セーヌ河に架かる橋は、渡るだけではなく、眺める楽しみがある。
一つの橋を渡っていると、別の橋が見える。見ることが魅せられることにつながる。パリの楽しさは、こんな所にもある。

日本の美と感じられる美が出来上がったのは、縄文、弥生、埴輪時代の後のことになる。6世紀半ばに仏教が伝来して以来、飛鳥時代から平安時代末期まで(538-1192)の約650年の間、大陸から移入された仏教美術が圧倒的な流れとなって押し寄せてきた。それは、寺院、彫刻、絵画、工芸品等、全てを含む総合芸術だった。
その受容を通して、飛鳥、白鳳、天平、貞観、藤原、院政まで、朝鮮、中国とは違う美が生まれた。万葉仮名から平仮名が作られ、和歌が生まれ、大和絵や絵巻物等が誕生したのだった。それと同じように、仏教芸術にも和のテーストが付け加えられていった。
バスティーユ広場のオペラ座の横に、ドメニル大通りが続いています。そこを少し歩くと、赤いレンガ造りの高架橋。ここは昔バスティーユを始発とする鉄道が走っていたところです。
鉄道が廃止された後、高架橋の下はアトリエになり、今は家具店、画廊、カフェ等になっています。
ボードレールの「コレスポンダンス(Correspondances)」は、19世紀以降の文学を理解する上で最も重要な詩だといえる。この詩の中に象徴の森という言葉があり、19世紀後半には、象徴主義のマニフェストとさえ見なされた。
コレスポンダンスとは本来、地上と天空の対応を意味し、ルネサンス思想の中心的な概念だった。
占星術において、星の動きから人間の人生や社会の出来事を予測することができるとしたら、星と人間界の間に対応関係があるからだということになる。
パリの中心、パレ・ロワイヤル公園の端にあるレストラン、ル・グラン・ヴェフール。18世紀の終わりからずっと同じ場所にあり、昔から有名な作家や芸術家達が通った高級レストラン。今でもナポレオンが座った席には、彼のネームが付けられている。
「美」« La Beauté »は、ソネを構成する十四の詩句全てを通して、美そのものが一人称で語っている。台座の上の女神の像が、下から見上げる人間に語り掛けているような印象。
ルーブル美術館に入ると、勝利の女神サモトラスのニケの像が大きな船の台座の上に君臨している。あのニケが私たちに語り掛ける姿を想像すると、この詩が実感できるだろう。
Je suis belle, ô mortels ! comme un rêve de pierre,
Et mon sein, où chacun s’est meurtri tour à tour,
Est fait pour inspirer au poète un amour
Éternel et muet ainsi que la matière.
ブレイクダンスが2024年のパリ・オリンピックで採用されるようです。2月23日夜8時のFrance 2のニュースで、ダンス競技の紹介がありました。
「芸術家の告白」« Le Confiteor de l’artiste »の中で、ボードレールは自らの詩学を散文詩として表現した。彼が芸術家として目指すもの、苦しみ、恍惚感を吐露した告白なのだ。
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