可翁 黙庵 初期水墨画の始まり

日本の画家が水墨画を描くようになったのは14世紀前半、鎌倉時代後期から南北朝にかけてのことだった

鎌倉幕府は、京都に住む貴族たちの平安仏教(天台・真言)に対抗するため、宋から禅僧を積極的に招き、足利幕府も禅院を保護した。
また、各地の武将たちも、日本の禅僧を大陸に留学させ、禅を中心にした大陸の文芸と美術が数多く日本に移入された。
その結果、円覚寺を始めとする禅宗寺院が建てられ、水墨画も数多く輸入され、日本人の僧たちも水墨画を手がけるようになった。

その代表として、ここでは、可翁(かおう)と黙庵(もくあん)を見ていくことにする。

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小林秀雄 雪舟 絵画の自立性について

小林秀雄は、ボードレールから学んだ芸術観に基づいて、「近代絵画の運動とは、根本のところから言えば、画家が、扱う主題の権威或いは強制から逃れて、いかにして絵画の自主性或いは独立性を創り出そうかという烈(はげ)しい工夫の歴史を言うのである。」(『近代絵画』)と定義した。

要するに、一つの山を描くとして、モデルとなる山に似ていることが問題ではなく、絵画に描かれた山それ自体が表現するものが重要だということになる。

こうした考え方は、画家の姿勢だけではなく、絵を見る者の観賞の仕方とも関係している。
「雪舟」(昭和25(1950)年)の中で、小林秀雄が雪舟の山水画について語る言葉を辿っていると、実際、絵画の自立性という考え方に基づいていることがはっきりとわかる。

小林が見つめているのは、雪舟の「山水長巻」(さんすいちょうかん)。
全長16メートルにも達しそうな長い墨画淡彩の絵巻の中に、二人の男が散策する姿が描かれている場面がある。

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小林秀雄 ボードレール 『近代絵画』におけるモデルと作品の関係

小林秀雄が学生時代にボードレールを愛読していたことはよく知られていて、「もし、ボオドレエルという人に出会わなかったなら、今日の私の批評もなかったであろう」(「詩について」昭和25(1950)年)とか、「僕も詩は好きだったから、高等学校(旧制第一高等学校)時代、『悪の華』はボロボロになるまで愛読したものである。(中略)彼の著作を読んだという事は、私の生涯で決定的な事件であったと思っている」(「ボオドレエルと私」昭和29(1954)年)などと、影響の大きさを様々な場所で口にしている。

そうした中で、『近代絵画』(昭和33(1958)年)の冒頭に置かれた「ボードレール」では、小林が詩人から吸収した芸術観、世界観が最も明瞭に明かされている。
その核心は、芸術作品の対象とするモデルと作品との関係、そして作品の美の生成される原理の存在。

『近代絵画』は次の一文から始まる。

近頃の絵は解らない、という言葉を、実によく聞く。どうも馬鈴薯(ばれいしょ)らしいと思って、下の題を見ると、ある男の顔と書いてある。極端に言えば、まあそういう次第で、この何かは、絵を見ない前から私達が承知しているものでなければならない。まことに当たり前の考え方であって、実際画家達は、長い間、この当たり前な考えに従って絵を描いて来たのである。

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シャルル・ボードレール 新しい美の創造  3/5 今という永遠の瞬間を捉える

ボードレールは詩人であるだけではなく、美術、文学、音楽等に関しての評論活動を行った。それら全ての根底にあるのは「美」の探求。
その点は『1846年のサロン』から1867年8月の死に至るまで、常に共通していた。

しかし、1857年の『悪の華』の有罪判決の後、1861年に出版される第2版の構想を練る時期を中心に、ある変化が見られた。
「現代生活の英雄性」という美学を中心にしながらも、後年になると、力点が「今という永遠の瞬間」に置かれるようになったのだった。

「今という永遠の瞬間」というのはボードレールではなく、私の表現だが、その言葉を理解することで、ボードレールが1860年前後に提示した「モデルニテ(現代性)」の美学を理解することができる。

その美学は、その時期に発表された様々な批評活動を通して言語化されていった。
a. 美術批評ー「1859年のサロン」「現代生活の画家」など。
b. 音楽批評ー ワグナー論
c. 文学批評ー『人工楽園』、ポー、ユゴー、フロベール論など。https://bohemegalante.com/2022/08/20/baudelaire-creation-beau-2/

