ボードレール 「宝石」 Baudelaire Les Bijoux 官能を刺戟する美

1857年に『悪の華(Les Fleurs du mal)』が裁判にかけられた時、検事エルネスト・ピナールは「宝石(Les Bijoux)」の第5−7詩節を取り上げ、「猥褻であり、公共の道徳を傷つける絵画(peinture lascive, offensant la morale publique)」という言葉で批難した。

その言葉は、二重の意味で、「宝石」という詩を的確に表現している。
一つは、19世紀の基準から見ると、猥褻で非道徳的なテーマを扱ってること。
「最愛の女(ひと)は裸だった(La très chère était nue)」という出だしが、全てを物語っている。

Delacroix, Femme carressant le perroquet

もう一つは、ボードレールが、造形芸術(art plastique)、具体的に言えば絵画(peinture)を、詩の世界に置き換えようとしたこと。
詩人は、ドラクロワの絵画「オウムを愛撫する女性」を頭に置きながら、それを単に描写するのではなく、詩として表現したのではないかと考えられている。

絵画においてであれば、理想化された女神の姿という理由で許されている裸体(ヌード)が、詩においても許されていいはず。詩人はそんな風に考えたのかもしれない。

Ingres, Jupiter et Antiope

その際、裸体を描く詩句は、古典的な均整を保ち、ほぼ全ての詩句が6//6のリズムを刻んでいく。
従って、様式は、ロマン主義のドラクロワというよりも、古典主義のアングル的といっていいかもしれない。
アングルの「ジュピターとアンティオペ」を見ると、「オウムを愛撫する女性」との違いがよくわかるだろう。
実際、「宝石」は、詩句の姿としては6/6のリズムでしっかりと輪郭が形作られ、端正に描かれた印象を生み出している。
こう言ってよければ、「宝石」の語る内容はドラクロワ的だが、形式はアングル的だ。


第1詩節は正確に6//6のリズムを刻みながら、裸体の女性を描き出していく。

La très chère était nue, // et, connaissant mon cœur,
Elle n’avait gardé // que ses bijoux sonores,
Dont le riche attirail // lui donnait l’air vainqueur
Qu’ont dans leurs jours heureux // les esclaves des Maures.

以下の日本語は翻訳ではなく、できるかぎりフランス語のリズムと意味が対応していることを示そうとして、言葉を並べている。そのため、6/6のリズムの区切れには、//という印を入れた。。

最愛の女(ひと)は裸だった。// ぼくの心を知って、
彼女が身に付けていたのは、// よく響く宝石だけだった。
それらが豪華な塊となり、// 彼女に勝ち誇った様子をさせていた、
幸福な日々、// イスラムの女奴隷たちがするような。

Ferdinand Roybet, Odalisque

愛する女性はヌード(nue)で、宝石(ses bijoux)だけを身に付けている。
それらの宝石は、女性の体の動きに合わせ、心地よい響きを立てる。(sonores)。

視覚的にも、それらがいくつも集まった豪華さ( le riche attirail)のために、彼女は堂々とし、勝ち誇ったように見える(l’air vainqueur)。
その様子は、トルコや中近東のハーレムの女性たち(les esclaves des Maures)が幸福な時(leurs jours heureux )を思わせる。

こうした内容が、6//6, 6//6, 6//6, 6//6とテンポ良く区切られたリズムの詩句で、しっかりと輪郭線を描かれた古典主義的な絵画のように描かれていく。


第2−4詩節も基本的は6//6のリズムが刻まれるのだが、時に句またぎ(enjambement)が使われ、リズムの変化が生み出される。
そしてそれが、意味にスポットライトを当てることにもつながる。その実際を見ていこう。

Quand il jette en dansant // son bruit vif et moqueur,
Ce monde / rayonnant // de métal et de pierre
Me ravit en extase, // et j’aime à la fureur
Les choses où / le son // se mêle à la lumière.

