
平和な時代に戦争に反対することは易しい。しかし、戦争の只中にあるとき、多くの人々は戦争に反対するのだろうか。たとえ平和を願うとしても、それは戦争に勝利した上での平和ではないだろうか。もしそうだとすれば、戦争の時代には、軍事作戦が正当化され、それに賛同し、応援することが、ごく自然で当たり前の行動とみなされるはずだ。そこでは、軍国主義に反対したとしても、それは少数者による弱々しい抵抗でしかなく、場合によっては、その抵抗さえ許されないこともある。


石川淳の「マルスの歌」は、昭和13年(1938年)の『文学界』新年特別号(発売は昭和12年12月)に掲載されたが、反軍国主義的であるという理由で発禁処分となり、翌年8月には、著者の石川淳と、雑誌の編集を担当した河上徹太郎が罰金刑に処せられた。当時は、昭和12年7月に始まった日中戦争(「支那事変」)の只中にあり、言論統制も強化されつつあった時代である。
こうした処分は、当時の社会状況を反映したものと考えられる。しかし他方で、『文学界』が「マルスの歌」を掲載したことは、編集者たちがそのような処分を予想していなかったことを示している。もし処分を予想していたのであれば、同時に掲載された青野季吉の政治評論「デモクラシイは死滅するか」の方が、むしろ危険だっただろう。実際、青野は翌年、反ファシズム統一戦線に参加したことなどを理由に検挙されている。
石川淳自身も、昭和47年(1972年)に行われた対談の中で、「まだ書いているときは、これくらいはいけるのじゃないかという気持ちがどこかにあったし、また『文学界』でもおそらくこれくらいはいいじゃないかというような気持ちもあったのじゃないかと思う。まだ楽観的気分があったのです」(「無意識の選択」)と述べている。
「マルスの歌」の内容を見ると、軍神マルスに象徴される軍歌が街に流れる時代に、「NO !」と声を上げる小説家の「わたし」は、確かに戦争に反対する姿勢を明らかにしているように見える。しかし、小説全体としては、明確に反戦を訴えているとは言い切れないようにも思われる。
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