ジェラール・ド・ネルヴァル 「ボエム・ギャラント」をめぐって その5

「ボエム・ギャラント(La Bohême galante)」が目指した文学のあり方は、次の一文によって暗示される。
それは、ネルヴァルたちの若き日の詩(rimes)がgalantesと形容されていることからも推測できる。

Le vieux salon du doyen, restauré par les soins de tant de peintres, nos amis, qui sont depuis devenus célèbres, retentissait de nos rimes galantes, traversées souvent par les rires joyeux ou les folles chansons des Cydalises.

主席司祭の古いサロンは、たくさんの画家たち、ぼくたちの友人であり、その後有名になった連中の修復の手が加えられ、そこには、ぼくたちの優雅な詩が響き渡り、その響きはたびたびシダリーズたち(女優などをしている若い娘たち)の楽しげな笑い声や、羽目をはずした歌が交差していた。

アンリ・ミュルジェールの『ボヘミアンの生活情景(Scènes de la vie de bohème)』からもわかるように、ボエミアンとは、自由と芸術を愛して気ままに暮らす若くて貧しい芸術家たちのことだった。

ネルヴァルが描くのも、若い芸術家と、シダリーズたちとあだ名される娘たちの集団だが、そこで歌われるのは、単なる恋の歌ではない。それは、17世紀のギャラントリー(galanterie)や18世紀のフェット・ギャラント(fête galante)に連なる世界である。

そのことは、彼らの集う場所が「主席司祭の古いサロン(Le vieux salon du doyen)」とされていることによって暗示されていると考えられる。

続きを読む

ジェラール・ド・ネルヴァル 「ボエム・ギャラント」をめぐって その4

「ボエム・ギャラント」の本文となる最初の一文は、とても短い。しかし、その短い一文の中に、ネルヴァルが込めた思いは驚くほど凝縮されている。そして、その一文を読み解いていくうちに、読者はいつの間にかネルヴァルの世界へと引き込まれていく。

C’était dans notre logement commun de la rue du Doyenné que nous nous étions reconnus frères — Arcades ambo —, bien près de l’endroit où exista l’ancien hôtel de Rambouillet. 

ぼくたちが共同で住んでいたドワイヤネ通りの家で、ぼくたちは互いを兄弟だと認め合った。― アルカデス・アムボ(二人ともアルカディアの住人)。そこは、かつてランブイエ館があった場所のすぐ近くだった。

この短い一節の中には、古代、17世紀、そしてネルヴァルたちが生きた19世紀という、文学の中心となる三つの場所が示されている。そして、それらは、ネルヴァルがこれから青春時代の思い出を語ろうとする意図と深く結びついている。

その場所を古い順に並べると、次の様になる。
(1)Arcades ambo (二人ともアルカディアの住人):古代の理想郷アルカディア
(2)l’ancien hôtel de Rambouillet:かつてのランブイエ館
(3)notre logement commun de la rue du Doyenné:ぼくたちが共同で住んでいたドワイヤネ通りの家

続きを読む

ジェラール・ド・ネルヴァル 「ボエム・ギャラント」をめぐって その3

『ボエム・ギャラント』は、題名の後に「アルセーヌ・ウッセーに(À Arsène Houssaye)」、『忠実な羊飼い』からのイタリア語の引用、「我が友よ(Mon ami)」で始まりウッセーの詩「二十歳(Vingt ans)」からの8行の引用で終わる「まえがき」が置かれ、その後やっと第1章が始まる。
ジェラール・ド・ネルヴァル 「ボエム・ギャラント」をめぐって その1
ジェラール・ド・ネルヴァル 「ボエム・ギャラント」をめぐって その2

その際にも、「二十歳」からの引用が最初に置かれ、次に本文がやっと始まる。ここではまず引用された3行の詩句について見ていこう。

          I
        PREMIER CHÂTEAU

Rebâtissons, ami, ce château périssable 
Que le souffle du monde a jeté sur le sable. 
Replaçons le sopha sous les tableaux flamands… 

