女性天皇と男系男子継承 歴史資料から考える皇位継承の歩み

「女性の天皇っていたのですか」と質問されて、少しだけびっくりしたことがある。聖徳太子の時代の天皇は推古天皇という女性だったことは誰でも知っていると思っていたからだ。

しかし、「何人の女性天皇がいたのか」と問われると、まったくわからない。そこで、簡単に調べてみることにした。すると、8人の女性天皇が存在し、2人は2度天皇位に就いていることがわかった。

(1)第33代 推古天皇(在位:593年1月15日 – 628年4月15日)

(2・3)第35代・第37代 皇極天皇(重祚して斉明天皇)
皇極天皇:642年2月19日 – 645年7月12日
斉明天皇:655年2月14日 – 661年8月24日

(4)第41代 持統天皇(在位期間:690年2月14日 – 697年8月22日)

(5)第43代 元明天皇(在位期間:707年8月18日 – 715年10月3日)

(6)第44代 元正天皇(在位期間:715年10月3日 – 724年3月3日)

(7・8)第46代・第48代 孝謙天皇(重祚して称徳天皇)
孝謙天皇(在位期間:749年8月19日 – 758年9月7日)
称徳天皇(在位期間:764年11月6日 – 770年8月28日)

(9)第109代 明正天皇(在位期間:1629年12月22日 – 1643年11月14日)

(10)第117代 後桜町天皇(在位期間:1762年9月15日 – 1771年1月9日)

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ジェラール・ド・ネルヴァル 「ボエム・ギャラント」をめぐって その2

「ボエム・ギャラント(La Bohème galante)」の第1章に入る前、ネルヴァルは、昔の友人であり、当時は『ラルティスト(L’Artiste)』誌の編集長としてネルヴァルに原稿を依頼する立場にあったアルセーヌ・ウッセー(ArsèneHoussaye)に向けて、次のような一文を書き、その後に、ウッセーの詩の一部が引用されている。

ちなみに、ウッセーは1815年生まれで、1808年生まれのネルヴァルよりも7歳年下になる。そして、1835年にはこれから語られる芸術家たちの集団で共に過ごし、1844年には一緒にオランダ旅行をした仲だった。他方で、ウッセーは1843年からは『ラルティスト』誌の編集長(directeur)を務め、1849年からはコメディ・フランセーズの総支配人(Administrateur général)の地位にも就いており、ジェラールとはかなり社会的な格差がついていたといえる。

Mon ami, vous me demandez si je pourrais retrouver quelques-uns de mes anciens vers, et vous vous inquiétez même d’apprendre comment j’ai été poëte, longtemps avant de devenir un humble prosateur. — Ne le savez-vous donc pas ? Vous, qui avez écrit ces vers :

(poëteは現在の綴りではpoète。1878年の綴字改革以来、eの上はトレマ〈ë〉ではなくアクサン・グラーヴ〈è〉になった。)

我が友よ、君はぼくに、昔の詩をいくつか探し出せないかと言う。そればかりか、ぼくが一介の散文家になるずっと前に、どんな詩人だったのか知りたい、とさえ案じてくれる。――君がそれを知らないというのか。こんな詩句を書いたのは、ほかでもない君なのに。

この一節を読むだけで、ネルヴァルのユーモアと皮肉のセンスを感じることができる。

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ジェラール・ド・ネルヴァル 「ボエム・ギャラント」をめぐって その1

このブログは、ジェラール・ド・ネルヴァル(Gérard de Nerval)の『ボエム・ギャラント(La Bohême galante)』から名称を借用している。その理由は、私が長年にわたりネルヴァルの詩や散文を愛読する中で、もっともネルヴァル的だと思える作品の一つであり、とりわけ愛着のある題名だからだ。

