What is this thing called Love? 恋とは何でしょう

What is this thing called Love ?(Loveって呼ばれてる、これって何?)は、1929年、ミュージカル『ウェイク・アップ・アンド・ドリーム』のためにコール・ポーターによって作曲された曲。
1929年は昭和4年。それから90年以上経った今でも、ジャズのスタンダードとして演奏され続けている。

メロディ・ガルドーが2021年に出したSunset in the Blueのデラックス・エディションに収められたWhat is this thing called Love。原曲の雰囲気を保ちながら、しかし 現代の曲になっている。

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ピカソ 常に新しい絵画を求めた画家

パブロ・ピカソ(1881-1973)は常に新しい美を追究し、次々に絵画の様式を刷新した、20世紀を代表する画家として知られている。

実際、彼の画風は、スペインにおける「修行時代」を経て、パリに進出してからもめまぐるしく変化した。「青の時代」「バラ色の時代」「キュビスムの時代(セザンヌ的、分析的、総合的)」「新古典主義の時代」「シュルレアリスムの時代」「ゲルニカの時代」「ヴァロリスの時代」「晩年」といった区分けがなされることが多い。

ところが、この分類で気になることがある。
キュビスム、新古典主義、シュルレアリスムは絵画の様式だが、それ以外の、青の時代とバラ色の時代は色彩、ゲルニカの時代は戦争の惨禍という絵画のテーマ、ヴァロリスは地名、晩年は人生の最後の期間であり、様式とは関係がない。
そこで、こんな疑問が生じる。本当にピカソは次々と作風を変化させたのだろうか?

その疑問を考えるために、彼のキャリアの最初から最後までの何枚かの絵画を、先入観なしで見てみよう。

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アポリネール 「大道芸人たち」 Apollinaire « Saltimbanques » 新しい芸術に向けて

1913年に出版された『アルコール(Alcools)』に収めらた「大道芸人たち(saltimbanques)」は、ギヨーム・アポリネール(Guillaume Apollinaire)による’芸術家の肖像’あるいは’芸術観’を表現した詩だと考えられる。

一行8音節の詩句が4行で形成される詩節が3つだけの短い詩。
韻の連なりはAABBと平韻。AAは男性韻、BBは女性韻と非常に規則的。
非常に簡潔な詩の作りになっている。
唯一の特色は、『アルコール』の他の詩と同じように、句読点がないこと。

内容に入る前に、詩の音楽性を感じるため、意味にこだわらずに朗読を聴いてみよう。

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ボードレール 化粧礼賛 Baudelaire « Éloge du maquillage » 「現代生活の画家」Le Peintre de la vie moderne   

ボードレールは、「現代生活の画家(Le Peintre de la vie moderne)」の第11章「化粧礼賛(Éloge du maquillage)」の中で、ナチュラルな美を良しとする傾向に対し、美とは人工的に作り出すものであるという美学を明確に表現した。
彼にとって、ファッションや化粧は、芸術や詩に匹敵する美を生み出す技術なのだ。

「化粧礼賛」の結論部分で、ボードレールは次のように言う。

Ainsi, si je suis bien compris, la peinture du visage ne doit pas être employées dans le but vulgaire, inavouable, d’imiter la belle nature et de rivaliser avec la jeunesse. On a d’ailleurs observé que l’artifice n’embellissait pas la laideur et ne pouvait servir que la beauté. Qui oserait assigner à l’art la fonction stérile d’imiter la nature ? Le maquillage n’a pas à se cacher, à éviter de se laisser deviner ; il peut, au contraire, s’étaler, sinon avec affectation, au moins avec une espèce de candeur.

  以上のように、もし私の言うことがしっかりと理解されたのであれば、顔に化粧するのは、人に告白できないような俗っぽい目的、つまり、美しい自然を模倣し、若さと対抗するといったことのために、なされるべきではない。すでに考察したことだが、人工的な手段は、醜い物を美しくはしないし、役に立つのは美しいものだけに対してだけである。誰が、芸術に、自然を模倣するという不毛な機能を与えようとするだろう? 化粧は隠すべきではなく、化粧だと思われるのを避けるべきでもない。反対に、化粧は、気取ってとはいわなくても、一種の無邪気さをもって、はっきりと見せることができるものである。

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パリへの眼差し 

もうかなり以前のことになるが、クリスマスで賑わうパリの街を歩いていたら、デパートのショーウインドーがあまりにも趣味よく飾られていて、美術の世界だと思ったことがある。
ブリジット・エンゲラーのピアノ演奏によるリストの「コンソラシオン(慰め)」をバックにすると、映像と音楽のハーモニーが素晴らしく感じられる。

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ジャン・リュック・ゴダール 死去

ジャン・リュック・ゴダール監督の死亡が2022年9月13日に伝えられた。
ゴダール作品はどれも「映画とは何か?」という問いを観客に突きつけるものであり、一般的には、難しいとか面白くないと感じられるかもしれない。
しかし、1960年代から現在まで、常に映画の世界で忘れられたことがないとしたら、それだけの意味を持っていることは確かである。

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ポール・セザンヌ 色で持続する生命を捉えた画家

セザンヌはしばしば「近代絵画の父」と呼ばれ、フランス絵画の歴史の中で重要な位置を占めている。

しかし、サント・ヴィクトワール山のような風景画、リンゴなどを描いた静物画、肖像画、自然の中で多数の人間が水浴をする場面を描いた集合水浴図など、様々なジャンルのどの絵を見ても、最初はあまり美しいと思えないし、なにか不自然な感じが残る。

セザンヌが偉大な画家だと言われても、どこがいいのかよくわからない。ところが、彼の絵画の見方を学ぶにつれて、その素晴らしさが感じられるようになってくる。

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雪舟 水墨山水画 四季の情感と「造化の真」

雪舟等楊(せっしゅう・とうよう)は、1420年に現在の岡山県総社市で生まれ、1506年頃に亡くなった。
80年以上に及ぶその長い人生の中で、山水画、人物画、花鳥画など数多くの作品を描き、日本における水墨画の頂点に位置する存在の一人である。

彼は、幼い頃近くの寺に入り、10歳頃は京都の相国寺(しょうこくじ)に移り、禅の修行をしながら、周文(しゅうぶん)から水墨画を学んだ。そのことは、雪舟の水墨画のベースが、相国寺の画僧、如拙(じょせつ)から周文へと続く水墨画の伝統に基づいていることを示している。(参照:如拙 周文 水墨山水画の発展

1454年頃京都を離れ、山口に設けた雲谷庵(うんこくあん)を中心に活動を行い、1467年には明の時代の中国大陸に渡る。
そこで約3年間、各地を回って風景などのスケッチをすると同時に、南宋の画家、夏珪(かけい)や、明の浙派(せっぱ)の画家、李在(りざい)たちの水墨画から多くを学んだ。
この留学が雪舟の画風に与えたインパクトの大きさは、以下の3枚の作品を見比べると、はっきりと感じられる。

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如拙 周文 水墨山水画の発展

鎌倉時代に日本の禅僧が水墨で描いたのは、仏教や道教の教えを説く道釈画が中心だったが、室町時代になると、風景画が数多く描かれるようになる。

その中間点にあるといえる如拙(じょせつ)の「瓢鮎図(ひょう・ねん・ず)」と、水墨山水画の一つの頂点ともいえる周文(しゅうぶん)作と伝えられる「竹斎読書図(ちくさい・どくしょ・ず)」を見てみよう。
どちらも、画面の下に絵が描かれ、上には漢文が書かれた、”詩画軸”と呼ばれる形式の作品。

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