ペロー 巻き毛のリケ Perrault Riquet à la Houppe 変身を可能にするものは何か? その1

1697年に発表されたペローの昔話集には、「赤ずきんちゃん」「眠れる森の美女」「シンデレラ」等、後の時代に世界中で親しまれる物語が含まれている。
しかし、全ての物語が知られているわけではなく、「巻き毛のリケ(Riquet à la Houppe)」のように、日本ではほとんど知られていない作品もある。

どんな物語かと思い「巻き毛のリケ」を読んでみると、まず、全く昔話らしくない。子供のための話というよりも、気の利いた短編小説という感じがする。
主人公は愛する女性に結婚してくれるよう説得するのだが、実に理屈っぽい。その上、最後のどんでん返しがおとぎ話的ではなく、現代ならごく当たり前の心持ちによる説明。
現代の読者にとって、面白い話とは思えないかもしれない。

しかし、ルイ14世の宮廷社会が時代背景であることを考えると、この作品が大変に興味深く、読者を楽しませ、かつ学ばせてくれることがわかってくる。
全部で10.000字程度の長さがあるので、何回かに分けて、少しづつ、全文を読んでみよう。

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古典主義絵画の美意識 2/2 ロレーヌ公国出身の画家 ジョルジュ・ドゥ・ラ・トゥール、クロード・ロラン

ジョルジュ・ドゥ・ラ・トゥール(1593-1652)とクロード・ロラン、本名クロード・ジュレ(1600あるいは1604-5-1682)は、ほぼ同じ時期に、ロレーヌ公国の小さな村で生まれた。
ラ・トゥールのヴィック・シュル・セーユも、クロードのシャマーニュも、ナンシーから車で30−40分の場所に位置している。

二人とも比較的貧しい環境で育ったが、画家として、一人は故郷に留まり、もう一人はイタリアで大半の時を過ごした。

彼らの絵画は光の効果によって特徴付けられるという共通点を持っているのだが、表現法は全く違っている。
「大工の聖ヨセフ」と「夕日の港」を並べてみると、その差は歴然としている。一方には強烈な明暗のコントラストがあり、他方には拡散する光がある。

ジョルジュ・ドゥ・ラ・トゥールの美は深い精神性を、クロード・ロランの美は穏やかな抒情性を、見る者に届けてくれる。

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古典主義絵画の美意識 1/2 アカデミー系の画家たち プッサン ル・ブラン 等

ヨーロッパ芸術は、16世紀後半から18世紀半ばまで、バロック様式が主流となった。それ以前のルネサンス様式の特色が均整と調和だとすると、バロックは情動性と運動性によって特色付けられる。
フランス古典主義は、バロックの時代にあって、ルネサンス様式への回帰を模索し、理性によって情念を制御することで、秩序ある空間表現を美の基準とした。

ルネサンス→バロック→古典主義の流れを視覚的に把握するために、3つの時代の代表的な作品を比べてみよう。

ルネサンス→バロック→古典主義

古典主義絵画を代表するニコラ・プッサン、フィリップ・ド・シャンパーニュ、シャルル・ル・ブランの作品。
1631年、1652年、1689年の作だが、どれも、秩序ある画面構成が行われ、ある情景の最高の一瞬を永遠に留めているという印象を与える。

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フィリップ・ジャルスキー カウンターテナーの歌声 Philippe Jaroussky contreténor

フィリップ・ジャルスキーは現代フランスを代表するカウンターテナー歌手。
本人は「天使の歌声」と呼ばれることを好まないというが、彼の歌声と曲がマッチした時の美しさは、時間を忘れて聞き惚れてしまう。

レナード・コーエンの「ハレルヤ Hallelujah」は誰が歌っても素晴らしいが、ジャルスキーの歌だととりわけ素晴らしく聞こえる。

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江戸時代後期の絵画 北斎 広重 酒井抱一 装飾性と写実性 

18世紀後半になると、近代ヨーロッパの絵画の基礎となる遠近法や明暗法が導入され、伝統的に装飾的で造形的だった日本の絵画にも、写実性が付け加えられるようになった。

そうした融合は決して、京都や大阪の伝統的な絵画だけではなく、江戸の浮世絵でも行われた。円山応挙(1733-1795)の「保津川図」と鳥居清長の「三囲の夕立」を見ると、両者ともに、造形性をベースにしながら、リアリティを感じさせる表現がなされていることがわかる。

円山応挙、保津川図
鳥居清長 三囲の夕立

どちらの作品にしても、現実の場面を再現したものではなく、画家が組み立てた構図に基づき、デザイン性が高い。その一方で、保津川の土地の起伏や木々、勢いよく流れる川の動きや、女たちを襲った夕立の風や雨の感覚が、リアルに表現されている。

18世紀の後半に生まれ、19世紀前半に活躍した画家たち — 葛飾北斎(1760-1849)、酒井抱一(1761-1828)、歌川広重(1797-1858)等 — は、「装飾性」と「写実性」という二重の要請を満たしながら、各自の気質に応じた表現を模索していった。

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ロココ絵画の楽しみ ルイ15世とポンパドゥール夫人の時代の美意識

フランスの美といえば、日本では一般的に、ロココ的な美を思い浮かべるのではないだろうか。
繊細で、色鮮やか。心を浮き立たせる自由さと軽快さがあり、上品で、洗練されている。
そうした美意識は、建築、彫刻、絵画といった芸術品だけではなく、室内装飾、家具や食器等の工芸品にまで及んでいる。

ヴェルサイユ宮殿の女王の間、プティ・トリアノン宮の内部、パリ北方に位置するシャンティ城の王子の部屋などを見ると、ロココ的美がどのようなものか、一目で感じ取ることが出来る。