Elle était donc couchée // et se laissait aimer,
Et du haut du divan // elle souriait d’aise
A mon amour profond // et doux / comme la mer,
Qui vers elle montait // comme vers sa falaise.

Les yeux fixés sur moi, // comme un tigre dompté,
D’un air vague et rêveur // elle essayait des poses,
Et la candeur / unie // à la lubricité
Donnait un charme neuf // à ses métamorphoses ;

宝石の塊が、踊りながら//激しく、からかうような音を立てるとき、
この世界、金属と石で光輝く世界が、
私に我を忘れさせ、うっとりとさせる// そして、私は愛する、激しく、
音が光と交わる、あれらの物を。

彼女は横たわっていた//そして、愛するままにさせてくれた。
長椅子の上から、//彼女は微笑んでいた、くつろいで、
私の深く甘い愛に向けて、ちょうど海のように。
それは、彼女の方に上っていった、//断崖に向かうように。

両の目をじっと私の上に据え//飼い慣らされたトラのように、
おぼろげで、夢見るような様子で、//彼女は様々なポーズを試していた。
そして、無邪気さが淫らさと一つになり
新しい魅力を与えていた//彼女の肢体の様々に変容する姿に。

第2詩節

Gustave Moreau L’Apparition

愛する女性の体の動きは、ここではダンス(dansant)にたとえられる。そして、そのダンスに合わせて宝石が音を立てる。
その音(le bruit)が詩人には、激しく(vil)、そして、「私」をからかっている(moqueur)ように聞こえる。

その聴覚に視覚が反応し、金属(métal)と石(pierre)で光輝く(rayonnant)ように見える。
Ce monde (3) / rayonnant (6) // de métal et de pierre (6)
この詩句では句またぎが使われ、3/9のリズムが刻まれる。そのため、6//6からずれた2番目の3のリズムの言葉、rayonnantにスポットライトが当たる。

その光の効果があるからこそ、「私(me)」は魂を奪われたようにうっとりとなり(ravit)、エクスターズ(extase忘我的恍惚)の状態に導かれる。

その結果、狂ったように(à la fureur)私は愛する(j’aime)。その愛の対象は、視覚と聴覚が共鳴した状態にあるもの。
それを詩人は、音(le son)と光(la lumière)が混ざり合ったもの(les choses)だと言う。
Les choses où / le son // se mêle à la lumière.
その際にも、句またぎで、le sonにスポットライトが当てられている。そのことから、「宝石」においては、五感の中でも、聴覚に中心が置かれていることがわかってくる。

結局、光と音に注意が向けられることで、女性の裸体(ヌード)が意識から消え、五感が対応して共鳴し合う世界(correspondances)が思い起こされる。

。。。。。

Watteau Jupiter et Antiope

第3詩節では、一転して、女性の肉体が再び意識に上ってくる。

彼女は横たわり(couchée)、愛するままにさせてくれる(se laisser aimer)。
その表現は、フランス語のaimerやamourという言葉に性的なニュアンスも含まれるだけに、卑猥な表現と見なされたことだろう。

また、ここでも句またぎが使われ、amourが単に深い(profond)だけではなく、doux(甘い)ことが強調される。
A mon amour profond // et doux / comme la mer,

もう一つ注意したいのは、quiに導かれた4行目の関係代名詞節が、mon amourかla merか、どちらを説明するとも考えられること。
つまり、彼女の方に上る(montait vers elle)のが、「私の愛」かもしれず、「海」かもしれない。そのような曖昧さを残すことで、私の愛が海のようなものだと伝えることになる。

さらに、彼女の方に上っていくのは、断崖に向かって(vers sa falaise)いくようだと表現されることで、最愛の女性の愛を手に入れることの難しさも伝えられる。
が、それと同時に、肉体的な側面を暗示しているとも考えられる。

。。。。。

Delacroix, Jeune tigre jouant avec sa mère

第4詩節では、彼女はトラ(un tigre)にたとえられるのだが、そのトラはすでに飼い慣らされている(dompté)。
従って、ここでは愛が成就したことになる。
そして、そのトラに私はじっと見つめられる(les yeux fixés sur moi)。

