マラルメ 白鳥のソネ 「手付かずのまま、生き生きとした、美しい今日が」 Mallarmé Le vierge, le vivace et le bel aujourd’hui 白鳥(詩人)の肖像

マラルメの詩はとにかく難しい。というか、何が書いてあるのかほぼ不明だということが多い。それにもかかわらず高く評価され、20世紀以降の文学の始祖のように見なされることもある。
理解不可能に思える詩を書いた詩人に、なぜそうした高い評価が与えられるのだろうか?

ここでは、マラルメの目指した「詩」について考えながら、理論の実践として、「手つかずのままで、生き生きとした、美しい今日(le vierge, le vivace et le bel aujourd’hui)」を読んでいこう。

実際、この詩も、他のマラルメの詩と同様、普通に読んだだけでは意味がほとんどわからない。
その一方で、音色についてははっきりとした特色があり、14行のソネット全ての詩行で [ i ]の音が何度も耳を打つ。

Le vierge, le vivace et le bel aujourd’hui
Va-t-il nous déchirer avec un coup d’aile ivre
Ce lac dur oublié que hante sous le givre
Le transparent glacier des vols qui n’ont pas fui !

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マラルメ 「聖女」 Mallarmé  « Sainte »  詩=音楽

ステファン・マラルメは、20世紀以降のフランス文学に対して大きな影響を及ぼし、21世紀の現在でも文学批評の中で主題的に語られることがしばしばある。
その一方で、彼の詩は理解するのが難しく、詩そのものとして味わいを感じる機会はそれほど多くない。

マラルメは詩における音楽性の重要性を強調した。そして、彼の詩句が生み出す美の大きな要素は、言葉の奏でる音楽から来る。

その音楽は、日本語の翻訳では決して伝わらない。
また、たとえフランス語で読んだとしても、通常の言語使用を故意に混乱させ、意味の流通を滞らせることを意識した詩的言語で構築されているために、一般のフランス人読者だけではなく、文学研究を専門にするフランス人でも、マラルメの詩は難しいとこっそり口にすることがある。

そうした中で、日本の一般の読者がマラルメの詩を読むことの意義がどこにあるのかと考えることも多々あるのだが、しかし、せっかくフランス語を読むことができ、フランスの詩をフランス語で読む楽しみを知る読者であれば、難しい課題に挑戦し、少しでもマラルメの詩句の音楽性を感じられれば、それは大きな喜びとなるに違いない。
そんな期待をしながら、「聖女(Sainte)」を読んでみたい。

この詩では、音楽の守護聖女である聖セシリア(Sainte Cécile)が取り上げられ、詩の音楽性が主題的に歌われている。

まず最初に、意味は考えず、詩句の奏でる音楽に耳を傾けてみよう。

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マラルメ 牧神の午後 Mallarmé L’après-midi d’un faune 6/6 逃れ去る美の影を求めて

膨らめた「思い出」の最後、獲物のニンフは逃げ去ってしまう。そこで牧神は、それまでの思いを断ち切るかのように「仕方がない(Tant pis)!」と口に出し、意識を他所の向けようとする。

Tant pis ! vers le bonheur d’autres m’entraîneront (93)
Par leur tresse nouée aux cornes de mon front :
Tu sais, ma passion, que, pourpre et déjà mûre,
Chaque grenade éclate et d’abeilles murmure ;
Et notre sang, épris de qui le va saisir,
Coule pour tout l’essaim éternel du désir.

仕方がない! 幸福に向かって、別の女たちが、おれを連れていってくれるだろう、(93行目)
彼女たちの髪を、おれの額の角に結んで。
お前は知っている、おれの情念よ、真っ赤に色づき、すでに熟した、
一つ一つのザクロが破裂し、蜜蜂でざわめいているのを。
おれたちの血は、それを捉えようとする者に夢中になり、
流れていく、欲望の永遠の群全体のために。

(朗読は6分53行から)
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マラルメ 牧神の午後 Mallarmé L’après-midi d’un faune 5/6 一と多の戯れ

空のブドウの房に息を吹き込み、そこから立ち上る旋律がもたらす酔いを熱望すると語った後、62行目になると、牧神はニンフたちに、思い出(SOUVENIRS)を再び膨らめようと語り掛ける。

その際、SOUVENIRSという言葉が大文字で書かれる。その大文字は、25行目でシチリア島の岸辺に向けて「CONTEZ(物語ってくれ)」と言ったことを思い出させる。
ここで息を吹き込み膨らめる思い出は、必ずしも現実に起こったことを思い出すのではなく、牧神とシランクスの神話に基づいた物語あるいはフィクションである可能性もある。

