日本語の文字表記(漢字、ひらがなの併用)と日本的精神

日本語の最も大きな特徴は何かと言えば、漢字、ひらがな、カタカナ、アルファベットなどを併用することだといえる。その歴史的な過程を辿ると、それが日本的な精神と関係していることがわかってくる。

古代の日本は無文字社会であり、活字は中国大陸から移入したものだった。「漢」字という名称がその由来を現在でも残している。英語で漢字はChinese characters、フランス語ではcaractères chinois。現在の日本で使われている漢字は中国語の漢字とはかなり違っているが、起源が同じであることに変わりはない。

しかし、私たちは漢字が外来のものだと意識することなく使っている。そのことが、日本的な精神の一つの表現かもしれないのだ。

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日本語と英語・フランス語の根本的な違い 概念と状況

英語やフランス語を勉強してもよくわからないことがある。その理由は簡単で、日本語に同じ概念がないこと。

例えば、中学や高校で過去形と現在完了形を教わったのだが、私には違いが明確にわからなかった。大学のフランス語の授業で接続法を教わったが、ただ活用を覚えただけだった。
それ以外にも色々とあるのだが、なぜそうしたことが起こるかといえば、日本語表現がベースとするものと、英語やフランス語のベースとするものが違っているからだ。

そうした違いを、実際の生活の中でも感じたことがある。
フランスで話をしていて、神戸に住んでいると言うと、東京から何キロ?と聞かれることがあった。そんな時、私は何キロか知らないので、新幹線で3時間ちょっとと答えたりしていた。
また、初めてフランスに来たのはいつかと質問されると、20数年前とか、もう随分前のこと、とか答えていた。しかし、フランス人の知り合いは、1998年といった年号で言うことが多いことに気づいた。

ここからわかるのは、日本語を母語にする者にとって、物事を表現するときの基準が「私」にあり、空間的にも、時間的にも、「私」からの距離を表現する傾向にあるということ。
逆に言うと、「私」とは直接関係しない客観的な基準に基づいて表現することが少ないことになる。
実際、「コロナでマスクをしないといけなくなったのはいつから?」と聞かれて、「もうけっこうになる」とか「2・3年前から」と答え、年号で答えることは少ないだろう。

こうした違いがあるにもかかわらず、日本語と英語、フランス語などの根本的な違いがあまり語られないのには理由がある。
現在の国語(日本語)文法が整えられたのは明治時代初期のことであり、西洋の文典に基づき日本語の文法が編纂された。つまり、国文法は西洋語の文法の応用として作られた。
そのために、日本語と欧米の言語の根本的な違いが見過ごされる傾向にあると考えられる。

ここでは、その違いについて簡単に考えてみたい。

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映画と時代の感性  帰らざる河  ロード・オブ・ザ・リング  ペンタゴン・ペーパーズ

映画は映画として見ることが大切だとはわかっているのだが、それでも、時代の違いによる感受性や倫理観でつまずいてしまうことがある。

たまたまテレビでやっていたという理由で「ロード・オブ・ザ・リング」、「ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書」を見て感じていたのだが、1954(昭和29)年に公開された「帰らざる河」になると、至るところで違和感を感じてしまった。(そんな見方をしたら、映画が面白く見れなくなってしまうのはわかっているのだが・・・。)

このブログを書くために「帰らざる河」の予告編をyoutubeで探していたら、日本での映画紹介があった。それを見ると、違和感を感じた部分がまさにメインになって切り取られている。

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ネルヴァル 「ミルト」 Nerval Myrtho 今を永遠に

「ミルト(Myrtho)」はネルヴァルの中編小説集『火の娘たち(Les Filles du feu)』(1854)の最後に挿入された「幻想詩篇(Les Chimères)」の中のソネット(4/4/3/3の14行で構成される詩)。

「幻想詩編」は、ネルヴァルの精神が混乱し、彼自身の言葉を使うと、「ドイツ人なら超自然主義と呼ぶような夢想状態で」創作されたために、理解が難しいと考えられることが多い。
「最後の狂気は自分を詩人だと思い込んでいること」という告白らしい言葉を残しているのだから、ますます、「幻想詩編」の詩句が混沌としていると信じられてきた。
確かに、読んですぐに理解でき、詩としての味わいを感じられる、ということはないだろう。

