太平洋戦時中のヒットラー像 

「変なはなしだと思われるかも知れません。まったく変なはなしです。しかし、それを変だと思わないほど、ぼくは日常そのことに慣れっこになっていたんです。いや、そうじゃない。今でこそ変だといいますけど、そのときには別に何とも思っていなかったんです。」

机の前に座る男性と積まれた本の画像

これは、昭和13年(1938年)に発表された石川淳の「マルスの歌」に登場する人物の言葉だ。
後から考えればおかしい、あるいは間違っていたと思えることでも、その渦中にある時には慣れてしまっていて、変だと思うことも疑問を持つこともない。そうしたことはしばしばあるし、むしろそれこそが普通なのだろう。

逆に言えば、それほど当たり前だと思っていることや常識を問い返すことは難しく、さらに言えば、後から振り返って「変だ」「間違っている」と言い、過去の当たり前や常識を批判することほど易しいこともない。かつての当たり前を非難する際に「今の常識も実は変かもしれない」と疑うことは難しいのに対し、今の常識とは異なる過去のものを批判することは容易だからだ。

そうした視点から第二次世界大戦中の日本におけるヒトラー像を振り返ると、当時の日本の「当たり前」が見えてくる。

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加藤周一 「日本文化の雑種性」とその土壌

加藤周一(1919-2008)は、フランス留学のため、1951年11月に羽田空港から出国し、1955年3月、貨物船で神戸港に帰国した。彼は本来医師であり、アメリカへの留学も視野に入れていたのかもしれない。しかし、一高時代から「フランスに行きたい」という思いが強く、フランス政府の留学生試験を受け、フランスで文学研究を行う道を選んだ。

フランス留学を経て帰国した加藤は、敗戦から10年を経た日本を、ヨーロッパでの生活体験を踏まえて見つめ直し、日本の文化について思索をめぐらせ、その成果を次々と発表していった。

1955年6月に発表された「日本文化の雑種性」は、明治維新以降に近代化された日本のあり方を問い直すものであり、翌1956年9月の「果たして『断絶』はあるか」の一節では、日本が外国の文化を受容する土台について論じている。

ここでは、この二つの日本文化論を通して、加藤周一が提示した日本文化のあり方を探っていこう。

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日本人の死後観 ご先祖様はどこにいるのか

日本人は、死後の世界をどんなふうに考えてきたのだろうか。

日本人の死後観を描いたイラスト。祖先の存在や供養の重要性をテーマにしている。

伝統的な和服を着た男性が、家の入り口で立っているモノクロ写真。男性は帽子をかぶり、手にバッグを持ち、杖を持っています。

柳田国男は『先祖の話』の中で、次のように書いている。

第一に、死んだ後は、一人一人が別々の霊魂として存在するのではなく、ご先祖様全員の霊魂が一つの塊となっていると考えていたらしい。

以前の日本人の先祖に対する考え方は、(中略)、人は亡くなってある年限を過ぎると、それから後は先祖さま、またはみたま様という一つの尊い霊体に、融け込んでしまうものとしていたようである。

古代の仮面のイラストとタイトル「先祖の話」が描かれた画像

第二に、「みたま様」は、あの世に去るのではなく、ずっとこの世の近く、家族の側にいると考えていたらしい。

日本人の死後の観念、すなわち霊は永久にこの国土のうちに留まって、そう遠方へは行ってしまわないという信仰が、おそらくは世の始めから、少なくとも今日まで、かなり根強くまだ持ち続けられているということである。

私たちがお墓参りをして、ご先祖様の霊に手を合わせるのは、霊が安らかに眠ってほしいという願いもあるが、もう一つには、家族を見守り、幸せに暮らせるように守ってほしいという気持ちも含まれている。
それは、こうした日本人が古来から持ってきた信仰に由来しているのだろう。

すると、ふとこんな疑問が浮かんでくる。

自分が死に、お葬式をしてもらった後で、成仏して、極楽浄土に行くことはないのだろうか?

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圧倒的な博識に圧倒される読書体験 — シャルル・ノディエ 『ボヘミアの王と7つの城の物語』 Charles Nodier Histoire du roi de Bohême et de ses sept châteaux

この項目は独り言のようになってしまうのだが……。

これまで何年も、もっと正直に言えば何十年もの間、いつかじっくりと読み通したいと思いながら実現できずにいた本がある。それは、シャルル・ノディエの『ボヘミアの王と7つの城の物語』という風変わりな小説。

Charles Nodier, Histoire du roi de Bohême et de ses sept châteaux, Paris, Delangle, 1830.