そのSOUVENIRSは63行目から92行目まで続くが、3つの部分に分けられる。
最初(63-74)と最後(82-92)は直接話法を示すカッコが使われ、文字はイタリック体に置かれる。その間に置かれた2番目の部分(75-81)は、地の文に戻る。

思い出は、森の中で宝石を思わせる美しい存在を目にすることから始まる。

Ô nymphes, regonflons des SOUVENIRS divers.  (62)
» Mon œil, trouant les joncs, dardait chaque encolure
» Immortelle, qui noie en l’onde sa brûlure
» Avec un cri de rage au ciel de la forêt ; 
» Et le splendide bain de cheveux disparaît
» Dans les clartés et les frissons, ô pierreries !
» J’accours ; quand, à mes pieds, s’entrejoignent (meurtries (68)
» De la langueur goûtée à ce mal d’être deux)
» Des dormeuses parmi leurs seuls bras hazardeux :
» Je les ravis, sans les désenlacer, et vole (71)
» À ce massif, haï par l’ombrage frivole, 
» De roses tarissant tout parfum au soleil,
» Où notre ébat au jour consumé soit pareil.

おお、ニンフたちよ、再び膨らめよう、様々な「思い出」を。 (62行目)
「おれの眼差しは、葦の茂みを穿ち、一つ一つの首筋を射貫いた、
その不死の首筋は、波の中に沈める、焼けた跡を、
森の上の空に向かい、怒りの叫び声を上げながら。
そして、水と溶け合う髪の輝かしい塊が、消え去っていく、
光と震えの中に、おお、宝石よ!
おれは駆け寄る。おれの足元で、絡み合うのは、(傷ついている、(68行目)
二人であるという傷みから味わう倦怠によって、)
眠る女たち、彼女たちの危険をはらむ腕だけが彼女たちを取り込む。
おれはあいつたちを捕まえる、二人を引き離すことなく、そして飛んで行く、 (71行目)
あの茂みへと、気まぐれな木陰に憎まれ、
太陽の下、香り全てを涸らしてしまうバラたちの茂みへと。
そこで、おれたちのお遊びは、燃え尽きた日差しに似たものになる。」

(朗読は4分46秒から)
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マラルメ 牧神の午後 Mallarmé L’après-midi d’un faune 4/6 ブドウの空の房がもたらす陶酔

38-51行の詩句から構成される詩節において、牧神は、最初、夢の中のニンフたちとの感覚的な接触に思いをはせるが、次にはそれらの思いを振り払い、双子の葦から生まれる音楽の秘法(arcane)について語る。

次の詩節(52-61行)では、音楽についてさらに考察が深められ、空のブドウの房(la grappe vide)から発せされる音楽の中で、陶酔を希求する(avide d’ivresse)牧神の姿が浮かび上がる。

ドビュシーが作曲した「シランスク」を耳にすると、マラルメが求めた陶酔をしばしの間感じることができる。
詩句を読む前に、ほとんど無調で単調とも感じられる単旋律の調べが夢想へと誘うフルートの独奏に耳を傾けてみよう。

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マラルメ 牧神の午後 Mallarmé L’après-midi d’un faune 3/6 原初のラ音を求めて

第23行目から、牧神は突然シチリア島にある沼地の岸辺に話しかける。
シチリア島は、長靴の形をしたイタリアの先端に位置し、ギリシア文明との関係が深く、古代文明を彩る神話の世界を連想させる。

Ô bords siciliens d’un calme marécage
Qu’à l’envi des soleils ma vanité saccage,
Tacites sous les fleurs d’étincelles, CONTEZ

おお、静かな沼の、シチリア島の岸辺、
そこを、太陽と競い合い、おれの虚栄心が荒廃させる、
キラキラと輝く花々の下で黙りこんでいる岸辺よ、”次のように語ってくれ”、

(朗読は1分53秒から)
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マラルメ 牧神の午後 Mallarmé L’après-midi d’un faune 2/6 人工のインスピレーション

牧神は、8行目から22行目にかけて、夢で見たニンフについて具体的に語り始める。
その内容は二つに分かれ、8-13行では、泉と風よる五感の刺激から二人のニンフが生まれたのだと空想する。しかし、14-22行ではその考えを否定し、牧神の持つ笛(ma flûte)の二つの管から発する音=息吹に思いをはせる。

こうした考察を開始する8行目の詩句は、前の4音節(Réfléchisson)と続く8音節と分断され、その間に「余白」が挿入されている。

Réfléchissons…

                        ou si les femmes dont tu gloses
Figurent un souhait de tes sens fabuleux !
Faune, l’illusion s’échappe des yeux bleus
Et froids, comme une source en pleurs, de la plus chaste :
Mais, l’autre tout soupirs, dis-tu qu’elle contraste
Comme brise du jour chaude dans ta toison ?

