ボードレール 白鳥 Baudelaire Le Cygne モデルニテの詩 2/2

第1部では、「古いパリはもはや存在しない。(町の形は/変わってしまう、ああ! 人の心よりももっと早く。)」という確認がなされた後、古いパリの姿が心の中に描き出され、「過去」に対するメランコリックな憧れが強く表出された。

第2部でも、「パリは変わりつつある!」と、時間の経過とともに過去が失われ、全てが変わってしまうという考察が最初に取り上げられる。
しかし、第1部とは違い、「私」の意識は過去に向かうのではなく、現在に留まり続ける。つまり、「私は考えている(Je pense)」という行為そのものに焦点が絞られる。

第1詩節ではその原理が開示され、続く詩節からは具体例が示されていく。

(朗読は1分45秒から)

II

Paris change ! mais rien dans ma mélancolie
N’a bougé ! palais neufs, échafaudages, blocs,
Vieux faubourgs, tout pour moi devient allégorie,
Et mes chers souvenirs sont plus lourds que des rocs.

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ボードレール 白鳥 Baudelaire Le Cygne モデルニテの詩 1/2

シャルル・ボードレール(Charles Baudelaire)の「白鳥(Le Cygne)」について、最も優れたボードレール研究者だったクロード・ピショワは、ボードレールの詩の中で、そしてフランス詩の中で、最も美しいものの一つと断言している。

その詩の書かれた1859年頃、パリは変貌を遂げつつあった。
1850年くらいから古い街並みが壊され、新しい街並みが生まれつつあった。「白鳥」は、そうした変貌を背景にし、まさに変わりつつあるルーブル宮のカルーゼル広場を歩きながら、一羽の白鳥の姿を想い描く。その姿を通して、社会も人間の心も文化も芸術も、全てが新しい時代へと移行していく「今」を捉え、「美」を抽出する。

その変化は、ボードレールの詩においては、19世紀前半のロマン主義的なものから、19世紀後半のモデルニテと呼ばれるものへの移行でもあった。こう言ってよければ、美の源泉が、「ここにないもの(過去、夢、内面、地方、自然など)へのメランコリックな憧れ」から、「今という瞬間=永遠」へと変わっていく。その流れを主導したのが、ボードレールだった。

ここではまず、現在ではルーブル美術館の入り口としてガラスのピラミッドが立てられているカルーゼル広場に関して、変貌前(1846年)と変貌後(1860年)の姿を確認しておこう。

広場の中心あたりにはカルーゼル門が立っていることは変わらない。しかし、1846年にはその奥にごちゃごちゃと立ち並んでいた建物群があるが、1860年の絵画ではきれいに取り払われている。その違いをはっきりと見て取ることができる。

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Michel Sardou « Je vole » ミッシェル・サロドゥー 「飛び立ちます」

ミシェル・サルドゥーの« Je vole »は、親のもとから飛び立っていく子どもの心情を歌った曲。最初と最後は歌われ、中間は音楽に乗せた語りになっている。

2014年に公開された映画『エール(原題 La Famille Bélier)』の中では、ラストシーンで« Je vole»がルアンヌ(Louane)によっ歌われ、映画の大ヒットにつながった。
こちらで、セリフの部分が歌詞に変えられ、全て歌われている。

Je vole 飛び立ちます

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イヴ・サン・ローランと絵画

1962年にイヴ・サン・ローラン(Yves Saint Laurent)が最初のファッションショーを開いてから60年を記念して、2022年にパリの6つの美術館 ー ピカソ美術館、オルセイ美術館、現代美術美術館、ポンピドー・センター、ルーブル美術館、サン・ローラン美術館 ー で彼の作品が展示されている。

YVES SAINT LAURENT AUX MUSÉES célèbre le 60e anniversaire du premier défilé d’Yves Saint Laurent. Le couturier, tout juste âgé de 26 ans, signe le 29 janvier 1962 sa première collection sous son propre nom.

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Francis Cabrel « Je t’aimais, je t’aime, je t’aimerai » フランシス・カブレル 「お前を愛してきた 愛してる 愛していく」

フランシス・カブレルは、都会化していないフランスの心を持ち続けているシンガー・ソングライター。親しみやすいメロディーに乗った歌詞は詩的で美しい。

« Je t’aimais, je t’aime, je t’aimerai »は、第一義的には、自分の娘への愛を歌っているのだが、それを超えて、親の愛、より広い意味での人間の愛全体を歌っている。その歌詞はとても詩的で、メロディーが美しい。

題名の中のaimerの活用が半過去、現在、単純未来で、フランス語学習者には退屈な活用が、こんな風に使われるという生きた例になる。

Je t’aimais, je t’aime, je t’aimerai  お前を愛してきた、愛してる、愛していく

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Jean-Jacques Goldman « Puisque tu pars » ジャン・ジャック・ゴルドマン 「君は去っていくから」 (Let’s talk about love)

ジャン・ジャック・ゴルドマンは、現代フランスでもっとも好まれる作詞・作曲家・歌手。
彼は素晴らしい歌をたくさん発表しているが、1988年の« Puisque tu pars »は、その中でも最高のものの一つ。

