摩耶山 楽生神社 観音寺堰堤

摩耶山・五鬼城展望公園のさらに先には、かつて「楽生神社(らくしょうじんじゃ)」があった。
六甲山・摩耶山の豊かな「水」への信仰を背景に、「水神(みずのかみ)」を祀る社として創建されたと伝えられている。山からの恵みへの感謝と水害防止を祈る場所であり、古くから地域の人々に守られてきた。

旧社地付近には、現在「観音寺堰堤(かんのんじえんてい)」が築かれており、古い石積みの土留めや、どこか厳かな雰囲気が今なお漂っている。

この堰堤は、昭和42年(1967年)7月の六甲豪雨による大水害の後、本格的な改築・整備が行われた。
コンクリート壁の表面に施された美しい石張りは、昭和中期の六甲山系における砂防工事の大きな特徴である。明治から大正期にかけて築かれた古い石造り堰堤の技術と美観を受け継ぎつつ、昭和の高度経済成長期以降のコンクリート技術を融合させて造られた。

地名の由来となった「観音寺」は、観音寺川(観音寺谷)を登った、現在の楽生公園跡や観音寺堰堤がある鬱蒼とした森の周辺にあった。

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摩耶山 忉利天上寺 焼失以前の姿

摩耶山の頂上付近にあった忉利天上寺(とうりてんじょうじ)は、646年(大化2年)に開創された。その後、空海(弘法大師)が仏の母である摩耶夫人(まやぶにん)像を、留学先の唐から持ち帰り、この寺に奉安したと考えられている。なお、寺名の「忉利」は、摩耶夫人が死後に転生したとされる天界 ── 忉利天(とうりてん)に由来する。

このように由緒ある寺だが、大変に残念なことに、1976年(昭和51年)1月30日に放火され、仁王門など一部を除いて全焼してしまった。現在は、北方約1kmに位置する摩耶別山に場所を移して再建されていて、旧天上寺の跡地は摩耶山歴史公園として残されている。

この奥には、三権現社(さんごんげんしゃ)の跡もある。

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沼島 おのころ神社 上立神岩

沼島 ( ぬしま ) は南あわじ市の沖に位置する離島で、イザナギ・イザナミが「国生み」で最初に作った「おのころ島」だという伝説が残っている。

日本の神話では、イザナギ(伊邪那岐)とイザナミ(伊邪那美)の二神は、天浮橋(あめのうきはし)に立ち、別天津神(ことあまつがみ)たちから与えられた天沼矛(あめのぬぼこ)を持ち、渾沌とした地上を掻き混ぜる。矛から滴り落ちたものが積もって淤能碁呂島(おのごろじま)となる。

沼島へは、土生港より船に乗って向かう。

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