よく考えてみよう・・・

                              もしもお前の悪く言う女たちが
お前の驚くべき感覚の願望を形にしているのだとしたら!
牧神よ、幻が逃れ出ていく 青く
冷たい目から、涙の泉のように、このうえなく清らかな女の目から。
だが、もう一人の女はため息ばかり、お前はこう言うのか? 彼女は対照をなす、
日中の風のように、お前の体毛の中で熱を発する風のように、と。

(朗読は、46秒から)
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マラルメ 牧神の午後 Mallarmé L’après-midi d’un faune 1/6 詩という音楽

ステファン・マラルメの「牧神の午後 田園詩(L’Après-midi d’un faune / Églogue)」は、1876年にエドワード・マネの挿絵入りで出版され、1894年にはクロード・ドビュッシーが「牧神の午後への前奏曲」を作曲した。
そうした状況は、この詩が、言語の持つ絵画性と音楽性の結晶であることを明かしている。

この田園詩(églogue)は、一人の牧神(un faune)の独白だけで構成されている。その牧神は、二人のニンフの夢を見ていたような感覚を抱きながら、今まさに目覚めようとしている。

その夢は、辺りを取り囲むバラの花々から生まれたのか? 冷たい泉と温かいそよ風に刺戟された五感の官能による幻影なのか?
そうした半ば目覚め半ば眠った状態で思い描く映像が、音楽性豊かな詩句によって語られていく。
その詩句は、「音楽から富を取り戻す」ことを熱望したマラルメの主張の実例だといえる。

実際のところ、マラルメの詩句はフランス語を母語とする読者でも理解するのが難しく、それ以外の読者が読むためには非常に大きな困難が伴う。あまりに難しくて、途中で投げ出したくなることもある。
しかし、翻訳では、詩句の音楽性を感じる喜びを味わうことは、決してできない。
分からないことがあったとしても、フランス語でマラルメの詩を読み、言葉1つ1つを掘り下げながら、同時に言葉の音楽を聞く体験は、努力の報いとして十分なものだ(と思う)。

まず最初に、牧神の独白の最初の3行を読んで見よう。
12音節からなる詩句の区切りを「余白」が強調することで、3行が5行になっていることがはっきりと示され、視覚的にもリズムが強く刻まれることに気づくだろう。

Le Faune


Ces nymphes, je les veux perpétuer.

                      Si clair,
Leur incarnat léger, qu’il voltige dans l’air
Assoupi de sommeils touffus.

              Aimai-je un rêve ?

牧神


あのニンフたちを、永遠のものにしたい。
               
                  あんなに明るい、
彼女たちの軽やかな肉体の色、それが空中をひらひらと舞う
生い茂る夢でまどろむ空中を。

               おれは一つの夢を愛したのか?

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マラルメ 「もう一つの扇 マラルメ嬢の」 Mallarmé « Autre éventail de Mademoiselle Mallarmé »

19世紀後半には扇を持つ女性の姿が印象派の画家たちによって数多く描かれたが、ステファン・マラルメは詩の中で扇を取り上げ、扇の動きを詩的創造の暗示として描いた。

1884年に発表された「もう一つの扇 マラルメ嬢の」では、語りの主体は、娘が手に持つ扇。
マラルメ嬢は、午後が深まり太陽も傾いてきた頃、扇の風にあたりながら、ゆったりとした気分で扇の言葉に耳を傾ける。

「もう一つの扇 マラルメ嬢の」は、1行が8音節からなり、4行からなる詩節が5つ、テンポよく続く。その音楽は美しい。
その一方で、扇の言葉は人間の言葉ではない。意味を理解するには少し時間がかかる。

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マラルメ 「扇 マラルメ夫人の」 Stéphane Mallarmé « Éventail de Madame Mallarmé » 扇と詩

「扇 マラルメ夫人の」は、1891年1月1日にマラルメが妻のマリアに送った詩で、実際に扇の上に書かれている。つまり、扇が詩なのだ。
そして、それに対応して、詩の内容も、扇をあおぐことが詩の言葉を仰ぎ出す様子を歌っている。

Avec comme pour langage
Rien qu’un battement aux cieux
Le futur vers se dégage
Du logis très précieux

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