オランダ時代のゴッホ Vincent van Gogh en Holande 牧師になり損なった画家

一人の人間の本質的な気質はどんなことがあっても変わらない。

牧師の息子だったフィンセント・ファン・ゴッホ(1853−1890)は、最初に画商グーピル商会の店員となり、次に牧師になった。
その後、絵に専念することになるが、彼の根本にある気質は不変のままだった。たとえ、農民や炭坑夫になっていたとしても、ゴッホはゴッホだっただろう。

Vincent van Gogh, Les Mangeurs de pommes de terre

彼の気質は、牧師を辞めさせられた顛末を通して見えてくる。
そして、その気質は、オランダ時代だけではなく、フランスで創作活動をする間も、ずっと彼の絵画の奥深くにどっしりと根を下ろしている。
二つの時期の違いは、線と色彩のどちらに重きを置くかによる。
オランダ時代は、描線によって物の形を捉える画法を探った。パリに移り住んでからは、色彩を絵画表現の中心に据えた。

ここでは、牧師になり損なったゴッホを出発点として、オランダ時代の線描を中心にした絵画について考察していく。

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レバノン出身の歌手ミカ ハッピー・エンディング Mika Happy Ending

2020年8月4日、レバノンの首都ベイルートで、大爆発が起こった。
被害は最大30万人に及ぶという悲劇。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200806/k10012553261000.html

ベイルートに関して、ジェラール・ド・ネルヴァルは『東方紀行(Voyage en Orient)』の中で、世界で最も美しい都市と書いている。

レバノン出身の歌手ミカ(Mika)の「Happy Ending」。題名に反して、歌詞の内容は悲しい。しかし美しい曲が悲しみを慰めてくれる。この曲を聴きながら、復興を祈りたい。

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フォンテーヌブロー派の絵画 École de Fontainebleau 16世紀フランス 繊細で優美な絵画の始まり その4 マニエリスム

フォンテーヌブロー派の美は、後期ルネサンスのマニエリスム絵画に大きな影響を受けている。

マニエリスム的な美とはどのようなものか?
盛期ルネサンスを代表するレオナルド・ダ・ビンチと後期ルネサンスに属するティントレットの描いた「最後の晩餐」を比較すると、違いは歴然としている。

Léonard de Vinci, La Cène
Le Tintoret, La Cène
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フォンテーヌブロー派の絵画 École de Fontainebleau 16世紀フランス 繊細で優美な絵画の始まり その3 国王のルネサンス

Jean Clouet, François 1er

16世紀フランスのルネサンスは、国王フランソワ1世の主導の下で始まった。
彼は、1519年に行われたローマ皇帝を選出する選挙で、スペイン王カルロス1世(カール5世)に敗れ、その後の軍事的な対立でも敗北を続けた。
1525年のパヴィアの戦いでは、カール5世の軍に捉えられ、捕虜としてスペインに幽閉されてしまう。

そうした状況の中、フランソワ1世が王権の力を国の内外に誇示するために行ったのが、芸術の輝きによって王の威信を高める文化政策だった。

その政策の中心地として選ばれたのが、フォンテーヌブロー城。
すでに1516年にフランソワ1世はレオナルド・ダ・ビンチをフランスに招いていたが、1528年頃からは、次々にイタリアの建築家や画家を招聘し、フォンテーヌブロー城をフランス・ルネサンスの中心地にした。

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ジョスカン・デ・プレ Josquin des Prés ルネサンスの音楽

ジョスカン・デ・プレ(Josquin des Prés)は、15世紀後半から16世紀初めにかけて活動した、盛期ルネサンスを代表するフランドル学派の作曲家。

レオナルド・ダ・ヴィンチと同時代に活躍しため、レオナルドが絵画において果たした役割を音楽において果たしたと言われることもある。
宗教改革で有名なルターからは、「ジョスカンは音符の主人。他の作曲家は音符の指図に従う。ジョスカンに対しては、音符が彼の望み通りに表現する。」と言われたとされ、非常に高く評価された。

ルネサンス期の文学作品を読み、絵画を見る時、ジョスカン・デ・プレの曲に耳を傾けるのも悪くない。

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フォンテーヌブロー派の絵画 École de Fontainebleau 16世紀フランス 繊細で優美な絵画の始まり その2 アレゴリー

Allégorie de l’Amour

アレゴリーの鍵

アレゴリーは、ある抽象的な概念を具体的な形象によって寓意的に表現する方法。
例えば、狡猾さを狐で、公正を天秤で表す。

そこで使われる概念と形象の関係は予め決まっているものであり、芸術家たちはその約束事に基づいて創作活動を行った。
例えば、宗教画に関して言えば、白色が清純を、聖母マリアのマントの青色が「天の女王」を表す。そうしたことは、画家が発明するのではなく、予め決まっている規則だった。
そして、鑑賞者もその知識に基づいて作品を読み説いた。

