的に振り返ると、大きくわけで3つの考えを指摘することができる。16世紀の思想家、ミッシェル・ド・モンテーニュは『エセー』第二巻三十七章「子供が父親に似ることについて」と題された章の中で、その3つを次のような言葉で説明した。

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アポリネール 「ゾーン」 Guillaume Apollinaire « Zone » 新しい精神の詩 7/7 四次元の現実

「ゾーン」第121-134行の詩節では、サン・ラザール駅や、ロジエ通り、エクフ通りという、パリに実在する建物や地名に言及され、アポリネールにとって身近な現実に基づき、さまよえるユダヤ人を思わせる移民たちについて語られていく。

アポリネールもローマ生まれの外国人であり、フランス国籍を取得したのは、1916年になってからだった。そのためもあり、1911年にモナリザ盗難事件に巻き込まれた際には、激しい差別的な攻撃を受けた。そのことは、アポリネールに、自らも移民者(émigrant)であることを強く感じさせたことだろう。

Tu regardes les yeux pleins de larmes ces pauvres émigrants
Ils croient en Dieu ils prient les femmes allaitent des enfants
Ils emplissent de leur odeur le hall de la gare Saint-Lazare
Ils ont foi dans leur étoile comme les rois-mages
Ils espèrent gagner de l’argent dans l’Argentine
Et revenir dans leur pays après avoir fait fortune
Une famille transporte un édredon rouge comme vous transportez votre cœur
Cet édredon et nos rêves sont aussi irréels
Quelques-uns de ces émigrants restent ici et se logent
Rue des Rosiers ou rue des Écouffes dans des bouges
Je les ai vus souvent le soir ils prennent l’air dans la rue
Et se déplacent rarement comme les pièces aux échecs
Il y a surtout des Juifs leurs femmes portent perruque
Elles restent assises exsangues au fond des boutiques (v. 121-134)

(朗読は8分52秒から)
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アポリネール 「ゾーン」 Guillaume Apollinaire « Zone » 新しい精神の詩  6/7 旅の思い出から「もう一つの現実」へ

「ゾーン」の89行目の詩句からは、世界各地への旅が始める。それはアポリネールの現実の体験に基づいていると考えられるが、そこから出発して、「もう一つの現実」が創造されていく過程だと考えてもいいだろう。

Maintenant tu es au bord de la Méditerranée
Sous les citronniers qui sont en fleur toute l’année
Avec tes amis tu te promènes en barque
L’un est Nissard il y a un Mentonasque et deux Turbiasques
Nous regardons avec effroi les poulpes des profondeurs
Et parmi les algues nagent les poissons images du Sauveur (v. 89-94)

(朗読は6分42秒から)
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アポリネール 「ゾーン」 Guillaume Apollinaire « Zone » 新しい精神の詩 5/7 パリの街の中を通り過ぎる美

「ゾーン」の71行目の詩句から始まる詩節になると、詩人の思いは再びパリに戻り、群衆の中を一人で孤独に歩く「お前(tu)」の姿が描き出される。
パリを背景とするその心象風景は88行目まで続くのだが、そこでは失恋の苦しみが画面全体の主な色調となりながら、美の姿へと焦点が向けられていく。

Maintenant tu marches dans Paris tout seul parmi la foule
Des troupeaux d’autobus mugissants près de toi roulent
L’angoisse de l’amour te serre le gosier
Comme si tu ne devais jamais plus être aimé
Si tu vivais dans l’ancien temps tu entrerais dans un monastère
Vous avez honte quand vous vous surprenez à dire une prière
Tu te moques de toi et comme le feu de l’Enfer ton rire pétille
Les étincelles de ton rire dorent le fond de ta vie
C’est un tableau pendu dans un sombre musée
Et quelquefois tu vas le regarder de près ( v. 71-80)

(朗読は5分18秒から)
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アポリネール 「ゾーン」 Guillaume Apollinaire « Zone » 新しい精神の詩 4/7 飛翔するものたちの群

「ゾーン」の42-70行で構成される詩節では、飛翔のイメージを軸として、アポリネールの自由な空想が羽ばたく。そこで繰り広げられるイメージは断片的で、それぞれの間に論理的な繋がりが見えない。

