
フランスの18世紀は啓蒙主義と呼ばれる時代。
フランス語では、Siècle des lumières(光の世紀)。光とは、一言で言えば、人々の「無知」を照らす「理性の光」。
合理的な思想が支配的になるに従い、科学による証明が真理の条件となり、物理的に確認できないものは疑いの対象となる。
そうした物質主義的な哲学思想の発展は、キリスト教が支配的な社会の中で、信仰を問題にすることにつながった。
キリスト教では、神の啓示や奇跡を信じることが前提となる。
理性的に考えると認められない事柄が、超越的な神によって行われたことを信じることが、信仰の基礎である。神の言葉や奇跡を疑うことは、信仰からはずれることになる。
他方、啓示や奇跡は、理性的な思考では受け入れることができない。科学的に証明することも不可能である。
そこで、神の存在を否定し、「無神論(Athéisme)」を主張する人々がでてきても不思議ではない。
実際、18世紀フランスの思想家の中でも、ディドロやドルバックは無神論者と呼ばれた。
もう一つの考え方は、「理神論(déisme)」。
理神論では、創造原理としての神の存在は認めるが、創造された後の世界は、ネジを巻かれた時計のように、自然の法則に従い活動を続けると考える。
その結果として、人格を持った神(例えばイエス)の存在を認めず、啓示、予言、奇跡等を否定し、、理性に基づいた信仰を模索した。
その理神論を代表するのがヴォルテール(1694—1778)。
彼の『寛容論(Traité sur la tolérence)』(1763)の第23章「神への祈り(Prière à Dieu)」は、汎神論を最もよく表現している著作として知られている。