
宮沢賢治の「よだかの星」は、醜い姿のために皆から嫌われていた主人公のよだかが、ある自覚をきっかけに天へ向かうことを決意し、最後には天の川の星となり、青く美しい火となって燃え続けるという、ある意味ではハッピーエンドで終わる童話である。
しかし現代では、生きることを何よりも大切に考え、死をできるかぎり避けようとする価値観が強い。そのため、主人公の死によって幕を閉じるこの物語は、そうした現代の感覚とは相容れない面があり、「よだかの星」をそのまま受け入れることが難しくなっている。
さらに、この童話は「自己犠牲」の物語として語られることが多い。しかし実際に読んでみると、その犠牲によって他の生きものたちに「ほんとうのさいわい」がもたらされる場面は描かれていない。
「銀河鉄道の夜」のサソリの寓話や「グスコーブドリの伝記」のように、自らの死によって他者の幸福が実現される物語と比べると、他者の存在はむしろ希薄である。「灼(や)けて死んでもかまいません」というよだかの言葉も、虫たちのためというよりは、自らの苦しい境遇から抜け出したいという願いのように聞こえてしまう。
そのため、最後の「そしてよだかの星は燃えつづけました。いつまでもいつまでも燃えつづけました。/今でもまだ燃えています」という一節を読み終えたとき、どこか割り切れない思いが残り、すっきりしないと感じる人は少なくない。
しかし、SNSが広く普及し、多くの人といつでもつながっているように見えながら、本心を語り合うことが難しく、少しのことで嫌われるのではないかとおびえ、心の底では孤独を抱えている現代人にとって、「よだかの星」は、一つの心のあり方をそっと教えてくれる童話でもある。
そして、そのことに気づくためには、この作品を読む視点をほんの少し変えてみるだけでいい。
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