中原中也 時こそ今は・・・ 人生と作品

中原中也は、自分の人生で起こったことを題材として取り上げ、赤裸々に詩の中で語るかのような印象を与える詩人である。

「時こそ今は・・・」の中の「泰子」は長谷川泰子だろうし、「冬の長門峡」は現実の長門峡の情景を前提とし、「帰郷」で歌われる「私の故郷」は山口県の湯沢温泉を指す。
中也の詩は、彼の人生の具体的な出来事を契機として生み出されたと考えていいし、詩の理解にはそれらの出来事の知識が大いに役立つ。

しかし、詩の言葉を全て現実の出来事に関連付け、詩人の人生から作品を解釈するとしたら、詩としての価値を大きく減らすことになってしまう。
たとえ個人的な出来事を歌った詩であっても、それが読者の心を打つためには、普遍性を持つ詩句である必要がある。
こう言ってよければ、詩人の仕事は、何を語るかと同時に、どのような言葉を選択し、それらの言葉をどのように配置し、一つの詩的世界を構築するかにかかっている。
出来上がった作品は、現実から独立し、詩としての価値を持つ。
だからこそ、読者は、中也の詩句を読み、たとえ彼の人生を知らなくても、心を動かされるのだ。

こうした人生と作品の関係について、「時こそ今は・・・」を読みながら、少しだけ考えてみよう。

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中原中也 六月の雨 歌の生まれる場

中原中也は耳の詩人であり、彼の詩は声に出して読んでみると、歌を歌う時と同じような心地よさがある。
彼は子供の頃、和歌を数多く読み、地元山口県の新聞に投稿などしていた。
詩人になってからも、5音と7音の詩句を使い、日本人の体に染みついている和歌や俳句のリズムを活かし、詩に音楽性を与えていった。

詩句に音楽を。
フランスの詩人ヴェルレーヌが掲げた詩法を、中也は日本の伝統的な歌=和歌の音節数を持つ詩句で実現したといってもいいだろう。

しかし、それだけではなく、中也の詩は、子守歌の歌心と音楽性を取り入れ、赤ん坊を揺するように読者の心を揺すり、ノルタルジーとメランコリーの中にまどろませる。
その具体的な例として、佐々木幹郎は『中原中也』(ちくま学芸文庫)の中で、「六月の雨」と「ねんねんころりよ おころりよ」を取り上げている。

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スエズ運河の歴史 大型コンテナ船の座礁を通して振り返る

アジアとヨーロッパを結ぶ海上交通の要衝、エジプトのスエズ運河で大型のコンテナ船が座礁し、運河が通行不能になっている。
この事故が世界経済にもたらす被害も甚大だが、それと同時に、スエズ運河の歴史を振り返っておくことも興味深い。

Canal de Suez : un porte-conteneurs échoué provoque un gigantesque embouteillage.

Depuis ce matin (24 mars 2021), un porte-conteneurs taïwanais est coincé en travers du canal de Suez, en Egypte et provoque un gigantesque embouteillage sur cette autoroute maritime particulièrement fréquentée.

ローランド・ハナ 品位あるジャズ・ピアノ

ローランド・ハナのジャズ・ピアノは、凜として、品がいい。
ジャズ的なリズム感と豊かな音色が溶け合い、同じ曲を何度も、いつまでも、聞いていたい気持ちになる。

彼が好きな絵は、モネの睡蓮だという。実際、アルバム「Dream」に納められた「So in love」からは、モネの睡蓮のイメージを感じることができる。

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カンディンスキーのヴァーチャル展覧会

現在はコロナのために閉館しているパリのポンピドゥー・センターが企画して、ネット上でカンディンスキーの展覧会が開催されているそうです。
https://artsandculture.google.com/project/kandinsky

アンブル・シャルモーの紹介は、カンディンスキーの絵画が共感覚(synesthésie)と関係しているという側面を指摘、ボードレールやランボーとの共通性にも言及し、とても興味深いものです。

Même s’il est fermé, le Centre Pompidou continue à permettre l’accès à de grandes expositions grâce à la magie d’internet. En ce moment, le musée propose une gigantesque rétrospective de l’artiste Kandinsky à travers 3000 de ses œuvres.

ラシーヌ 恋は毒

ラシーヌの悲劇は、人間の弱さを描き、そこに美を生み出すという点では、日本的な感性に受け入れられやすいといえる。

必至に運命に立ち向かい、何とか理性を働かせて、自分を保とうとする。しかし、追い詰められると、どうにもならない感情にとらわれ、愛が憎しみに反転し、自分を押さえることができなくなる。
その葛藤の中で、もがき苦しむ。倫理的な行動を取ろうとすればするほど、自分を責める心持ちが強くなり、苦しみも深まる。
美は、まさに、そこに生まれる。

17世紀前半を代表する悲劇作家コルネイユの主人公たちは、義務と情の選択を迫られると、最終的には恥を避け、義務を選択する。栄誉こそが彼らの最高の価値であり、彼らは「あるべき」行動を取ることで、愛も獲得することができる。

それに対して、ラシーヌの主人公たちは、報われることのない恋愛から逃れられない運命にあり、愛と憎しみの間で揺れ動き、意志とは反対の方向に進んでいく。
17世紀後半、「あるがまま」の姿が自然であると見なされる時代になり、ラシーヌは、感情に逆らいながらも最後には感情に負け、崩れ落ちる人間のあり様を描いたのだといえる。

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モリエール 外見の偽りを暴く笑い

Nicolas Mignard, Molière

モリエールは17世紀後半を代表する喜劇作家であり、ルイ14世の庇護下にありながら、かなり過激な作品を上演することもあった。
王でさえ庇いきれず、上演を禁止にせざるをえないこともあったほどである。

実際、彼の喜劇は、私たちが普通にイメージする喜劇とはかなり違っている。笑わせることだけを目的にしているのではなく、社会批判を含んでいることがはっきりと感じられる作品が多い。

その笑いは、「楽しませながら、教育する」という17世紀の演劇の大原則に基づき、笑わせながら、社会生活を歪める人間の行動を告発し、当時の観客に一つの行動規範を示したとも考えることができる。

モリエールが笑いの対象にした人間の姿を辿りながら、彼の喜劇が目指したものが何か探ってみよう。

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ジョン・ピザレリ John Pizzarelli 気持ちのいいジャズ・ヴォーカル

ジョン・ピザレリの歌声は、軽く、暖かみがある。しかも、軽快にリズムを刻むギターを弾くピザレリの歌は、スイング感に溢れ、いつ聞いても気持ちがよくなる。

クール・ジャズを先頭で引っ張ったピアニスト、ジョージ・シアリングと競演したアルバムに収められた”Everything happens to me” を聞けば、ピザレリの歌声とリズム感にすぐに魅了されてしまう。

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パリ・コミューン150年

パリ・コミューンとは、1871年2月26日、フランスの国防政府とプロイセンとの間で行われた和平交渉に反対するパリ市民が、史上初の「プロレタリアート独裁」による自治政府を宣言し、パリの町の中で市街戦が行われた事件のこと。
今年はその150年後の年にあたり、フランスでは左派と右派でパリ・コミューンに対する評価をめぐり論争が行われているという。

個人的には、パリ・コミューンの映像は、アルチュール・ランボー少年が故郷のシャルルヴィルから駆けつけ、彼が目にした光景を目にすることができるという意味で、大変に興味を引かれる。

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