ネルヴァルは現在でも、夢と狂気の作家などというレッテルを貼られ、作品はそうした視点を通して読まれることが多い。しかし、実際に彼の紡いだ言葉を彼の生きた時代に引き戻して読んでいくと、それらの言葉は身近な友人たちとの対話から成り立ち、お互いに知っている事柄について、ユーモアや皮肉を込めて、面白おかしくやり取りしていたのだということがわかってきた。彼が頭に置いていた読者は、非人称で不特定な人々ではなく、少数の知り合いに限られていたといっていいかもしれない。

逆に言えば、ネルヴァルの言葉を丹念に読み解いていくことで、私たちも、1808年に生まれ1855年に亡くなったフランスの作家と直に言葉のやり取りをしているような感じがしてくる。友だちになったとは言えないけれど、知り合いの一人には入れてもらえるような気がするのだ。

『ボエム・ギャラント』で言えば、19世紀の半ばのフランスで、1848年の2月革命の後、ナポレオン3世が権力をにぎり、帝制を確立する時期にあたる1852年、ネルヴァルは友人で『ラルティスト(L’Artiste)』という豪華な雑誌の編集長だったアルセーヌ・ウッセイから、一緒に過ごした青春時代の思い出を書くように誘われる。

その注文に応じてネルヴァルが書く内容は、当然、友だち仲間ではよく知られていたことであり、内輪話といってもいい。仲間同士でああだった、こうだったと言いながら、楽しい時を過ごす。そうしたシンパシーに富んだ言葉が綴られる。

当然のことながら、私たち現代の読者は知らないことが多いので、それなりに調べることが出てくるのだが、そうしているうちに、いつの間にかネルヴァルの仲間うちの一人になった気分になってくる。

これから何回になるかわからないのだが、『ボエム・ギャラント』について少しずつこのブログで書いていくことは、私の独り言のようなものになるかもしれない。その意味では、ネルヴァルがしたことをここで私がたどり直すと言ってみたい気もする。

ただし、言葉によって美を表現することがネルヴァルの最終目標だったのだと私は思うのだが、残念ながら、私は作家ではないので、言葉の美を作り出すことはできない。ただ、『ボエム・ギャラント』をめぐって、ふらふらと読書の散策をすることだけになるだろう。

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Gérard de Nerval « Les Cydalises »  ネルヴァル 「レ・シダリーズ」 声に出すとフランス語の音楽性が感じられる詩

ジェラール・ド・ネルヴァルの« Les Cydalises »は、フランス人でなくても、フランス語の詩の音楽性をすぐに感じ取ることのできる美しい詩である。意味はその後から自然に立ち現れてくる。ヴェルレーヌの« De la musique avant toute chose »(何よりも先に、音楽を)という言葉を、まさに実感させてくれる詩だと言っていい。

La Cydalise(シダリーズ)とは、18世紀の牧歌詩や雅宴詩(フェット・ギャラント)の伝統に由来し、優雅で愛らしい若い女性を指す名前で、複数形« Les Cydalises »を題名とするネルヴァルの詩における「シダリーズ」は、彼が青春時代をともに過ごした文学者や画家たちの仲間に加わっていた女性たちのことを指している。

ではまず« Les Cydalises »の第一詩節を、声に出して読んでみよう。

全てが6音節の詩句だが、少し注意したいのは、a/mou/reu/sesで、最後の -ses は語末の無音のeを含むため、一音節として数えず、3音節になること。また、2行目と3行目の最初の Ellesは、次に子音で始まる sont が続くため、、El/lesと2音節になること。

Où sont nos amoureuses?
Elles sont au tombeau.
Elles sont plus heureuses,
Dans un séjour plus beau !