しかし、時代の移り変わりと共に、アレゴリーを理解する鍵が失われた。そのために、作品の持つ意味を理解することが困難になり、専門家によって様々な研究が積み重ねられ、多様な解釈が提出された作品も数多くある。

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フォンテーヌブロー派の絵画 École de Fontainebleau 16世紀フランス 繊細で優美な絵画の始まり その1

Jean Cousin, Eva prima Pandora

フォンテーヌブロー派の絵画は、その名前の通り、フォンテーヌブロー城を中心に展開した絵画の流派。

イタリア・ルネサンス芸術の影響の下、中世のキリスト教文化と古代ギリシア・ローマの異教文化との融合を図り、繊細で優美、官能的な美を生み出してた。

ジャン・クーザンの「エヴァ、プリマ、パンドラ」は、キリスト教の楽園において原罪を犯したエヴァと、ギリシア神話の中で人類に悪をもたらしたパンドラを、一人の女性、しかもヌードの女性像によって形象化している。
その意味で、まさに、異教とキリスト教の融合と言っていい。

この絵画によって代表されるフォンテーヌブロー派の絵画がどのようなものか、これから見ていこう。

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ロンサール 「あなたが年老い、夕べ、燭台の横で」 Pierre de Ronsard « Quand vous serez bien vieille, au soir, à la chandelle » 

Pierre de Ronsard

ピエール・ド・ロンサールが1587年に発表した『エレーヌのためのソネット集(Sonnets pour Hélène)』には、とても皮肉な恋愛詩が収められている。
それが、「あなたが年老い、夕べ、燭台の横で」。

このソネットのベースに流れているのは、「今を享受すること」を主張する思想。だからこそ、詩人は、自分の愛に応えて欲しいと、愛する人に願う。

ロンサールは、ソネットの二つのカトラン(四行詩)と最初のテルセ(三行詩)の中で、動詞の時制が未来形に置かれ、「あなたが年老いた時」のことを描き出す。その時には、あなたの美は失われ、暗い夕べの中で過去を懐かしみ、後悔するだろう、と。

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モーリス・セーブ 見ないでいるほど、憎くくなる Maurice Scève « Plus je la vois, certes plus je la hais » 愛は最も崇高な美徳

モーリス・セーブは、16世紀フランスを代表する詩人。
1544年に出版された、『デリー 最も崇高な美徳の対象(Délie, objet de la plus haute vertu)』は、Délie(デリー)と呼ばれる女性(実際の名前は、Pernette du Guillet)への愛を歌った詩集。

ただし、Délieは、L’Idée(イデア)のアナグラムでもあり、イタリアの思想家マルシリオ・フィチーノを経由したネオ・プラトニスムや神秘主義的な思想が、ペトラルカ的な恋愛詩を通して表現されているとも言われる。

Diane chasseresse
Gustave Moreau, Une effroyable Hécate

Délieは、ギリシア神話の女神ダイアナ(Diane)とヘカテー(Hécate)の別名でもある。
ダイアナは、狩りと月の女神で、男を寄せ付けない。
ヘカテ—は、夜と死の女神であり、冷酷で残忍な女性性を体現する。
従って、デリーを愛することは、苦悩や苦痛の源になる。

しかし、死に匹敵する苦しみを蒙りながら、それを超越することで、愛は甘美なもの(délice)となる。
そこに最も崇高な美徳(la plus haute vertu)がある。

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小林秀雄とランボー 初めに言葉ありき 

小林秀雄が大学時代、「人生斫断家アルチュル・ランボオ」を、大正15年(1926)10月に発行された『仏蘭西文学研究』 に発表し、翌年には「Arthur Rimbaud」を卒業論文として東大仏文に提出したことはよく知られている。

小林の訳した『地獄の季節』は昭和5年(1930)に初版が出版された。
その翻訳は、小林自身の言葉を借りれば、水の中に水素が含まれるように誤訳に満ちている。しかし、荒削りな乱暴さが生み出すエネルギーはまさにランボーの詩句を思わせ、今でも岩波文庫から発売されている。
個人的には、どのランボー訳よりも素晴らしいと思う。

それと同時に、小林秀雄がランボーから吸収したもの、あるいはランボーとの共鳴関係の中で学んだ詩学は、彼の批評の中に生き続け、言葉に出さなくても、彼の批評には生涯ランボーが生きていたのではないか。

昭和31年(1956)2月に発表された「ことばの力」は、小林の言葉に対する基本的な姿勢を明かすと同時に、ランボーの詩がどのようなものだったのか教えてくれる。

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