無の美学 禅寺と枯山水

足利尊氏は統治政策として禅宗を重用し、支配制度を強化した。そのために、日本各地に禅寺の伽藍形式が広まった。
その過程で、僧の住居となる方丈などの庭園には、枯山水が好んで作られた。

禅宗様(ぜんしゅうよう)の建築物に禅の精神が貫かれているかどうかを知るのは難しいが、枯山水が禅的な無の思想に基づいていることを理解するのは比較的容易だろう。

ちなみに、14世紀後半に建造された金閣寺は、一階が和洋の住宅風、二階が和洋の仏堂風、三階が禅宗様(ぜんしゅうよう)の仏殿風という、折衷様式。

15世紀後半に建造された銀閣寺は、一階が和風の住宅、二階が禅宗様の仏道。こちらも二つの様式が共存している。

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クローデルと日本の美 Paul Claudel et la beauté japonaise

ポール・クローデルは、1923年、日光で、日本の学生達に向けた講演を行った。その記録が、「日本の魂を一瞥する(Un regard sur l’âme japonaise. Discours aux étudiants de Nikkô)」として、『朝日の中の黒い鳥(L’Oiseau noir dans la soleil levant)』に収められている。

彼の日本に対する観察眼は大変に優れたもので、日本人として教えられることが多い。その中でも、日本的な美として二つの流れを感じ取り、ヨーロッパ人にはわかりにくい美を具体的に解説している部分はとりわけ興味深い。

一つの流れは、浮世絵に代表されるもの。
もう一つは、高価な掛け軸としてクローデルが分析の対象としているもの。

喜多川 歌麿、納涼美人図
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ヴェルレーヌ 「カエルのように重く、鳥のように軽い」 Verlaine « Lourd comme un crapaud léger comme un oiseau » 日本の芸術を見るヴェルレーヌの目

ポール・クローデルは、優れた日本文学論「日本文学散歩(Une promenade à travers la littérature japonaise)」の冒頭で、2つのフランス詩を、極東精神の精髄を感知するための序曲として引用している。

一つがステファン・マラルメの「苦い休息にうんざり(Las de l’amer repos)」。
https://bohemegalante.com/2019/08/27/mallarme-las-de-lamer-repos/
もう一つがポール・ヴェルレーヌの「カエルのように重く、鳥のように軽い(Lourd comme un crapaud, léger comme un oiseau)」。

この二つの詩を比較して、クローデルは、マラルメの詩は古典的で完璧な手さばきを示している一方、ヴェルレーヌは走り書きで、より大きな自由が感じられると言う。

「カエルのように重く、鳥のように軽い」では、奇数の音節が詩句から重さを取り除いている。奇数の音節と軽さは、「詩法」の中でヴェルレーヌ自身によって主張されていた。
https://bohemegalante.com/2019/06/16/verlaine-art-poetique/
その上で、最後の詩句が17音節と特別に長く、それが詩人のサインの役目を果たしていると、クローデルは考える。

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マラルメ 「苦い休息にうんざり(・・・)」 Mallarmé « Las de l’amer repos [..] » 新しい芸術と日本

ポール・クローデルが、優れた日本文学論「日本文学散歩(Une promenade à travers la littérature japonaise)」の冒頭で、2つのフランス詩を、極東精神の精髄を感知するための序曲として引用している。

一つがステファン・マラルメの「苦い休息にうんざり(・・・)」。
もう一つがポール・ヴェルレーヌの「カエルのように重く、鳥のように軽い(Lourd comme un crapaud, léger comme un oiseau)」。
https://bohemegalante.com/2019/08/28/verlaine-ourd-comme-un-crapaud-leger-comme-un-oiseau/

ここでは、マラルメの「苦い休息にうんざり」を読んでみよう。
この詩は最初1866年に『高踏派詩集(Le Parnasse contempoarin)』に出版され、それまでの詩から、彼が目指す新しい詩への転換点を示していた。

クローデルは、その新しい詩を宣言する詩句だけを引用し、東洋精神、日本文学の序章として相応しいと考えた。
従って、19世紀後半のフランス詩と東洋的精神の間に何らかに関係を読み取ることもできるだろう。