しかし、先入観を持たずに読んでいると、分かりにくさの理由は精神の混乱によるのではないことがわかってくる。理解を困難にしている第一の理由は、わずか14行の詩句に、地理、神話、宗教、歴史などに関する知識が埋め込まれていることから来る。
実際、ネルヴァルは博識な詩人であり、各種の豊かな知識を前提として創作を行った。しかも、彼と同じように博識な読者を煙に巻き、面白がるところがある。
「幻想詩編」は、「ヘーゲルの哲学ほどではないが理解が難しく、しかも、解釈しようとすると魅力が失せてしまう。」とネルヴァルが言うのも、皮肉とユーモアの精神からの発言に違いない。

「ミルト」の場合には、ポジリポ、イアッコス、ヴェルギリウスなどにまつわる知識が、ネルヴァル独自の連想を呼び起こし、一見混沌とした世界を浮かび上がらせる。

しかし、その一方で、詩の形式に関しては、非常にバランスが取れ、古典主義的な抑制がなされている。
12音節の詩句(アレクサンドラン)は、基本的に6/6で区切れ、リズムが均一に整えられている。
韻の形は、2つの4行詩(カトラン)では、ABBA ABBAで、2つの音。
enchanteresse – tresse – ivresse – Grèce / brillant – Orient – souriant – priant
3行詩(テルセ)に関しても、CDC DDCで、こちらも2つの音だけ。
rouvert – couvertvert / agile – argile – Virgile

その上、韻となる母音の前後の子音や母音も重複し(rime riche)、声に出して読んでみると、それらの単語が互いにこだまし、豊かに響き合っていることがはっきりとわかる。

このように、「ミルト」の詩句は安定したリズムと豊かな音色で輪郭が明確に限定されていて、狂気による混乱などどこにもない。
朗読を聞くか、あるいは自分で声に出して読んでみると、単調なリズムを刻む中、心地よいハーモニーが奏でられていることを実感できる。

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マラルメ 牧神の午後 Mallarmé L’après-midi d’un faune 6/6 逃れ去る美の影を求めて

膨らめた「思い出」の最後、獲物のニンフは逃げ去ってしまう。そこで牧神は、それまでの思いを断ち切るかのように「仕方がない(Tant pis)!」と口に出し、意識を他所の向けようとする。

Tant pis ! vers le bonheur d’autres m’entraîneront (93)
Par leur tresse nouée aux cornes de mon front :
Tu sais, ma passion, que, pourpre et déjà mûre,
Chaque grenade éclate et d’abeilles murmure ;
Et notre sang, épris de qui le va saisir,
Coule pour tout l’essaim éternel du désir.

仕方がない! 幸福に向かって、別の女たちが、おれを連れていってくれるだろう、(93行目)
彼女たちの髪を、おれの額の角に結んで。
お前は知っている、おれの情念よ、真っ赤に色づき、すでに熟した、
一つ一つのザクロが破裂し、蜜蜂でざわめいているのを。
おれたちの血は、それを捉えようとする者に夢中になり、
流れていく、欲望の永遠の群全体のために。

(朗読は6分53行から)
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マラルメ 牧神の午後 Mallarmé L’après-midi d’un faune 5/6 一と多の戯れ

空のブドウの房に息を吹き込み、そこから立ち上る旋律がもたらす酔いを熱望すると語った後、62行目になると、牧神はニンフたちに、思い出(SOUVENIRS)を再び膨らめようと語り掛ける。

その際、SOUVENIRSという言葉が大文字で書かれる。その大文字は、25行目でシチリア島の岸辺に向けて「CONTEZ(物語ってくれ)」と言ったことを思い出させる。
ここで息を吹き込み膨らめる思い出は、必ずしも現実に起こったことを思い出すのではなく、牧神とシランクスの神話に基づいた物語あるいはフィクションである可能性もある。

そのSOUVENIRSは63行目から92行目まで続くが、3つの部分に分けられる。
最初(63-74)と最後(82-92)は直接話法を示すカッコが使われ、文字はイタリック体に置かれる。その間に置かれた2番目の部分(75-81)は、地の文に戻る。

思い出は、森の中で宝石を思わせる美しい存在を目にすることから始まる。

Ô nymphes, regonflons des SOUVENIRS divers.  (62)
» Mon œil, trouant les joncs, dardait chaque encolure
» Immortelle, qui noie en l’onde sa brûlure
» Avec un cri de rage au ciel de la forêt ; 
» Et le splendide bain de cheveux disparaît
» Dans les clartés et les frissons, ô pierreries !
» J’accours ; quand, à mes pieds, s’entrejoignent (meurtries (68)
» De la langueur goûtée à ce mal d’être deux)
» Des dormeuses parmi leurs seuls bras hazardeux :
» Je les ravis, sans les désenlacer, et vole (71)
» À ce massif, haï par l’ombrage frivole, 
» De roses tarissant tout parfum au soleil,
» Où notre ébat au jour consumé soit pareil.