曲の内容は、コンサートの最後になかなか別れを告げられない観客に、ゴルドマンが語り掛けるもの。別れは決して悲しく辛いだけだけではなく、別れることが、他のところで別の出会いを見出す機会でもあるという。
歌詞はとても詩的で最初はよくわからないかもしれないが、何度も何度も曲を聴くと、忘れられないものになってくる。

ここで紹介する演奏は、2002年のコンサート・ツアーUn tour ensembleのフィナーレで歌われたもので、ゴルドマンはこのツアーを最後にコンサートを行っていない。その意味でも、« Puisque tu pars »に最も相応しいヴァージョンだといえる。

Puisque tu pars  君は去っていくから

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宮沢賢治 銀河鉄道の夜 ほんとうの幸

『銀河鉄道の夜』が読者に伝えるメッセージの中心は、「本当の幸せとは何か?」という問題に絞られる。

その問いに対して、その作品以前にも賢治がしばしば導き出したのは、世界を救うため、あるいは他者の幸福のためであれば、自分を犠牲にし、死に至ることもいとわない、というものだった。

例えば、「グスコーブドリの伝記」は自己犠牲の物語であり、主人公グスコーブドリは、イーハトーブの深刻な冷害の被害をくい止めるようとし、火山を人工的に爆発させ、高温のガスを放出させて大地を温めるため、最後まで火山に残り、自分の命と引き換えに人々の生活を救う。

しかし、自分を犠牲にして人あるいは世界を幸福にするという考え方は、現代社会を生きる人間には違和感がある。人のために死んだら、何にもならない。その上、近親者や友人達は深い悲しみに襲われるだろう。そんな幸福は、自己満足ではないのか?

ザネリを助けるために溺れてしまったカムパネルラは、銀河鉄道の列車の中で、「ぼくはおっかさんが、ほんとうに幸わいになるなら、どんなことでもする。けれども、いったいどんなことが、おっかさんのいちばんの幸なんだろう。」とジョバンニに問いかける。
そして、ジョバンニが、「きみのおっかさんは、なんにもひどいことないじゃないの。」と応えると、カムパネルラの方では、「ぼくわからない。けれども、誰だって、ほんとうにいいことをしたら、いちばん幸なんだねえ。だから、おっかさんは、ぼくをゆるして下さると思う。」と言葉を続ける。

『銀河鉄道の夜』中で、この会話に対する明確な答えが提示されてはいない。
そこで、「自己犠牲」や「いいこと」には明確な答はなく、「いいこととは何かを考える続けること」が賢治の考える人間のあり方である、といった解説をすることもある。
こうした読解であれば、現代の読者にも受け入れられやすいに違いない。

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宮沢賢治 銀河鉄道の夜 すきとおった世界

宮沢賢治(1896-1933)は生前2冊の本しか出版していない。一冊は詩集『春と修羅』、もう一冊は童話集『注文の多い料理店』。どちらも大正13年(1924年)のことだった。
その同じ年に、結局未完のままで終わった「銀河鉄道の夜」 も書き始められた。

その時期は賢治の創作活動が最も活発な時であると同時に、彼の世界観が「心象スケッチ」や物語の形で美しく表現されていた。

その世界観は、『注文の多い料理店』の「序」では、子どもにも理解できるやさしい言葉で告げられる。

わたしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、きれいにすきとおった風をたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。
(中略)
わたくしは、これらのちいさなものがたりの幾いくきれかが、おしまい、あなたのすきとおったほんとうのたべものになることを、どんなにねがうかわかりません。

ここでは、「すきとおった」という言葉が最初と最後に出てくることに注目しておきたい。その言葉は、賢治の世界がその本来の姿を現すことを示すマジック・ワードなのだ。

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ジャン・ジャック・ベネックス監督の死

2022年1月13日、ジャン・ジャック・ベネックス監督が75歳で死去した。
そのニュースを伝えながら、「ル・パリジアン」では監督のキャリア全体を振り返っている。
https://www.leparisien.fr/culture-loisirs/disparition-le-realisateur-jean-jacques-beineix-est-mort-a-75-ans-14-01-2022-ZZS4VRXLCVGSFIAN3MMEUV27YU.php

ベネックス監督の代表作「ディーバ(Diva)」はスタイリッシュでとにかく格好よく、「ベティ・ブルー(37°2 le matin)」は激しい情熱恋愛(パッション)が全てを美しく燃焼する映画だった。

ディーバ Diva ジャン・ジャック・ベネックス監督のスタイリッシュな傑作
ベティ・ブルー 37º2 Le Matin 激しく美しい愛の物語
この二つの作品は、いつ見ても、素晴らしい。

2022年1月15日 モリエール生誕400年

モリエールは、1622年1月15日に生まれ。2022年1月15日は、彼の生誕400年にあたる。
そのことは文化省(Ministère de la Culture)のホームページにも記され、今年一年、モリエール関係の様々な催しが予定されている。
https://www.culture.gouv.fr/Actualites/400e-anniversaire-Moliere-notre-contemporain

フランスでは今でもモリエールの芝居が数多く上演され、400年前に書かれた言葉のまま人々に理解され、親しまれている。
1622年と言えば、日本では江戸時代の初期。当時の言葉は今では理解が難しいことを考えると、現代のフランス語が17世紀にほぼ出来上がっていたことが理解できる。

また、一人の作家が大きなイベントとして扱われることは、文化(culture)が現在でもフランス社会の中で意義を保っていることを示しているといってもいいだろう。

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