      第1章
      第一の城

もう1度建てよう、友よ、あの儚い城を、
現実世界の風が、砂の上に吹き倒してしまったあの城を。
もう1度置こう、あのソファーを、フランドル派の絵の下に。。。

続きを読む

女性天皇と男系男子継承 歴史資料から考える皇位継承の歩み

「女性の天皇っていたのですか」と質問されて、少しだけびっくりしたことがある。聖徳太子の時代の天皇は推古天皇という女性だったことは誰でも知っていると思っていたからだ。

しかし、「何人の女性天皇がいたのか」と問われると、まったくわからない。そこで、簡単に調べてみることにした。すると、8人の女性天皇が存在し、2人は2度天皇位に就いていることがわかった。

(1)第33代 推古天皇(在位:593年1月15日 – 628年4月15日)

(2・3)第35代・第37代 皇極天皇(重祚して斉明天皇)
皇極天皇:642年2月19日 – 645年7月12日
斉明天皇:655年2月14日 – 661年8月24日

(4)第41代 持統天皇(在位期間:690年2月14日 – 697年8月22日)

(5)第43代 元明天皇(在位期間:707年8月18日 – 715年10月3日)

(6)第44代 元正天皇(在位期間:715年10月3日 – 724年3月3日)

(7・8)第46代・第48代 孝謙天皇(重祚して称徳天皇)
孝謙天皇(在位期間:749年8月19日 – 758年9月7日)
称徳天皇(在位期間:764年11月6日 – 770年8月28日)

(9)第109代 明正天皇(在位期間:1629年12月22日 – 1643年11月14日)

(10)第117代 後桜町天皇(在位期間:1762年9月15日 – 1771年1月9日)

続きを読む

ジェラール・ド・ネルヴァル 「ボエム・ギャラント」をめぐって その2

「ボエム・ギャラント(La Bohème galante)」の第1章に入る前、ネルヴァルは、昔の友人であり、当時は『ラルティスト(L’Artiste)』誌の編集長としてネルヴァルに原稿を依頼する立場にあったアルセーヌ・ウッセー(ArsèneHoussaye)に向けて、次のような一文を書き、その後に、ウッセーの詩の一部が引用されている。

ちなみに、ウッセーは1815年生まれで、1808年生まれのネルヴァルよりも7歳年下になる。そして、1835年にはこれから語られる芸術家たちの集団で共に過ごし、1844年には一緒にオランダ旅行をした仲だった。他方で、ウッセーは1843年からは『ラルティスト』誌の編集長(directeur)を務め、1849年からはコメディ・フランセーズの総支配人(Administrateur général)の地位にも就いており、ジェラールとはかなり社会的な格差がついていたといえる。

Mon ami, vous me demandez si je pourrais retrouver quelques-uns de mes anciens vers, et vous vous inquiétez même d’apprendre comment j’ai été poëte, longtemps avant de devenir un humble prosateur. — Ne le savez-vous donc pas ? Vous, qui avez écrit ces vers :

(poëteは現在の綴りではpoète。1878年の綴字改革以来、eの上はトレマ〈ë〉ではなくアクサン・グラーヴ〈è〉になった。)

我が友よ、君はぼくに、ぼくの昔の詩をいくつか探し出せないかと言う。そればかりか、ぼくが一介の散文家になるずっと前に、どんな詩人だったのか知りたい、とさえ案じてくれる。――君がそれを知らないというのか。こんな詩句を書いたのは、ほかでもない君なのに。

この一節を読むだけで、ネルヴァルのユーモアと皮肉のセンスを感じることができる。

続きを読む

ジェラール・ド・ネルヴァル 「ボエム・ギャラント」をめぐって その1

このブログは、ジェラール・ド・ネルヴァル(Gérard de Nerval)の『ボエム・ギャラント(La Bohême galante)』から名称を借用している。その理由は、私が長年にわたりネルヴァルの詩や散文を愛読する中で、もっともネルヴァル的だと思える作品の一つであり、とりわけ愛着のある題名だからだ。

