戦争は人間を狂気に陥れる

あるニュース記事で、「14時間で100人射殺…イスラエル混成部隊の女性リーダーが叫んだ言葉」というタイトルを目にした。
その冒頭は、次のように綴られている。

100人射殺して、それを誇る気持ち。。。
この記事を書いている記者も、兵士は国家のために戦っているのであり、ハマスというテロリスト集団に対する報復なのだから、正義の戦いという全体に立っているに違いない。

記事は続く。

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ボードレール 「宝石」 Baudelaire Les Bijoux 官能を刺戟する美

1857年に『悪の華(Les Fleurs du mal)』が裁判にかけられた時、検事エルネスト・ピナールは「宝石(Les Bijoux)」の第5−7詩節を取り上げ、「猥褻であり、公共の道徳を傷つける絵画(peinture lascive, offensant la morale publique)」という言葉で批難した。

その言葉は、二重の意味で、「宝石」という詩を的確に表現している。
一つは、19世紀の基準から見ると、猥褻で非道徳的なテーマを扱ってること。
「最愛の女(ひと)は裸だった(La très chère était nue)」という出だしが、全てを物語っている。

Delacroix, Femme carressant le perroquet

もう一つは、ボードレールが、造形芸術(art plastique)、具体的に言えば絵画(peinture)を、詩の世界に置き換えようとしたこと。
詩人は、ドラクロワの絵画「オウムを愛撫する女性」を頭に置きながら、それを単に描写するのではなく、詩として表現したのではないかと考えられている。

絵画においてであれば、理想化された女神の姿という理由で許されている裸体(ヌード)が、詩においても許されていいはず。詩人はそんな風に考えたのかもしれない。

Ingres, Jupiter et Antiope

その際、裸体を描く詩句は、古典的な均整を保ち、ほぼ全ての詩句が6//6のリズムを刻んでいく。
従って、様式は、ロマン主義のドラクロワというよりも、古典主義のアングル的といっていいかもしれない。
アングルの「ジュピターとアンティオペ」を見ると、「オウムを愛撫する女性」との違いがよくわかるだろう。
実際、「宝石」は、詩句の姿としては6/6のリズムでしっかりと輪郭が形作られ、端正に描かれた印象を生み出している。
こう言ってよければ、「宝石」の語る内容はドラクロワ的だが、形式はアングル的だ。


第1詩節は正確に6//6のリズムを刻みながら、裸体の女性を描き出していく。

La très chère était nue, // et, connaissant mon cœur,
Elle n’avait gardé // que ses bijoux sonores,
Dont le riche attirail // lui donnait l’air vainqueur
Qu’ont dans leurs jours heureux // les esclaves des Maures.

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マラルメ 白鳥のソネ 「手付かずのまま、生き生きとした、美しい今日が」 Mallarmé Le vierge, le vivace et le bel aujourd’hui 白鳥(詩人)の肖像

マラルメの詩はとにかく難しい。というか、何が書いてあるのかほぼ不明だということが多い。それにもかかわらず高く評価され、20世紀以降の文学の始祖のように見なされることもある。
理解不可能に思える詩を書いた詩人に、なぜそうした高い評価が与えられるのだろうか?

ここでは、マラルメの目指した「詩」について考えながら、理論の実践として、「手つかずのままで、生き生きとした、美しい今日(le vierge, le vivace et le bel aujourd’hui)」を読んでいこう。

実際、この詩も、他のマラルメの詩と同様、普通に読んだだけでは意味がほとんどわからない。
その一方で、音色についてははっきりとした特色があり、14行のソネット全ての詩行で [ i ]の音が何度も耳を打つ。

Le vierge, le vivace et le bel aujourd’hui
Va-t-il nous déchirer avec un coup d’aile ivre
Ce lac dur oublié que hante sous le givre
Le transparent glacier des vols qui n’ont pas fui !

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沼島 おのころ神社 上立神岩

沼島 ( ぬしま ) は南あわじ市の沖に位置する離島で、イザナギ・イザナミが「国生み」で最初に作った「おのころ島」だという伝説が残っている。

日本の神話では、イザナギ(伊邪那岐)とイザナミ(伊邪那美)の二神は、天浮橋(あめのうきはし)に立ち、別天津神(ことあまつがみ)たちから与えられた天沼矛(あめのぬぼこ)を持ち、渾沌とした地上を掻き混ぜる。矛から滴り落ちたものが積もって淤能碁呂島(おのごろじま)となる。

沼島へは、土生港より船に乗って向かう。

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ボードレール 「陽気すぎる女(ひと)へ」 Baudelaire « À celle qui est trop gaie » 自然な女性の美を前にした芸術家の願い

「陽気すぎる女(ひと)へ(A celle qui est trop gaie)」は、1857年に『悪の華(Les Fleurs du mal)』が出版された際、公衆道徳に違反するという理由で裁判に裁判にかけられ、削除を命じされた6編の詩の一つ。
そのため、猥褻と判断された詩句は、19世紀半ばの社会道徳を知る手掛かりになる。