その一方で、単語の多義性や音の類似を利用した言葉遊びが多用され、キュビスムの絵画を思わせる不思議な世界が描き出されている。

Pupille Christ de l’œil
Vingtième pupille des siècles il sait y faire
Et changé en oiseau ce siècle comme Jésus monte dans l’air
Les diables dans les abîmes lèvent la tête pour le regarder
Ils disent qu’il imite Simon Mage en Judée
Ils crient s’il sait voler qu’on l’appelle voleur
Les anges voltigent autour du joli voltigeur
Icare Enoch Elie Apollonius de Thyane
Flottent autour du premier aéroplane
Ils s’écartent parfois pour laisser passer ceux que transporte la Sainte-Eucharistie
Ces prêtre qui montent éternellement élevant l’hostie. (v. 42-52)

(朗読は3分21秒から)
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アポリネール 「ゾーン」 Guillaume Apollinaire « Zone » 新しい精神の詩  3/7 飛翔の世界記録保持者 キリスト

アポリネールの「ゾーン(Zone)」の25行目からは、直前に出てきた「通り(la rue)」を連想の糸として、子ども時代の思い出が思い起こされる。

その際、1880年にローマで生まれたアポリネールが、母や弟と共にモナコに移住し、1888年から1895年まで通った学校で知り合いになったルネ・ダリーズ(本名ルネ・デュピュイ、ダリーズは文筆名)の名前が出てくることから、実際の体験がかなり反映していると考えられる。

Voilà la jeune rue et tu n’es encore qu’un petit enfant
Ta mère ne t’habille que de bleu et de blanc
Tu es très pieux et avec le plus ancien de tes camarades René Dalize
Vous n’aimez rien tant que les pompes de l’Église
Il est neuf heures le gaz est baissé tout bleu vous sortez du dortoir en cachette
Vous priez toute la nuit dans la chapelle du collège
Tandis qu’éternelle et adorable profondeur améthyste
Tourne à jamais la flamboyante gloire du Christ. (v. 25-32)

これが若い通り そして お前はまだ小さな子どもでしかない
かあさんがお前に着せる服は いつも青と白
お前はひどく信心深い そして 一番古くからの友だちルネ・ダリーズと一緒
お前たちが何よりも好むのは 教会の豪華な飾り
9時に ガス塔の炎が弱まり真っ青になる お前たちは寝室からこっそりと抜け出す
お前たちはお祈りを捧げる 夜の間中 学校の礼拝堂で
その一方で 永遠で 愛すべき アメジスト色の深みとなり
キリストの燃え上がる栄光が 永遠に回転する

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アポリネール 「ゾーン」 Guillaume Apollinaire « Zone » 新しい精神の詩 2/7 キュビスムとモデルニテ

「ゾーン(Zone)」は新しい精神(Esprit nouveau)に基づく詩の宣言として、アポリネールが詩集『アルコール(Alcools)』(1913)の冒頭に置いた詩であり、実際、19世紀後半のボードレールやマラルメ、その流れを汲むポール・ヴァレリーの詩と比べても、「新しさ」を感じさせる。

ここでは、7行目から14行目まで、そして15行目から24行目までの二つの詩節を読み、アポリネールが彼の生きている時代の素材をどのように詩の中に取り込んでいったのか見ていこう。

Seul en Europe tu n’es pas antique ô Christianisme
L’Européen le plus moderne c’est vous Pape Pie X
Et toi que les fenêtres observent la honte te retient
D’entrer dans une église et de t’y confesser ce matin
Tu lis les prospectus les catalogues les affiches qui chantent tout haut
Voilà la poésie ce matin et pour la prose il y a les journaux
Il y a les livraisons à 25 centimes pleines d’aventures policières
Portraits des grands hommes et mille titres divers            (v. 7-14)

ヨーロッパでただ一人、お前は古くさくない おお キリスト教よ
もっとも近代的なヨーロッパ人 それはあなた 教皇ピウス10世です
そして お前を窓たちが見張っている 恥がお前を捉え
教会の中に入いり 告解をしないようにする 今朝
お前が読むのは 広告 カタログ ポスター それらは大きな声で歌っている
そこに詩がある 今朝 そして 散文としては 新聞がある
25サンティームの週刊誌がある 刑事事件が満載だ
偉人たちの肖像もある 数多くのタイトルがついた三面記事もある

