ポール・ヴァレリー 「海辺の墓地」 Paul Valéry « Le Cimetière marin » 4/4

第19詩節で言及された、生を生き、「私」から離れない、真の齧歯類(le vrai rongeur)とは何か?

墓石の下では死者たちを蝕み、個体を崩し、大地にしてしまう。
では、地上では、何をかじるのか?
その対象は、「正確さに対する限りない欲望」を抱いた意識ではないだろうか。

その欲望が「私」を苛み、意識は、自己へ向かう愛、あるいは憎しみになる。

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トミー・フラナガンの心温まるジャズ・ピアノ エラ・フィッツジェラルドに捧ぐ

ジャズ・ピアニスト、トミー・フラナガンが、病気で入院していたエラ・フィッツジェラルドに捧げたアルバム« Oh Lady, bee good, for Ella »は、心温まる演奏に満ちている。
エラは病室で、トミーのCDをずっと聞いていたという。

最初に、本当に美しい« Alone too long »を聞いてみよう。「長すぎる孤独」は淋しい題名だが、しかし、この演奏は孤独を美しい時間に変えてくれる。

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ポール・ヴァレリー 「海辺の墓地」 Paul Valéry « Le Cimetière marin » 3/4

第10詩節から第19詩節にかけて、墓地に眠る死者たちに関する瞑想を中心に、現実と不在、個と普遍、肉体と精神に関する問いかけが行われる。
10詩節60行に及ぶ詩句は安易に理解できるものではなく、理解するためには精神の集中が必要になる。

まず最初に、詩句の音楽性を感じるため、もう一度youtubeで朗読を聞いておこう。(第10詩節は、4分35秒から。)

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ラ・フォンテーヌ 熊と庭の愛好者 La Fontaine « L’Ours et l’amateur des jardins » 閉じこもりと触れあい

コロナウィルスのためにフランス中で外出禁止例が出され、多くの人が必要な場合以外、家から外に出ない状態(confinement)が続いている。(2020年3月27日現在。)
そんな時、ファブリス・ルキーニがネット上で、ラ・フォンテーヌの寓話「熊と庭の愛好者」L’Ours et l’amateur des jardinsを朗読したことが話題になっている。
https://www.actualitte.com/article/monde-edition/confinement-fabrice-luchini-nous-lit-les-fables-de-la-fontaine/99871

この寓話、フランス的なユーモアと皮肉がたっぷりで、実に面白い。

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ハイドンの初期交響曲 清々しいハーモニー

ハイドンの名前はクラシック音楽としてはよく知られているが、残念ながら、あまり多く聴かれているとはいえない。
でも、実際に聴いてみると、実に清々しく、いい気持ちにしてくれる。

18世紀の半ば(1757年頃)作曲されたとされる最初の交響曲、第37番を手始めに聴いてみよう。
指揮はアンタル・ドラティ。フィルハーモニア・フンガリカの演奏。

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ポール・ヴァレリー 「海辺の墓地」 Paul Valéry « Le Cimetière marin » 2/4

第5詩節から第9詩節において、「私(Je)」が「魂(âme)」に語り掛けるという行為を通して、変化=動きが生まれる瞬間が捉えられている。

その変化とは、「私」の中で魂と肉体が分裂すること。
それはまだ完全には起こっていず、今起こりつつあるか、未来(futur)に起こりうる出来事として提示される。
その意味で、5つの詩節で描かれる事象は、思考の冒険に他ならない。

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アート・ブレーキーとジャズ・メッセンジャーズ 「ア・ラ・モード」 Art Blakey & the Jazz Messengers « À la Mode » 気持ちを前向きにしてくれるジャズ

アート・ブレーキーとジャズ・メッセンジャーズの「ア・ラ・モード」は、わずか7分弱の曲だけれど、演奏の推進力がこれでもかというほど強く、いつ聴いても気持ちを前向きにしてくれる。

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ポール・ヴァレリー 「海辺の墓地」 Paul Valéry « Le Cimetière marin » 1/4

ポール・ヴァレリーの「海辺の墓地(Le Cimetière marin)」は、詩人が、生まれ故郷である南フランスのセットにある墓地に腰を下ろし、地中海の美しい海を眺め、瞑想にふけるところから始まる。そして、様々な思索を繰り広げた後、堀辰雄の訳で有名な「風立ちぬ、いざ生きめやも」という詩句をきっかけにし、現実へと意識を移すところで、終わりを迎える。

10音節の詩句が6行で一つの詩節を構成し、それが24続く長い詩を、4回に分けて読んでいこう。

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風立ちぬ 生きることと美の探究と

「風立ちぬ」は、「紅の豚」の延長線上にあるアニメだといえる。

主人公の堀越二郎は、飛行機の設計技師。彼の友人である本庄は、兵器としての戦闘機を制作し、彼の爆撃機は殺戮兵器として空を飛ぶ。
それに対して、二郎は、「ぼくは美しい飛行機を作りたい。」と言い、実用ではなく、美を追い求める。

そうした対比は、「紅の豚」においては、イタリア軍のエースパイロットであったマルコと、軍を離れ自由に空を飛ぶことの望むポルコの対比として表されていた。
https://bohemegalante.com/2020/03/12/porco-rosso/

そうした類似に基づきながら、「風立ちぬ」では、美にポイントが置かれ、さらに、二郎と菜穂子の恋愛物語が、もう一つの側面を形成している。

その恋愛物語は、堀辰雄の『風立ちぬ』に多くを負いながら、生と死の複雑な関係を通して、生きることの意味を問いかけている。

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