なぜ読みたかったのかといえば、まず第1に、ノディエは私が生まれて初めてフランス語で読み通した本『パン屑の妖精』(La Fée aux miettes)の作者であること、そしてボヘミア王の話は彼の代表作の一つだからだ。

では、読みたいと思いながら、なぜ読まなかったのか。あるいは読むことができなかったのか。
その理由はただ一つ。フランス語自体がそれほど難しいわけではないのだが、読み始めても何が書かれているのかよくわからない。。。

話が前に進まないというか、物語があるのかすらわからない。脱線だらけで、読んでも読んでも何も頭に残らない。先に進んでも、たどった道がすぐに消えてしまうような印象を受け、楽しく本に向き合うことができなかった。その難しさは、ランボーやマラルメの難解さとは全く異質のものだ。

そこで今回は、前に進むのではなく、一つ一つの文の上に腰を下ろして、じっくりと読み解こうと試みてみた。そして、少しだけわかったことがある。

それは、ノディエが圧倒的な博識の持ち主であり、私の知識などでは到底追いつかないこと。彼は、その博識を論理的に組み立てるのではなく、むしろ軽い冗談のように「博識を博識で揶揄し」、読者を面白がらせようとしている、ということだった。

本を読むためにはそれなりの知識が必要であることは十分に理解しているし、知識を身につけることを楽しんできたつもりだったのだが、『ボヘミアの王と7つの城の物語』に関しては全く歯が立たない。ノディエの圧倒的な博識に、私は圧倒された。

そんなわけなので、いつの日か最後まで読み通せる日を夢見ながら、その「圧倒された例」を二つだけ紹介してみたい。

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女性天皇と男系男子継承 歴史資料から考える皇位継承の歩み

「女性の天皇っていたのですか」と質問されて、少しだけびっくりしたことがある。聖徳太子の時代の天皇は推古天皇という女性だったことは誰でも知っていると思っていたからだ。

しかし、「何人の女性天皇がいたのか」と問われると、まったくわからない。そこで、簡単に調べてみることにした。すると、8人の女性天皇が存在し、2人は2度天皇位に就いていることがわかった。

(1)第33代 推古天皇(在位:593年1月15日 – 628年4月15日)

(2・3)第35代・第37代 皇極天皇(重祚して斉明天皇)
皇極天皇:642年2月19日 – 645年7月12日
斉明天皇:655年2月14日 – 661年8月24日

(4)第41代 持統天皇(在位期間:690年2月14日 – 697年8月22日)

(5)第43代 元明天皇(在位期間:707年8月18日 – 715年10月3日)

(6)第44代 元正天皇(在位期間:715年10月3日 – 724年3月3日)

(7・8)第46代・第48代 孝謙天皇(重祚して称徳天皇)
孝謙天皇(在位期間:749年8月19日 – 758年9月7日)
称徳天皇(在位期間:764年11月6日 – 770年8月28日)

(9)第109代 明正天皇(在位期間:1629年12月22日 – 1643年11月14日)

(10)第117代 後桜町天皇(在位期間:1762年9月15日 – 1771年1月9日)

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AI自身によるAIのハルシネーション訂正法と人間の思考力向上法

AIに質問すれば何でも即座に回答が得られ、とても便利なのだが、しかし、時に事実関係に関して間違いがあるし、不確かな情報もある。

それはあたまり前のことで、AIの回答、つまり大規模言語モデルの出力が決まる仕組みは、ネット上の大量のデータから、ある言葉の次に「どんな言葉が来る確率が最も高いか」を計算して文章を作るという非常に単純な仕組みで成り立っており、インターネット上のビッグデータによる「多数決」といえるものだ。

しかし、私が勝手に「AI三兄弟」と呼んでいるChatGPT、Gemini、Claudeから提示される回答を正解だと思い、そのまま信じてしまうことも多い。

そこで、AIの回答に含まれるハルシネーション(不確かな回答)をどのように回避できるのか、そしてそこから私たちはどのようにして思考力をアップできるのか、今回はChromeのAIと一緒に考えてみることにした。

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乾杯・万歳はいつから日本の習慣になったのか  — 明治時代に始まった「当たり前」の歴史

先日、知り合いから、「乾杯(かんぱい)は、実は完敗(かんぱい)で、GHQから日本に押しつけられたのを知っていますか」と尋ねられた。

GHQというのは、1945年8月から1952年4月まで、日本を占領し、統治にあたった連合国軍最高司令官総司令部General Headquartersのこと。

もちろんそんなことは知らないし、もしそれが本当だとすると、乾杯の習慣は戦後に始まったことになる。そこで少し調べてみると、乾杯のシーンが描かれているアサヒビールのポスターが見つかった。大正から昭和初期に作られたレトロなポスターだ。