おお、ニンフたちよ、再び膨らめよう、様々な「思い出」を。 (62行目)
「おれの眼差しは、葦の茂みを穿ち、一つ一つの首筋を射貫いた、
その不死の首筋は、波の中に沈める、焼けた跡を、
森の上の空に向かい、怒りの叫び声を上げながら。
そして、水と溶け合う髪の輝かしい塊が、消え去っていく、
光と震えの中に、おお、宝石よ!
おれは駆け寄る。おれの足元で、絡み合うのは、(傷ついている、(68行目)
二人であるという傷みから味わう倦怠によって、)
眠る女たち、彼女たちの危険をはらむ腕だけが彼女たちを取り込む。
おれはあいつたちを捕まえる、二人を引き離すことなく、そして飛んで行く、 (71行目)
あの茂みへと、気まぐれな木陰に憎まれ、
太陽の下、香り全てを涸らしてしまうバラたちの茂みへと。
そこで、おれたちのお遊びは、燃え尽きた日差しに似たものになる。」

(朗読は4分46秒から)
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マラルメ 牧神の午後 Mallarmé L’après-midi d’un faune 4/6 ブドウの空の房がもたらす陶酔

38-51行の詩句から構成される詩節において、牧神は、最初、夢の中のニンフたちとの感覚的な接触に思いをはせるが、次にはそれらの思いを振り払い、双子の葦から生まれる音楽の秘法(arcane)について語る。

次の詩節(52-61行)では、音楽についてさらに考察が深められ、空のブドウの房(la grappe vide)から発せされる音楽の中で、陶酔を希求する(avide d’ivresse)牧神の姿が浮かび上がる。

ドビュシーが作曲した「シランスク」を耳にすると、マラルメが求めた陶酔をしばしの間感じることができる。
詩句を読む前に、ほとんど無調で単調とも感じられる単旋律の調べが夢想へと誘うフルートの独奏に耳を傾けてみよう。

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マラルメ 牧神の午後 Mallarmé L’après-midi d’un faune 3/6 原初のラ音を求めて

第23行目から、牧神は突然シチリア島にある沼地の岸辺に話しかける。
シチリア島は、長靴の形をしたイタリアの先端に位置し、ギリシア文明との関係が深く、古代文明を彩る神話の世界を連想させる。

Ô bords siciliens d’un calme marécage
Qu’à l’envi des soleils ma vanité saccage,
Tacites sous les fleurs d’étincelles, CONTEZ

おお、静かな沼の、シチリア島の岸辺、
そこを、太陽と競い合い、おれの虚栄心が荒廃させる、
キラキラと輝く花々の下で黙りこんでいる岸辺よ、”次のように語ってくれ”、

(朗読は1分53秒から)
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マラルメ 牧神の午後 Mallarmé L’après-midi d’un faune 2/6 人工のインスピレーション

牧神は、8行目から22行目にかけて、夢で見たニンフについて具体的に語り始める。
その内容は二つに分かれ、8-13行では、泉と風よる五感の刺激から二人のニンフが生まれたのだと空想する。しかし、14-22行ではその考えを否定し、牧神の持つ笛(ma flûte)の二つの管から発する音=息吹に思いをはせる。

こうした考察を開始する8行目の詩句は、前の4音節(Réfléchisson)と続く8音節と分断され、その間に「余白」が挿入されている。

Réfléchissons…

                        ou si les femmes dont tu gloses
Figurent un souhait de tes sens fabuleux !
Faune, l’illusion s’échappe des yeux bleus
Et froids, comme une source en pleurs, de la plus chaste :
Mais, l’autre tout soupirs, dis-tu qu’elle contraste
Comme brise du jour chaude dans ta toison ?

よく考えてみよう・・・

                              もしもお前の悪く言う女たちが
お前の驚くべき感覚の願望を形にしているのだとしたら!
牧神よ、幻が逃れ出ていく 青く
冷たい目から、涙の泉のように、このうえなく清らかな女の目から。
だが、もう一人の女はため息ばかり、お前はこう言うのか? 彼女は対照をなす、
日中の風のように、お前の体毛の中で熱を発する風のように、と。

(朗読は、46秒から)
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