しかし、それ以上に興味を引かれるのは、ボードレールが、ここで歌われている女性に匿名の手紙を出し、この詩を彼女に贈ったこと。
つまり、「陽気すぎる女(ひと)へ」は、現実に存在する女性を対象として書かれ、実際にその女性に送られたのだ。しかも詩人は自分の名前を隠し、匿名で。

その女性とは、アポロニー・サバティエ(Apollonie Sabatier)夫人。
彼女は、彫刻家オーギュスト・クレザンジェが1847年にサロンに出品し、大きなスキャンダルを引き起こした「蛇に噛まれた女(Femme piquée par un serpent)」のモデルとして一躍有名になり、パリの上級階級や芸術家たちの間で、女性大統領(La Présidente)とあだ名される存在だった。
蛇に噛まれて激しく身をよじる女性の肉体は、アポロニーの体から直接石膏で型を取ったものだと言われている。

Auguste Clésinger, Femme piquée par un serpent

ボードレールがサバティエ夫人と知り合ったのは1849年頃らしい。
「陽気すぎる女へ」を転写した手紙を送ったのは1852年12月9日。それ以降も6編の詩を贈っているのだが、ずっと匿名のままだった。
しかし、1857年に『悪の華』が裁判にかかり、ボードレールは、有力者たちを多く知るサバティエ夫人の助力を求めるために、とうとう詩の作者が自分であることを明かした。

その後の展開はどのようになるのか? 
「陽気すぎる女へ」を読んだ後から、二人のその後を辿ってみよう。

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ボードレール 「忘却の河」  Baudelaire « Le Léthé » 忘却への誘い

愛する女性の髪に顔を埋め、その香りに包まれたい。ボードレールはそんな望みをいくつかの詩の中で歌っている。

例えば、「異国の香り(Parfum exotique)」。

Quand, les deux yeux fermés, en un soir chaud d’automne,
Je respire l’odeur de ton sein chaleureux,

両目を閉じる、秋の暖かい夕べ、
そして、香りを吸い込む、お前の熱い胸の、

ボードレール 「異国の香り」 Charles Baudelaire « Parfume exotique » エロースの導き

あるいは散文詩「髪の中の半球(Un hémisphère dans une chevelure)」。

Laisse-moi respirer longtemps, longtemps, l’odeur de tes cheveux, y plonger tout mon visage, comme un homme altéré, dans l’eau d’une source, et les agiter avec ma main comme un mouchoir odorant, pour secouer des souvenirs dans l’air.

ずっと、ずっと、お前の髪の香りを吸わせておいてくれ、髪の中に顔を沈めさせておいてくれ、喉の渇いた男が泉の水に顔を浸すように。この手でその髪を揺らさせておいてくれ、香り高いハンカチを振るように、思い出を空中に撒き散らすために。

ボードレール 「髪の中の半球」 Baudelaire « Un Hémisphère dans une chevelure » 散文で綴った詩

「忘却の河(Le Léthé)」もこの二つの詩と同じ願いを歌う詩だが、1857年に『悪の華(Les Fleurs du mal)』が出版された際、風俗を乱すという罪に問われ、詩集から削除することを命じられた。

「異国の香り」は問題にならず、「忘却の河」が断罪されたとすると、この詩のどこが問題だったのだろう?

Viens sur mon cœur, âme cruelle et sourde,
Tigre adoré, monstre aux airs indolents; 
Je veux longtemps plonger mes doigts tremblants 
Dans l’épaisseur de ta crinière lourde ;

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フランス語の詩の音楽性 その2 音色

私たちは普段あまり意識しないのだが、言葉の音色を敏感に聞き取り、その音色が意味の理解も影響を与えている。

その例として、源実朝の和歌を取り上げてみよう。

大海の 磯もとどろに よする波 われてくだけて さけて散るかも

ooumino / isomo todoroni / yoshuru nami // warete kudakete / sakete chirukamo

大海(o-o-u-mi-no)という最初の5音の中だけで3つの[ o ]の音が重ねられ、読者は大きな海へと誘われる。
さらにその音は、次に7音でも5回反復し、続く5音の中にも1回現れる。
その反復は、大きな波が磯に何度も何度も押し寄せる光景を、音によって体感させる効果を発揮する。

後半の 7/7では、[ e ]の音を中心に、 re – te – ke -te -ke -teとここでも波が打ち寄せ、割れ、砕け、裂ける感じが、音を通して伝わってくる。

そして、最後の最後になり、「散るかも(mo)」と [ o ]の音が再び現れ、ばらばらに砕けた波のイメージが最初の大海原へと収束する。

『私家版日本語文法』の中で井上ひさしがしてくれたように解説されないとなかなか気付かないことが多いのだが、実朝の歌が私たちに強い印象をもたらす理由に一つに、こうした言葉も音の効果がある。

フランスの詩人たちは、源実朝に劣らず詩句の音楽性に敏感であり、リズムだけではなく、音色にも細心の注意を払った。
(リズムに関しては フランス語の詩の音楽性 その1 リズム
だからこそ、フランス語の詩を楽しむためには、音色を意識することも大切な要素になる。

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