そうしたことを知ると、乾杯が日本でいつから始まったのか、つい調べてみたくなる。自分が当たり前だと思い、何も考えずにいたことにも、それなりの歴史があり、「知らない自分」がいることを発見するのは、それなりに楽しいものだ。

そのついでに、「万歳(ばんざい)」についても調べてみることにした。そして、どちらも、日本で習慣化されたのは明治時代になってからだと知ると、現代の日本の「当たり前」の中には明治時代に始まったものが結構あり、江戸時代までの当たり前ではなかったらしいことがわかってきて、「へーっ」と思ったりする。

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丸山真男 「思想のあり方について」 — 『日本の思想』を読み解く 2/2 現在進行中の世界の姿

丸山真男の『日本の思想』に収録されている「思想のあり方について」を読んでいる。1957年に行われた講演の原稿を元にした評論だが、21世紀に入り、SNSによって変容してしまった現代の日本、さらには世界のあり方を驚くほど鮮やかに先取りしている。

一言で言えばこういうことだ。人々はSNSによって広く繋がっているように見えて、その内実は思考のコミュニティが「タコツボ化」し、仲間内だけで通用する言葉や考え方に閉じこもっている。その結果、他者への差別的な意識と言語が強化され、その反作用として被害者意識が生まれるという悪循環が形成されてしまう。そうした社会構造が、いまや完全に出来上がっているのが現状だ。

丸山がここで描いたのは、明治維新を契機に伝統的な日本の価値観へと西欧思想が急激に入り込み、そのために起こった弊害が第二次世界大戦後も地続きで残っている状況だった。しかし、そこで指摘された「タコツボ化」という構図が、いまや21世紀の世界全体にまで広がっている事実には、深い驚きと切なさを禁じ得ない。

それでも、これが私たちの生きるリアルなのだ。まずはこの現実を冷徹に認識することこそが、次の一歩を踏み出すための確かな足場になるに違いない。

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飛鳥・藤原の宮都 日本国誕生の舞台  世界文化遺産登録に寄せて

2026年6月、ユネスコの諮問機関が「飛鳥・藤原の宮都」の世界文化遺産への登録を勧告したというニュースが流れた。対象となるのは飛鳥時代の宮殿や仏教寺院の遺構、墳墓などで、「文化的伝統や文明を伝承する物証として無二、あるいは少なくとも稀有な存在」との評価を受けたという。

世界遺産への登録を推進する側からは、以下のような趣旨が発表されている。

『飛鳥・藤原』−この言葉から多くの方が連想されるのは「日本の心のふるさと」です。これは、この地で東アジアとの政治的・文化的交流によって中央集権体制に基づいた宮都が誕生し、日本国誕生の舞台となったから、そして、その歴史の舞台が、1300年以上も経た現在も、田園景観の中に良好に伝えられてきたからです。
https://asuka-fujiwara.jp/asuka-fujiwara/

こうした言葉を読むと、なんとなく納得するところもあるのだが、具体的に掘り下げてみると、例えば「日本国誕生の舞台」という言葉が本当は何を意味しているのか、はっきりとわからなかったりする。

それに、そもそも飛鳥時代とはいつ頃のことで、その前はどの時代だったのか、あるいは藤原京がいつ・どこに存在したのか、すぐに答えられる人はそれほど多くないのではないだろうか。

しかし、少し調べてみると、現在の日本の骨格が飛鳥時代に出来上がったことが見えてくる。この時代を知ることは、まさに「今」を理解することにつながっているのだ。

これから少しだけ、飛鳥時代へとワープしてみよう。

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Mount Maya: Memories of Devotion Etched into Kobe’s Sacred Peak

Mount Maya stands quietly on the northern side of Kobe. While it welcomes many visitors today as a popular tourist destination, tracing its history reveals a sacred realm of quiet gravity—one that conveys the enduring essence of ancient Japanese spiritual devotion to the present day.

When following the flow of time from the past to the modern era, the various sites scattered throughout the mountain emerge not merely as scenic viewpoints, but as traces harboring memories of ancient faith. These vestiges seem to silently narrate how people of old understood the world in harmony with local spirits and Buddhist deities.

By shifting our perspective from ancient mountain worship to Shugendo, and further to the concepts of the Womb Realm Mandala (Taizokai Mandala) in Esoteric Buddhism, the layers of meaning bestowed upon Mount Maya over the ages gradually come to light. Following this process deepens our understanding of the background behind why this mountain has long been embraced as the “Mother Mountain.”

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