その時の彼女の魅力を引き立てるのは、無邪気さ(la candeur)と淫らさ(lubricité)が結び付いていること。
ここでも句またぎが使われ、結び付く(unie)に焦点が当てられる。
E la candeur (4) / unie (2) // à la lubricité (6)
この詩句が伝えることは、正反対の二つの性質が共存していること以上に、それらが「結び付いている」ことであること。そのことが、句またぎによって示される。

そして、彼女が体を動かし姿を変える(ses métamorphoses)たびに、そのポーズに新しい魅力(un charme neuf)が付け加えられる。


1857年に『悪の華』が裁判にかけられた時、やり玉に挙げられたのが第5−7詩節。理由は、繰り返すことになるが、「猥褻であり、公共の道徳を傷つける絵画」というもの。
ボードレールの時代にどんな表現が批難されたのか知るのも、興味深い。

Et son bras et sa jambe, // et sa cuisse et ses reins,
Polis comme de l’huile, // onduleux comme un cygne,
Passaient devant mes yeux // clairvoyants et sereins ;
Et son ventre et ses seins, // ces grappes de ma vigne,

S’avançaient, / plus câlins // que les Anges du mal,
Pour troubler le repos // où mon âme était mise,
Et pour la déranger // du rocher de cristal
Où, calme et solitaire, // elle s’était assise.

Je croyais voir / unis // par un nouveau dessin
Les hanches de l’Antiope / au buste d’un imberbe,
Tant sa taille faisait // ressortir / son bassin.
Sur ce teint fauve et brun, // le fard était superbe !

彼女の腕、足、//股、腰が、
オイルのようなもので磨かれ//白鳥のようにクネクネとし、
私の眼の前を通りすぎていった//洞察力があり、穏やかな私の目の前を。
そして、彼女のお腹、胸//つまり、私のブドウの房が、

前に突き出していた、「悪の天使たち」よりも甘えたように、
休息を乱すため、//私の魂が置かれている休息を、
そして、その魂を掻き乱すため//水晶の岩の上から、
静かに、たった一人で/彼女が座った岩の上から。

私には結び付けられるのが見えるように思われた、新しいデッサンによって、
アンティオペの腰が//まだ髭も生えない若者の胸像に。
それほど彼女の体は、骨盤を際立たせていた
その茶褐色の肌の上//化粧が素晴らしかった!

第5詩節は、女性の肉体を直接指示する言葉が数多く用いられている。
腕(bras)、足(jambe)、股(cuisse)、腰(reins)、腹(ventre)、胸(seins)。
そして、それらが、磨かれ(polis)、クネクネとうねっている(onduleux)。
こうした表現は、生身の女性の肉体をそのまま描写していると受け取られてもおかしくはない。

その上、彼女の胸(ses seins)は、私のブドウの房(ces grappes de ma vigne)と言い直され、しかも、その動きを示す動詞 s’avancaientは第6詩節の最初に置かれ、「送り字(rejet)」という配置がなされている。
(…) et ses seins,(6) // ces grappes de ma vigne,(6)
S’avançaient, (3) (…)//
この「送り字」の技法、しかも、詩節をまたいだ「送り字」のため、前に突き出す(s’avançaient)という動詞に強いスポットライトが当てられる。
つまり、ヌードの女性の胸が突き出している様子が、ありありと描き出されている。

しかも、ボードレールは、胸を説明するために、「私のブドウの房」と言う。
その表現は、旧約聖書の『雅歌(Cantique des Cantiques)』に出てくる「あなたの乳房はぶどうのふさのようだ(que tes seins soient pour moi comme les grappes de la vigne)」(7章)という言葉に由来し、強い宗教性を担っている。

それなのに、あるいは、それだからこそ、ボードレールは更に冒瀆な言葉を加え、突き出した胸は、悪の天使たち(les Anges du mal)よりも、甘え、愛撫を好む(câlins)ものだとされる。
そして、そのために、私の魂(mon âme)は、掻き乱される(déragner)。