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モンテヴェルディ 「オルフェオ」 Monteverdi « Orfeo » バロック・オペラの先駆け

Nicolas Poussin, L’Inspiration du poète

1607年に初演されたモンテヴェルディのオペラ「オルフェオ」。

モンテヴェルディは、オペラという形式の中で、音楽に劇的な表現を与え、ルネサンス音楽からバロック音楽への橋渡しをした。

物語は、ギリシア神話のオルフェウスの話に基づいている。

演奏は、レ・ザール・フロリッサン(Les Arts Florissants)。
ウィリアム・クリスティによって設立された古楽器オーケストラ及び合唱団。

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無の美学 禅と日本的美 序

日本的感性は、文献が残る奈良時代以来、はかなく、束の間の存在に美を見出してきた。平安時代には、もののあわれという美的感性も誕生する。

他方で、禅宗が本格的に日本に受容されたのは、13世紀の鎌倉時代であり、南北朝や室町時代にいたって世俗化する。
その過程で、諸行無常の感覚と禅的な無が結びつき、様々な形で具体化した。

14世紀以降、禅宗の寺院建築と石庭、枯山水が盛んに作られるようになる。
その内部に飾られるのは、水墨画、山水画、詩画軸。
能は、世阿弥によって飛躍的な発展を遂げ、舞台、能面、衣裳等も含め、総合芸術へと発展する。
佗び茶も総合芸術だ。茶室、掛け軸、陶器、生け花、そして会話術が一体となり、美の美学を生きたものとした。

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ヴィクトル・ユゴー 「夢想」 Victor Hugo « Rêverie » 現実と夢想

1820年代、ヨーロッパでは、オスマン帝国からの独立を宣言したギリシアへの関心が高まり、多くの芸術家の関心をかき立てた。
その代表の一つが、ドラクロワの1824年の作品「キオス島の虐殺」や、1826年の「ミソソンギの廃墟に立つギリシア」である。

Eugène Delacroix, Scènes des massacres de Scio
Eugène Delacroix, La Grèce sur les ruines de Missolonghi

1828年には、ヴィクトル・ユゴーも『東方詩集(Les Orientals)』を出版する。「夢想(Rêverie)」は、その詩集に収められている。

ユゴーは一度もオリエントを訪れたことはなく、詩集の中では知識と想像力によって作り挙げられたイメージが繰り広げられる。
「夢想」はその原理を読者に明かし、現実とイマジネーションの関係を垣間見させてくれる。

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バッハ「無伴奏チェロ組曲」 パブロ・カザルス演奏 Bach Suiten für Violoncello solo Pablo Casals

パブロ・カザルスは、バッハの「無伴奏チェロ組曲」の再評価に貢献した、20世紀最高のチェリスト。
日本のwikipediaに書かれている記述によると、有名な指揮者のフルトヴェングラーが、「パブロ・カザルスの音楽を聴いたことのない人は、弦楽器をどうやって鳴らすかを知らない人である」と言ったという。

1936年に録音された「無伴奏チェロ組曲」の全曲版。

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ヴィクトル・ユゴー 「影の口が言ったこと」 Victor Hugo « Ce que dit la bouche d’ombre » 自然の中の人間

ヴィクトル・ユゴーは降霊術に凝っていて、回るテーブルを囲み、霊とモールス信号のような交信をしていたことが知られている。
「影の口が言ったこと」 の影の口(la bouche d’ombre)というのは、その霊の口だろう。
ユゴー自身のイメージでは、ドルメンなのかもしれない。彼が描いた絵が残っている。

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ラヴィ・シャンカール Ravi Shankar インドの音楽

ラヴィ・シャンカールは、1960年代に世界的な名声を博したシタール奏者。
インドの文化を世界に広めるために大きな貢献をした。

ビートルズのジョージ・ハリスン、ボブ・ディラン、レオン・ラッセルや、クラシック音楽のユーディ・メニューイン(バイオリン)と競演したり、ジャズのジョン・コルトレーンに大きな影響を与えた。

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