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AI自身によるAIのハルシネーション訂正法と人間の思考力向上法

AIに質問すれば何でも即座に回答が得られ、とても便利なのだが、しかし、時に事実関係に関して間違いがあるし、不確かな情報もある。

それはあたまり前のことで、AIの回答、つまり大規模言語モデルの出力が決まる仕組みは、ネット上の大量のデータから、ある言葉の次に「どんな言葉が来る確率が最も高いか」を計算して文章を作るという非常に単純な仕組みで成り立っており、インターネット上のビッグデータによる「多数決」といえるものだ。

しかし、私が勝手に「AI三兄弟」と呼んでいるChatGPT、Gemini、Claudeから提示される回答を正解だと思い、そのまま信じてしまうことも多い。

そこで、AIの回答に含まれるハルシネーション(不確かな回答)をどのように回避できるのか、そしてそこから私たちはどのようにして思考力をアップできるのか、今回はChromeのAIと一緒に考えてみることにした。

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宮沢賢治 「よだかの星」 よだかはなぜ星になれたのか ― 孤独・不殺生戒・無我から読む

宮沢賢治の「よだかの星」は、醜い姿のために皆から嫌われていた主人公のよだかが、ある自覚をきっかけに天へ向かうことを決意し、最後には天の川の星となり、青く美しい火となって燃え続けるという、ある意味ではハッピーエンドで終わる童話である。

しかし現代では、生きることを何よりも大切に考え、死をできるかぎり避けようとする価値観が強い。そのため、主人公の死によって幕を閉じるこの物語は、そうした現代の感覚とは相容れない面があり、「よだかの星」をそのまま受け入れることが難しくなっている。

さらに、この童話は「自己犠牲」の物語として語られることが多い。しかし実際に読んでみると、その犠牲によって他の生きものたちに「ほんとうのさいわい」がもたらされる場面は描かれていない。
「銀河鉄道の夜」のサソリの寓話や「グスコーブドリの伝記」のように、自らの死によって他者の幸福が実現される物語と比べると、他者の存在はむしろ希薄である。「灼(や)けて死んでもかまいません」というよだかの言葉も、虫たちのためというよりは、自らの苦しい境遇から抜け出したいという願いのように聞こえてしまう。

そのため、最後の「そしてよだかの星は燃えつづけました。いつまでもいつまでも燃えつづけました。/今でもまだ燃えています」という一節を読み終えたとき、どこか割り切れない思いが残り、すっきりしないと感じる人は少なくない。

しかし、SNSが広く普及し、多くの人といつでもつながっているように見えながら、本心を語り合うことが難しく、少しのことで嫌われるのではないかとおびえ、心の底では孤独を抱えている現代人にとって、「よだかの星」は、一つの心のあり方をそっと教えてくれる童話でもある。

そして、そのことに気づくためには、この作品を読む視点をほんの少し変えてみるだけでいい。

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乾杯・万歳はいつから日本の習慣になったのか  — 明治時代に始まった「当たり前」の歴史

先日、知り合いから、「乾杯(かんぱい)は、実は完敗(かんぱい)で、GHQから日本に押しつけられたのを知っていますか」と尋ねられた。

GHQというのは、1945年8月から1952年4月まで、日本を占領し、統治にあたった連合国軍最高司令官総司令部General Headquartersのこと。

もちろんそんなことは知らないし、もしそれが本当だとすると、乾杯の習慣は戦後に始まったことになる。そこで少し調べてみると、乾杯のシーンが描かれているアサヒビールのポスターが見つかった。大正から昭和初期に作られたレトロなポスターだ。

そうしたことを知ると、乾杯が日本でいつから始まったのか、つい調べてみたくなる。自分が当たり前だと思い、何も考えずにいたことにも、それなりの歴史があり、「知らない自分」がいることを発見するのは、それなりに楽しいものだ。

そのついでに、「万歳(ばんざい)」についても調べてみることにした。そして、どちらも、日本で習慣化されたのは明治時代になってからだと知ると、現代の日本の「当たり前」の中には明治時代に始まったものが結構あり、江戸時代までの当たり前ではなかったらしいことがわかってきて、「へーっ」と思ったりする。

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宮沢賢治「やまなし」—クラムボンの謎からオノマトペが手渡す「実感」へ