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アポリネール 「ゾーン」 Guillaume Apollinaire « Zone » 新しい精神の詩 1/7 エッフェル塔と自動車と

ギヨーム・アポリネールが1913年に発表した『アルコール(Alcoocls)』は、フランス詩の伝統を受容した上で、新しい時代の詩へと一歩を踏み出した詩集。その冒頭を飾る「ゾーン(Zone)」は、新しい詩とはどのようなものかを具体的に表現している。

その新しさは、最初の3行を読むだけですぐに気付くことができる。つまり、
どこにも句読点がない、いくつかの詩行で一つの詩節を形作るという形式が無視されている、12音節の詩句と散文のような詩句が混在している、詩の伝統的なテーマだけではなく、新しい時代の事物が取り上げられている、など、すぐにいくつかの点が指摘できる。

À la fin tu es las de ce monde ancien

Bergère ô tour Eiffel le troupeau des ponts bêle ce matin

Tu en as assez de vivre dans l’antiquité grecque et romaine (v. 1-3)

結局 お前はあの古い世界に疲れている

羊飼いの娘よ ああ エッフェル塔よ 橋たちの群がメーメー鳴いている 今朝

お前は 生きるのにうんざりしている ギリシアとローマの古代に

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ポール・ヴァレリー ”自己を見る自己”を見る詩人 2/2 「生」の変容を描く言葉のダンス

ポール・ヴァレリーが詩のおいて最も重視しているのは、意味と音の連動だった。詩的言語のリズムやハーモニーが生み出す音楽は、単に耳に心地よく響くというだけではなく、日常的に用いられる言語の意味を解体し、より強く感性に働きかけ、精神の活動を活発にする。

言語には感情を動かす力があり、その力は、直接的に意味を伝える実際的な力と混ざり合っている。詩人の義務、仕事、役割は、動かし魅了する力、感情の働きや知的な感受性を刺戟するものを明らかにし、活動させることだ。それらは、通常の言語の使用の中では、ごく当たり前で表面的な生活において使われる記号やコミュニケーションの道具と混同されている。(「ボードレールの状況」)

私たちの日常生活では、言葉は相手に自分の考えや感情を伝えるために使われる。それに対して、詩的言語は「言語の中のもう一つの言語」となり、通常の言語使用では伝えられないものを「暗示」し、人を魔法にかけるような「魅惑」を生み出す。

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ポール・ヴァレリー 「歩み」 Paul Valéry « Les Pas » 人は何を待つのか

ポール・ヴァレリーの詩句は、フランス語を母語とする人間であっても、理解するのに努力を要する。一読しても、二度三度と読み返しても、よくわからないことが多い。その一方で、ヴァレリーはヨーロッパを代表する知性と認められ、「海辺の墓地」を始めとした詩の評価も高い。

その理由は何か?
一つは、ヴァレリーの詩的言語が、通常の言語で伝えられる意味以上のものを作り出すことを目指していること。もう一つは、詩句が音楽的であり、その音楽性が通常の意味以上の意味を生成することに寄与していること。その2点にあると考えられる。
ヴァレリー自身の言葉で言えば、「詩とは、通常の言語が持つか、持つことができる意味以上の意味を担い、それ以上の音楽を含む文の連なり(=ディスクール)の野望である。」(ポール・ヴァレリー「ヴェルレーヌ横断」)

フランス語の詩を翻訳で読む限り、詩句の音楽性を感じることはできない。そのために、音楽と意味の連動を理解した上で、詩句が生み出す意味を把握することは難しい。
逆に言えば、ヴァレリーの詩をフランス語で読むことは、理解に努力を要するとしても、この上もなく幸せなことだ。

「歩み(Les Pas)」は、日常の言葉を理解するようにしても意味がよくわからない。その一方で、破裂音(p, t, 等)と鼻母音([ã],等)が中心となって作り出す詩句の音楽性ははっきりと耳に響く。そのことから、ヴァレリーの詩がどのようなものか体験するために、最適な例ではないかと思われる。

第一詩節は、« Tes pas procèdent. »(お前の歩みが進んでくる)というSVの構文。そのことを頭に入れた上で読んでみよう。

Les Pas

Tes pas, enfants de mon silence,
Saintement, lentement placés,
Vers le lit de ma vigilance
Procèdent muets et glacés.

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