ここでは、それぞれの批評を個別に取り上げるのではなく、美と忘我的恍惚(エクスターズ)の関係を中心にして、「新しい美」を生み出すいくつかのアプローチを検討していくこととする。

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シャルル・ボードレール 新しい美の創造  2/5『悪の華』第2版と散文詩集『パリの憂鬱』の構想  

1857年に出版した『悪の華』が裁判で有罪判決を受け、社会の風紀を乱すという理由で6編の詩の削除を命じる判決が下される。
ボードレールにとって、その詩集は100編の詩で構成される完璧な構造体だった。従って、単に削除するだけとか、6編の新たな詩を加えて再出版することは考えられないことだった。

断罪された詩人は、1861年に出版されることになる『悪の華』の第2版に向け、新しく構想を練り始めるのだが、その作業と並行して、様々な分野での創作活動も非常な勢いで活性化していく。その内容を大きく分けると、以下のようになる。

(1)『悪の華』の再構築
(2)散文詩集の構想
(3)美学の深化
a. 美術批評ー「1859年のサロン」「現代生活の画家」など。
b. 音楽批評ー ワグナー論
c. 文学批評ー『人工楽園』、ポー、ユゴー、フロベール論など。

こうした創作活動を通して、ボードレールの美学は、19世紀後半から20世紀、21世紀にまで至る、新しい芸術観の扉を開くことになった。

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シャルル・ボードレール 新しい美の創造 1/5 『悪の華』の出版まで

シャルル・ボードレールは、19世紀後半以降の詩および芸術に最も大きな影響を及ぼした詩人だと言っていい。

彼は1821年に生まれ、青春時代にはロマン主義に熱中し、ロマン主義的な美を追い求めた。
その後、1850年を過ぎる頃からは、ロマン主義に基づきながらも、それまでとは異なった美を模索し、新しい美を生み出すことになった。

古典主義やロマン主義において、美しいものと美しくないものは明確に区別されていた。
古典主義では理性に従い、ロマン主義では感情を中心に置きながら、古代ギリシア・ローマから続く美の基準はそのまま保たれていた。
ロマン主義を主導したヴィクトル・ユゴーは、『ノートルダム・ド・パリ』の中で、エスメラルダとカジモドを対照的に配置し、美と醜の対比によって美の効果を高めようとした。その中で、エスメラルダが美、カジモドが醜という基準は変わることがなかった。

それに対して、ボードレールは、「美は奇妙なものだ」とか「美は人を驚かせる」といった表現で示されるように、それまでは美の対象ではなく、むしろ醜いとされてきたものを取り上げ、「美」を生み出そうとした。
そのことは、『悪の華』という詩集の題名によってはっきりと示されている。テーマは「悪(mal)」であり、「華(Fleurs)」は「美」の表現である「詩」を意味する。

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ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)によるボードレールの散文詩「髪の中の半球」の翻訳 Lafcadio Hearn « A Hemisphere in a Woman’s Hair »

ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)がアメリカで新聞記者をしている時代、フランス文学の翻訳にも興味を持ち、ボードレールの散文詩の翻訳などもしていた。

1883年12月31日発行の「タイムズ・デモクラット(Times Democrat)」紙に、« ボー ドレールからの断片(Fragments from Baudelaire) »という記事があり、ボードレールの散文詩4編の翻訳が掲載されているが、その著者(訳者)がハーンであると推定されている。

フランス語を日本語に訳すのとは違い、英語の翻訳であれば、フランス語の構文はほぼ保つことができる。そうした中で、どのような変更が加えられたのか見ていくのは、ハーンの文学観を知る上で大変に興味深い。
ここでは、「髪の中の半球(Un Hémisphère dans une chevelure)」の原文と英語訳を対照しながら読んでみよう。

Un Hémisphère dans une chevelure

Laisse-moi respirer longtemps, longtemps, l’odeur de tes cheveux, y plonger tout mon visage, comme un homme altéré dans l’eau d’une source, et les agiter avec ma main comme un mouchoir odorant, pour secouer des souvenirs dans l’air.

