
「考える力」は、大学入試だけではなく、企業でも必要とされ、現代人にもっとも求められる能力の一つだと見なされている。
そのためなのか、ネットをググると、考える力をつけるための方法を提案するサイトが数多く出てくる。
その中には、疑問を持つことが考える力をつけるきっかけになると書きながら、その提案自体に疑問を持つことは想定せず、ハウツー本を紹介しているものまである。
大学入試で「考える力」が問われるとしたら、入試問題に正しく答えることが、その能力の証明になる。
そこで面白いのが、最近話題のChatGPT。
人口知能(AI)による自然言語処理システムだが、ある調査によると、アメリカの一つの大学の入学試験問題を回答させたところBランクで合格、医師免許試験でも弁護士資格試験でも合格の判定結果が出たという。
また、日本の大学入試共通テストの英語では、80%近い正解率が得られたという報告もある。
人口「知能」なのだから当たり前かもしれないが、AIには「考える力」があることになる。
興味深いことに、日本の教育では、ある時期、「詰め込み教育」の反動から、知識よりも考える力と言われ、「ゆとり教育」が実践された。
現在では、脱ゆとり教育という名目で、学習量の増加を図りながら、子供への負担の増加という印象を与えるのを避けるためなのか、「生きる力を育む」といった方針がとられている。
こうした変遷を通して明らかになるのは、現在の日本でも、知識と思考は対立するという意識がおぼろげにでも存在し続けていること。
例えば、「知識」と「知恵」は違うなどという表現に、「知識vs考える力」の構図が透けて見える。
ところが、AIでは膨大なデータを入力し、そこから質問の回答を導き出す。
もしデータがなければ何も出力されないし、データが少なければ不正確な回答が出てくる可能性が高い。
AIの「考える力」の根本にあるのは、データ=知識なのだ。
逆に言えば、ビックデータ(大量の知識)こそが考える力の源泉であり、知識量が増加すれば考えた結果の正確性も増す。
そうしたことを前提にしながら、最初に、考える力と知識の関係について考え、次に、データ量でははるかに劣る人間が書くことによって思考力を高められるのではないか、といったことを考えてみよう。
続きを読む