ネルヴァルは現在でも、夢と狂気の作家などというレッテルを貼られ、作品はそうした視点を通して読まれることが多い。しかし、実際に彼の紡いだ言葉を彼の生きた時代に引き戻して読んでいくと、それらの言葉は身近な友人たちとの対話から成り立ち、お互いに知っている事柄について、ユーモアや皮肉を込めて、面白おかしくやり取りしていたのだということがわかってきた。彼が頭に置いていた読者は、非人称で不特定な人々ではなく、少数の知り合いに限られていたといっていいかもしれない。

逆に言えば、ネルヴァルの言葉を丹念に読み解いていくことで、私たちも、1808年に生まれ1855年に亡くなったフランスの作家と直に言葉のやり取りをしているような感じがしてくる。友だちになったとは言えないけれど、知り合いの一人には入れてもらえるような気がするのだ。

『ボエム・ギャラント』で言えば、19世紀の半ばのフランスで、1848年の2月革命の後、ナポレオン3世が権力をにぎり、帝制を確立する時期にあたる1852年、ネルヴァルは友人で『ラルティスト(L’Artiste)』という豪華な雑誌の編集長だったアルセーヌ・ウッセイから、一緒に過ごした青春時代の思い出を書くように誘われる。

その注文に応じてネルヴァルが書く内容は、当然、友だち仲間ではよく知られていたことであり、内輪話といってもいい。仲間同士でああだった、こうだったと言いながら、楽しい時を過ごす。そうしたシンパシーに富んだ言葉が綴られる。

当然のことながら、私たち現代の読者は知らないことが多いので、それなりに調べることが出てくるのだが、そうしているうちに、いつの間にかネルヴァルの仲間うちの一人になった気分になってくる。

これから何回になるかわからないのだが、『ボエム・ギャラント』について少しずつこのブログで書いていくことは、私の独り言のようなものになるかもしれない。その意味では、ネルヴァルがしたことをここで私がたどり直すと言ってみたい気もする。

ただし、言葉によって美を表現することがネルヴァルの最終目標だったのだと私は思うのだが、残念ながら、私は作家ではないので、言葉の美を作り出すことはできない。ただ、『ボエム・ギャラント』をめぐって、ふらふらと読書の散策をすることだけになるだろう。

続きを読む

Gérard de Nerval « Les Cydalises »  ネルヴァル 「レ・シダリーズ」 声に出すとフランス語の音楽性が感じられる詩

ジェラール・ド・ネルヴァルの« Les Cydalises »は、フランス人でなくても、フランス語の詩の音楽性をすぐに感じ取ることのできる美しい詩である。意味はその後から自然に立ち現れてくる。ヴェルレーヌの« De la musique avant toute chose »(何よりも先に、音楽を)という言葉を、まさに実感させてくれる詩だと言っていい。

La Cydalise(シダリーズ)とは、18世紀の牧歌詩や雅宴詩(フェット・ギャラント)の伝統に由来し、優雅で愛らしい若い女性を指す名前で、複数形« Les Cydalises »を題名とするネルヴァルの詩における「シダリーズ」は、彼が青春時代をともに過ごした文学者や画家たちの仲間に加わっていた女性たちのことを指している。

ではまず« Les Cydalises »の第一詩節を、声に出して読んでみよう。

全てが6音節の詩句だが、少し注意したいのは、a/mou/reu/sesで、最後の -ses は語末の無音のeを含むため、一音節として数えず、3音節になること。また、2行目と3行目の最初の Ellesは、次に子音で始まる sont が続くため、、El/lesと2音節になること。

Où sont nos amoureuses?
Elles sont au tombeau.
Elles sont plus heureuses,
Dans un séjour plus beau !