意味や読解については、以下の項目を参照。
ボードレール 「髪の中の半球」 Baudelaire « Un Hémisphère dans une chevelure » 散文で綴った詩

A Hemisphere in a Woman’s Hair

Ah! let me long, long breathe the odor of thy hair; let me plunge my whole face into the rippling of thy locks, even as a thirsty man plunges his face into the waters of a spring. Let me shake thy tresses with my hand, as one shakes a perfumed handkerchief, as one memories from them into the air around me.

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ボードレール 「髪の中の半球」 Baudelaire « Un Hémisphère dans une chevelure » 散文で綴った詩

散文詩「髪の中の半球(un hémisphère dans une chevelure)」は、韻文詩「髪(La Chevelure)」をボードレールが書き換えた作品だと考えられている。

実際、「髪の中の半球」が最初に発表された時、題名は韻文詩と同じ「髪(La Chevelure)」だった。さらに、韻文詩は7つの詩節で構成されるが、散文詩にも7つの段落がある。その内容も対応する部分があり、同じ単語が使われていたりもする。

従って、「髪」を下敷きにしながら「髪の中の半球」を読んでいくと、ボードレールが散文詩というジャンルをどのようなものとして成立させようとしていたのかが、わかってくる。

韻文詩「髪(La Chevelure)」はこのように始まる。

Ô toison, moutonnant jusque sur l’encolure !     おお、首の上まで波打つ羊毛のような髪!
Ô boucles ! Ô parfum chargé de nonchaloir !     おお、髪の輪! おお、物憂さの籠もった香り!
Extase ! Pour peupler ce soir l’alcôve obscure    恍惚! 今宵、暗い寝室を、
Des souvenirs dormant dans cette chevelure,    この髪の中で眠る思い出によって満たすため、
Je la veux agiter dans l’air comme un mouchoir    この髪を空中で揺り動かしたい、ハンカチを振らすように!

ボードレール 「髪」  Baudelaire « La Chevelure »  官能性から生の流れへ

散文詩「髪の中の半球」では、韻文詩の最初の2行及び3行目の最初に置かれた「恍惚(Extase !)」を含め、感嘆詞で綴られる部分が省かれる。
そして、「君の髪(tes cheveux)」の「香り(l’odeur)」を嗅ぎ、それを「揺する(agiter)」ことで、「思い出(souvenirs)」を掻き立てるという、具体的な行為から出発する。

Laisse-moi respirer longtemps, longtemps, l’odeur de tes cheveux, y plonger tout mon visage, comme un homme altéré dans l’eau d’une source, et les agiter avec ma main comme un mouchoir odorant, pour secouer des souvenirs dans l’air.

髪の中の半球

 吸い込ませておいてくれ、長い間、長い間、君の髪の香りを。そこに顔をすっぽりと沈ませておいてくれ、泉の水で喉を潤す男のように。その髪をこの手で揺らさせておくれ、香りのいいハンカチを振るように。思い出を空中に振りまくために。

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ボードレール 「髪」  Baudelaire « La Chevelure »  官能性から生の流れへ 

愛する女性の髪に顔を埋め、恍惚とした愛に浸る。「髪(La Chevelure)」と題された韻文詩で、ボードレールはそんな官能的な愛を歌いながら、いつしか読者を「思い出というワイン(le vin du souvenir)」で酔わせていく。そして、その過程が、官能の喜びから精神の恍惚への旅として描かれる。

「髪」は、7つの詩節から構成される。
それぞれの詩節は、12音節の詩句が5行から成り、全ての詩節の韻はABAAB。
12音節の切れ目(césure)は6/6と中央に置かれることが多く、詩全体が非常に整った印象を与える。

La Chevelure

Ô toison, moutonnant jusque sur l’encolure !
Ô boucles ! Ô parfum chargé de nonchaloir !
Extase ! Pour peupler ce soir l’alcôve obscure
Des souvenirs dormant dans cette chevelure,
Je la veux agiter dans l’air comme un mouchoir

「髪」

おお、首の上まで波打つ羊毛のような髪!
おお、髪の輪! おお、物憂さの籠もった香り!
恍惚! 今宵、暗い寝室を、
この髪の中で眠る思い出によって満たすため、
この髪を空中で揺り動かしたい、ハンカチを振らすように!

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