「戦争は殺人」という論理が現在の日本で受け入れられない理由をAIに聞いてみた

AIは、ビックデータの中から平均値をまとめて答える装置なので、一般論を知るためにはとても参考になる。
そこで、次のような質問を、ChatGTP、Gemini、Claudeにしてみた。

「戦争とは殺人である」という私の主張は、現代の日本ではほとんど受け入れられません。 つまり、戦争で敵を殺すことは正義の行為とみなされますが、その敵とは具体的な人間です。そして、それは殺人です。
そうした非常に簡単な論理が通用しないのはなぜだと考えられますか。

以下、3つのAIの回答を列挙してみよう。

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真理に達する道は一つではない — シンマクスによる多様性と寛容の勧め

「ただ一つの道によって、これほど大いなる神秘に到達することはできない。」

力で相手を打ち倒せばすべてが解決する、そんな発想からなのか、自己の正義を振りかざした戦争という愚かな暴力が、いまも世界各地で繰り返されている。
だからこそ、この言葉はいっそう強く心に響く。

Nous contemplons les mêmes astres, le ciel nous est commun, le même univers nous enveloppe.
Qu’importe par quelle sagesse chacun cherche la vérité ?
On ne peut parvenir par un seul chemin à un si grand secret.

私たちは同じ星を仰ぎ見ている。空はすべての人に共通であり、同じ宇宙が私たちを包んでいる。
いったい何が重要だろう、どのような叡智によって、人それぞれが真理を求めるのか、ということが。
ただ一つの道によって、これほど大いなる神秘に到達することはできない。

英語だとこんな風に訳される。

We look up at the same stars; the sky is common to us all; the same universe encompasses us.
What does it matter by what path each of us seeks the truth?
We cannot arrive at so great a secret by one route alone.

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能ある鷹は爪を隠す — 文化の違いを楽しむ

「能ある鷹は爪を隠す」という諺をフランス語に訳すとどうなるか考えていて、日本とフランスの文化、あるいは日本的精神とフランス的精神の違いに思いを巡らせることがあった。

日本語をフランス語に直訳すれば、« Le faucon talentueux cache ses serres. »

では、このフランス語の単文がフランスの文化の中で、日本語の諺が意味する「本当に力のある人間はそれを見せびらかすことなく謙虚に振る舞う」といったニュアンスを伝えるだろうか?
問題は、「隠す」という言葉がどのように受け取られるかにかかっている。

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AIを活用して「考える力」を育てる  —— 対話する技術

ChatGPT、Gemini、Claudeといった生成AIを使っていると、それぞれの個性に面白みを感じる一方で、その論理展開の精密さには驚かされる。人間を凌駕するほどの論理性を備えたこれらのツールが、極めて有用であることは疑いようもない。

しかし、その一方で危急の課題もある。
AIはこちらの問いかけの先を行く回答をスムーズに提示するため、油断するといつの間にかAIが示す方向へと、こちらの思考が引き寄せられてしまいそうになるのだ。

では、私たちはどのようにして自らの思考の主体性を保ちながら、AIの論理力を利用すればいいのか。少々矛盾するようだが、その術(すべ)をGeminiに問いかけてみた。

AIの論理の展開力は、普通の人間のレベルを超えているように思います。一般の人々が、どのように利用すれば、自分の思考を保ちながら、AIの論理展開力を利用できるでしょうか。

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西部劇的世界から逃れたい

愚痴にしかならないので、現在の世界状況について何かを語ることは、できるだけ避けている。しかし、アメリカ合衆国がイスラエルに先導される形でイランの最高指導者を殺害し、なお攻撃を続けているのに対して、いわゆる国際社会の反応を見ていると、思わず「いつまで西部劇が続くのか」と考えてしまう。

西部劇といえば、アメリカ西部の未開拓地を舞台に、白人の開拓者たちが先住民である野蛮なインディアンの襲撃を受けながら、フロンティア精神を発揮して勇敢に活躍する物語である。1970年代以降になると、さすがに、開拓者が正義を体現しインディアンは残虐な襲撃者であるという単純な二元論的世界観は、少なくとも表向きには見られなくなったように思われる。

しかし、現実の世界を眺めていると、依然として、西欧文明の価値観が正義であり、それに反対する勢力は悪であるという二元論が続いているとしか思えない。

そして日本人は、明治維新以降、その二元論をほとんど疑うことなく受け入れてきた。文明開化、すなわち欧米化を進めるなかで、その世界観の内部に自分たちを位置づけることを当然のこととしてきたように見える。