続きを読む

AI自身によるAIのハルシネーション訂正法と人間の思考力向上法

AIに質問すれば何でも即座に回答が得られ、とても便利なのだが、しかし、時に事実関係に関して間違いがあるし、不確かな情報もある。

それはあたまり前のことで、AIの回答、つまり大規模言語モデルの出力が決まる仕組みは、ネット上の大量のデータから、ある言葉の次に「どんな言葉が来る確率が最も高いか」を計算して文章を作るという非常に単純な仕組みで成り立っており、インターネット上のビッグデータによる「多数決」といえるものだ。

しかし、私が勝手に「AI三兄弟」と呼んでいるChatGPT、Gemini、Claudeから提示される回答を正解だと思い、そのまま信じてしまうことも多い。

そこで、AIの回答に含まれるハルシネーション(不確かな回答)をどのように回避できるのか、そしてそこから私たちはどのようにして思考力をアップできるのか、今回はChromeのAIと一緒に考えてみることにした。

続きを読む

宮沢賢治 「よだかの星」 よだかはなぜ星になれたのか ― 孤独・不殺生戒・無我から読む

宮沢賢治の「よだかの星」は、醜い姿のために皆から嫌われていた主人公のよだかが、ある自覚をきっかけに天へ向かうことを決意し、最後には天の川の星となり、青く美しい火となって燃え続けるという、ある意味ではハッピーエンドで終わる童話である。

しかし現代では、生きることを何よりも大切に考え、死をできるかぎり避けようとする価値観が強い。そのため、主人公の死によって幕を閉じるこの物語は、そうした現代の感覚とは相容れない面があり、「よだかの星」をそのまま受け入れることが難しくなっている。

さらに、この童話は「自己犠牲」の物語として語られることが多い。しかし実際に読んでみると、その犠牲によって他の生きものたちに「ほんとうのさいわい」がもたらされる場面は描かれていない。
「銀河鉄道の夜」のサソリの寓話や「グスコーブドリの伝記」のように、自らの死によって他者の幸福が実現される物語と比べると、他者の存在はむしろ希薄である。「灼(や)けて死んでもかまいません」というよだかの言葉も、虫たちのためというよりは、自らの苦しい境遇から抜け出したいという願いのように聞こえてしまう。

そのため、最後の「そしてよだかの星は燃えつづけました。いつまでもいつまでも燃えつづけました。/今でもまだ燃えています」という一節を読み終えたとき、どこか割り切れない思いが残り、すっきりしないと感じる人は少なくない。

しかし、SNSが広く普及し、多くの人といつでもつながっているように見えながら、本心を語り合うことが難しく、少しのことで嫌われるのではないかとおびえ、心の底では孤独を抱えている現代人にとって、「よだかの星」は、一つの心のあり方をそっと教えてくれる童話でもある。

そして、そのことに気づくためには、この作品を読む視点をほんの少し変えてみるだけでいい。

続きを読む

乾杯・万歳はいつから日本の習慣になったのか  — 明治時代に始まった「当たり前」の歴史

先日、知り合いから、「乾杯(かんぱい)は、実は完敗(かんぱい)で、GHQから日本に押しつけられたのを知っていますか」と尋ねられた。

GHQというのは、1945年8月から1952年4月まで、日本を占領し、統治にあたった連合国軍最高司令官総司令部General Headquartersのこと。

もちろんそんなことは知らないし、もしそれが本当だとすると、乾杯の習慣は戦後に始まったことになる。そこで少し調べてみると、乾杯のシーンが描かれているアサヒビールのポスターが見つかった。大正から昭和初期に作られたレトロなポスターだ。

そうしたことを知ると、乾杯が日本でいつから始まったのか、つい調べてみたくなる。自分が当たり前だと思い、何も考えずにいたことにも、それなりの歴史があり、「知らない自分」がいることを発見するのは、それなりに楽しいものだ。

そのついでに、「万歳(ばんざい)」についても調べてみることにした。そして、どちらも、日本で習慣化されたのは明治時代になってからだと知ると、現代の日本の「当たり前」の中には明治時代に始まったものが結構あり、江戸時代までの当たり前ではなかったらしいことがわかってきて、「へーっ」と思ったりする。

続きを読む