絵画で言えば、主流となるのは、ヴァトー、ブーシェ、フラゴナール。
三人の画家の絵画にはどれも穏やかな官能性が感じられるが、猥雑さの欠片もなく、現実を離れ甘美な夢の世界へと繋がる幸福感に溢れている。

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ジャン・ジャック・ルソーの宗教感情

現代では教育の書として知られる『エミール』が1762年に出版された時、神学者や教会から告発され、著者であるジャン・ジャック・ルソーに逮捕状まで出されたという事実は、私たちからすると不思議に感じられる。
そして、事件を引き起こした原因が、第4編に含まれる「サヴォワ地方の助任司祭の信仰告白」の中で主張された「宗教感情」だったことを知ると、その感情がどのようなものなのか知りたくなるのも当然だろう。

そこで実際に『エミール』を手に取ってみるのだが、ルソーの思想はかなり込み入っていて、それほど容易に宗教感情の核心を捉えることはできない。感覚、理性、知性、自然、神などといった言葉が絡み合い、自然宗教、理神論などといった用語も、理解をそれほど助けてくれない。

その一方で、ある程度理解できてくると、ルソーの神に向かう姿勢が、日本の宗教感情とかなり近いことがわかり、親近感が湧いてくる。
そこで、論理的な展開は後に回し、彼の宗教感情がすぐに理解できる一節をまず最初に読んでみよう。

その一節は、「サヴォワ地方の助任司祭の信仰告白」ではなく、『告白』の第12の書の中にある。
ルソーは人々から孤立し、スイスのサン・ピエール島に滞在していた。

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ルソー 告白と夢想 永遠の現在を生きる

ジャン・ジャック・ルソー(1721-1778)の後半生は、自己の人生を回想する作品に費やされたといってもいいだろう。
死後に出版された『告白』(第1部、1782年、第2部、1789年)や『孤独な散歩者の夢想』(1782)は、思想書、小説、戯曲等の執筆状況を含め、私生活を隠すところなく語った自叙伝となっている。
そのために、ルソーの著作を解読しようとすると、読者は自然に彼の告白から理解を始めようとする傾向が生まれた。例えば、ディジョンのアカデミーに応募した論文、書簡体恋愛小説『新エロイーズ』、『エミール』などに関して、『告白』の関係箇所に目を通し、彼の思想や私生活に基づいた解釈をする。
そこで、ルソーは、自分の「伝記」を書くことによって、彼の著作の死後の読み方を指定したとさえ言うことができる。

ここで注目したいのは、人生を振り返り、それを語る作業は、「記憶」に基づいているということ。
普通に考えれば、思い出には確かなこともあれば、不確かなことも、間違っていることもある。しかし、ルソーはとりわけ「真実性」に力点を置く。

 私が試みることはこれまでに決して例がなく、今後も真似する人はいないだろう。私は、一人の人間を、自然の真実のままに仲間たちにお見せしたい。そのようにして描かれることになる人間とは、私である。(『告白』第1巻)

このように、彼の自画像には決して嘘偽りがなく、真実であることを強調する。そして、その試みは、これまでに誰もしたことがないし、これからも真似る人はいないであろう、唯一のものだとする。

アウグスチヌスの有名な『告白』とも、モンテーニュの『エセー』とも、歴史上に名前を残す人々の「回想録」とも違う。
そうした言葉は、自分の告白を価値付けるための宣伝文句という面も否定できない。しかし、実際にルソーは、その独自性を確信していたと思われる。
エピグラフ(銘句)として引用される古代ローマの詩人ペルシウスの句が、その確信の源泉を示している。

内面に、そして、肌の下に。 Intus, et in Cute.

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ルソー 『新エロイーズ』 記憶の作用と「感情」の高揚

1761年に出版されたジャン・ジャック・ルソーの『ジュリ、あるいは新エロイーズ』は、18世紀最大のベストセラーになり、18世紀後半の読者を熱狂させた。
美しいスイスの自然を背景として、主人公のサン・プルーとジュリという「美しい魂」たちを中心にした書簡のやり取りを通して表現される恋愛の喜びと苦しみは、当時の読者の感受性と共鳴し、人々がおぼろげに求めていた心情に明確な形を与えたのだった。

しかし、21世紀の読者にとって、それがフランスであろうと、日本であろうと、全体で163通からなり、6部に分かれ、時には何ページにも及ぶ手紙が含まれる長大な書簡体小説を、最初から最後まで読み通すことは難しい。

話題は恋愛だけではなく、社会制度、哲学思想、宗教、音楽等に及び、『百科全書』的な知識に対する興味がなければ、ルソーが何を目的に手紙の主たちにそのような話題を語らせているのか理解できないことも多い。

さらに、語り口がスローテンポで、18世紀の簡潔な文体とはかなり違っている。
ルソーは、その点について、表現が単調なことも、大げさすぎることもあり、言葉の間違いもあったりするので、パリの洗練された社交界で読まれるようなものではない。手紙の主たちは田舎に暮らす人々で、「小説じみた想像力の中で、彼らの頭が生み出した誠実ではあるが狂気じみた妄想を哲学だと思い込んでいる」のだと、あえて言い訳めいたことを書いている。

実際には、ルソーのフランス語は血が通い、生命の鼓動が感じられるような温かみを持っている。音楽的で、詩的散文といった印象を与える文も多い。
しかし、21世紀のフランス語ともかなり違っていて、現代フランスの若者にとっても馴染みが薄いもののようだ。

しかし、『新エロイーズ』には、読みにくいという理由で読まないでおくにはもったいない価値がある。
では、どうすればいいのか?

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