私は今、自分たちの信じる正義のためであれば、そして自衛という名を与えさえすれば、戦争を許してしまう世界観に疑問を感じている。西部劇の中で、大群で襲ってくるインディアンたちを撃ち倒していくヒーローの姿を、私たちは娯楽として見てきた。しかし、現実の世界でもまた、似た構図のもとで多くの人々が殺されているのを見るにつけ、そろそろ西部劇も終わってほしいと思うようになってしまった。

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八咫烏(やたがらす)をめぐる小さな旅

最近よく話をする知り合いが「八咫烏にはまっている」と言い、Facebookのリールで得た情報を送ってくれた。
それによると、「イザナギの大御神、天照大御神、かもの大御神が八咫烏だったと、聖徳太子が記している」のだという。

八咫烏を中心にしたこの不思議な組み合わせがどこから出てくるのか、今から八咫烏を探す旅に出発してみよう。

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面白い話と事実の確認 — 考えるためのベース 琵琶湖と淡路島

ある人から、面白い話を聞いた。

知っていますか? 琵琶湖だったところの地面が飛んでいって、淡路島になったんですよ。

普通なら誰も信じない話なのだけれど、その話の主の仲間内では、エジプトのピラミッドは縄文時代の日本の技術で作られた、などという説がごく普通に流通している。そんな環境なので、「もしかすると?」と思ってしまったりもする。

確かに、琵琶湖と淡路島は形がよく似ているし、大きさも同じくらいに見える。ところが、そこですぐに次の言葉が続いた。

でも、琵琶湖の深さと淡路島の高さは違いますよね。琵琶湖の深さは6メートルくらいだし、淡路島の山は200メートルくらいある。合わないですよね。

話はこれで終わりなのだが、あまりにも面白かったので、それを使って、話題を楽しむことから情報の事実確認へと進むという、認識法について簡単に考えてみることした。

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日本的とは?

長くフランスやヨーロッパ的なものを学んできた。その後、「日本的なもの」に、ようやく関心を抱くようになった。そして、いつかフランスで、「日本的とは何か」ということを紹介してみたいと考え、ここ数年は意識的に日本へと立ち返ろうとしている。
しかし、正直に言えば、いまだ「これだ」と言えるところまで辿り着けずにいる。

その大きな理由の一つは、現存している最古の文字資料が八世紀の書物であるという事実にある。しかも、その時代にはすでに大陸からの影響が色濃く、日本固有のものが何であるのかを、はっきりと線引きすることが難しい。日本的なものを探ろうとすればするほど、外からもたらされた思想や文化と深く絡み合っていることに気づかされる。

たとえば、日本文化の大きな特徴の一つとして、「無」に価値を置く姿勢を挙げることができるだろう。しかし、その「無」は、インド仏教の「空」や、中国思想における「無」と、どのようにつながり、またどこが異なっているのか。そうした関係を丁寧に解きほぐそうとすると、たちまち困難に突き当たる。

それにもかかわらず、「無」は日本人にとってきわめて身近な概念でもある。「何かを成し遂げたければ、意識的にあれこれ考えるのではなく、無になるのが一番だ」と言われれば、多くの人は違和感なく受け止めるだろう。
ところが一方で、「無とは何か」と問われると、言葉にして明確に答えることは容易ではない。

説明しようとすればするほど、外来の宗教や思想との関係を踏まえたうえで、「日本的な無」とは何かを問わざるをえなくなる。しかし、そこでは思考の糸が複雑に絡み合い、一筋縄ではもつれをほどくことができない。
この一点を取ってみただけでも、「日本的なもの」を解明することがいかに難しい営みであるかは、十分に伝わるのではないだろうか。

そうした中で、これは日本的だと言ってよいのではないか、と思われる事柄に、時折出会うことがある。それらは、日本人にとってあまりにも当たり前すぎるため、意識されにくいものでもある。
そのいくつかを、以下で簡単に見ていこう。

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言葉で伝えることの難しさ — 選挙や財政政策について考える

長い間、同業者の間でしか通じない言葉を使い続けてきたために、多くの人々に自分の言葉を伝えることの難しさを、日々痛感している。
論理的な整合性を重視し、主張を正当化するために論点を積み重ね、具体的な例を取り上げて分析し、結論を導き出すことで説得力を持たせることを目指してきた。こうした論の展開では、どうしても文章は長くなってしまう。
しかも、正確さを期そうとすればするほど、面白みは失われ、退屈なものになりがちである。

しかし、SNSの時代においては、一般書であっても一読してさっと理解できることが、読者を獲得するための最低限の条件となっている。分かりやすくなければ、読まれないのである。

とここまで書いてきて、既に文字数はすでに300字を超えている。すでに長く、言いたいことは何?と感じられるだろう。

で、何を言いたいのかと言えば、「言葉を読むことの難しさ」ということだ。
ここでは、(1)選挙、(2)積極財政と消費税、という二つの点について書いてみよう。

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