こうした表現は、キリスト教の言葉に対して、性的なだけではなく、悪魔的なニュアンスさえ加えることになり、宗教に対する冒瀆だと捉えられたに違いない。

。。。。。

Corrège Jupiter et Antiope

第6詩節になると、ボードレールは古代の神話の登場人物であるアンティオペ(Antiope)に言及する。

彼女は美しさのためにゼウス(ジュピター)に愛され、そのテーマは数多くの画家たちによって取り上げられ、絵画に描かれてきた。
例えば、イタリア・ルネサンスを代表するコレッジョの「ジュピターとアンティオペ」。

ボードレールは、それらの絵画に新しい一枚のデッサン(un nouveau dessin)を付け加える。

女性の体はまだ髭の生えない少年(un imberbe)のよう。しかし、腰(Les hanches)だけは目立ち、骨盤(son bassin)が突き出している(ressortir)。
そこでも句またぎが使われ、発達した腰の描写にスポットライトが当たられる。
Tant sa taille faisait // ressortir / son bassin.

最後、ボードレールは、その新しいアンティオペの褐色の肌(茶褐色の肌)の上で、化粧(le fard)が素晴らしかったと付け加える。

(Jeanne Duval )

「化粧」は、ボードレールの美学の上で重要な意味を持つ。
詩人は、「近代生活の画家」という絵画論の中に「化粧礼賛」という章を設け、次のように主張した。

顔に化粧するのは、人に告白できないような俗っぽい目的、つまり、美しい自然を模倣し、若さと対抗するために、なされるべきではない。すでに考察したことだが、人工的な手段は、醜い物を美しくはしないし、役に立つのは美しいものだけに対してだけである。(中略)
美しく高貴なものは全て、理性と計算の結果である。(中略) 悪は努力なしに、自然に、運命に従って、行われる。善は常に、アート(行為)の結果である。(中略)
女性たちは、自分たちの脆い美しさを定着させ、こう言ってよければ、神聖なものにしようとするのだ。

ボードレールは、自然な美をそのまま再現するのが芸術ではなく、アート(行為、技術)によって新しい美を作り出すものを芸術だと考えた。

「宝石」を構成する詩句たちは、そのボードレールの美学に基づき、社会道徳上は猥褻とされる女性のヌードを素材とし、そこに人工的な「化粧」を施すことで、「脆い美しさ」を定着させ、「神聖なもの」としようとしたのだと考えることができる。

しかし、裁判の結果を見れば、彼の試みは、その時代にあっては受けいられないものだったことがわかる。


最終第8詩節。

— Et la lampe s’étant // résignée / à mourir,
Comme le foyer seul // illuminait la chambre,
Chaque fois qu’il poussait // un flamboyant soupir,
Il inondait de sang // cette peau couleur d’ambre !

— ランプが、消え去ることを覚悟した後、
たった一つの暖炉が//部屋を照らすように、
暖炉が、立てる度に//燃え上がるため息を、
暖炉は血潮で溺れさせたものだった//この琥珀色の肌を!

最終詩節、部屋が暗くなり、「宝石」の幕が下りる。

ランプの光が消え(死にmourir)、暖炉の光だけ(le foyer seul)が部屋を照らす(illuminait)。
そして、暖炉がため息(un soupir)のような音を立て、火が燃え上がる(flamboyant)たびに、彼女の琥珀白の肌(cette peau couleur d’ambre)が、血(sang)のような赤い色で染まる。

それまでの激しい表現とはうって変わり、最後の詩句は穏やかで、目にするのは暖炉の炎だけ、耳にするのは暖炉の微かな息吹だけ。
その中で、「私」と最愛の女性は、もうじっとして動かない。

そして、最後に見えるのは、彼女の美しい肌が炎で赤く染まる映像。
最後に描き出されたこの絵画は、静謐で、彼女の美しさだけが闇の中から浮き出してくる。

コメントを残す