宮沢賢治の「やまなし」は、小学校の国語の教科書に採用されている作品である。しかし、教える側からは、「難しい」「よくわからない」教材だという声が少なくない。

物語は、幻燈機から映し出された二枚の青い映像によって構成されている。最初の場面は五月、次の場面は十二月である。いずれも、川の底に暮らす二匹のカニの兄弟と、その父親との会話を中心に描かれる。

五月の場面では、前半で「クラムボン」をめぐるやり取りが交わされ、後半では、一匹の魚が何かを捕らえ、その魚が今度は鳥に捕らえられるという出来事が話題になる。

十二月の場面では、成長したカニの兄弟が泡の大きさを競い合い、続いて、川へ落ちてきた果物の「やまなし」を追いかける親子のやり取りが描かれる。

物語の筋だけを追えば、「やまなし」はきわめて簡潔な作品である。それにもかかわらず、なぜ教師たちにとって手強い教材となるのだろうか。
ここでは、その理由を、従来とは少し異なる視点から考えてみたい。

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宮沢賢治 原体剣舞連 — 詩のリズム  3/3 いのちの火花を灯す踊り

宮沢賢治 原体剣舞連 — 詩のリズム  2/3 Ho ! Ho! Ho! 悪路王の出現 から続く)


オノマトペ — 4

   dah-dah-dah-dah-dah-sko-dah-dah

このオノマトペは、詩の冒頭で響いた八拍のリズムとまったく同じものである。そのため、悪路王の伝説の世界から、再び目の前で展開する剣舞へと読者の意識を引き戻す役割を果たすことになると考えてもいいだろう。


第七連

ここから再び行下げがなくなり、剣舞の踊り手たちへの呼びかけが再開される。

さらにただしく // 刃(やいば)を合(あ)はせ         (さらにも強く刃(やいば)を合(あ)はせ)
霹靂(へきれき)の(5) // 青火(あおび)をくだし     (この行を縦線で削る)
四方(しはう)の夜(よる)の // 鬼神(きじん)をまねき
樹液(じゆえき)もふるふ // この夜(よ)さ(4)/ひとよ
赤ひたたれを // 地にひるがへし
雹雲(ひやううん)と(5) // 風とをまつれ

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宮沢賢治 原体剣舞連 — 詩のリズム  2/3 Ho ! Ho! Ho! 悪路王の出現

宮沢賢治 原体剣舞連 — 詩のリズム 1/3 舞手たちへの祈願 から続く)

オノマトペ — 3

ここで突然、それまでとは性格の異なるオノマトペが出現する。

   Ho! Ho! Ho!

「Ho! Ho! Ho!」という三拍のオノマトペは、詩人が踊り手たちに呼びかけた願いと、その後に続く場面との間に置かれ、詩の流れが大きく転換することを告げる役割を果たしていると考えられる。

このオノマトペについては、賢治自身が驚きを表す声として用いていたことをうかがわせる証言が残されている。

賢治が原体村で剣舞を見たのは、大正6(1917)年8月28日から9月8日にかけて、友人たちとともに江刺地方で地質調査を行った際のことであった。その折、賢治は五輪峠で蛇紋岩脈にハンマーを打ち込み、飛び散る岩片を拾いながら、「ホー、ホー! 二十万年もの間隔の目を見ずに居たのでみな驚いている」と叫んでいたという。この思い出を、同行した友人の一人が後年語っている。

こうした証言を踏まえると、「Ho! Ho! Ho!」もまた、賢治が驚きを表すために用いた声と読むことができる。そして、この驚きの声の直後に、伝説の英雄・悪路王が突如として姿を現すことに注目するならば、このオノマトペは、前半の祈願の世界から後半の伝説の世界へと読者を導く転換点として機能していると考えることができる。

すなわち、「Ho! Ho! Ho!」は、単なる感嘆の声ではない。それは、踊り手たちの舞が「師父たち」の姿を超え、東北の歴史と伝説が重なり合う新たな世界の扉を開く合図となっているのである。

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