日本的感受性 『古今和歌集』の「仮名序」 

今から1000年以上前に書かれた『枕草子』の有名な一節、「春はあけぼの。夏は夜。秋は夕ぐれ。冬はつとめて。」を目にすると、現代の私たちでも思わず肯いてしまう。
日本的な感受性は、それほど自然に対する親和性が強く、四季の変化に敏感に反応する。

その『枕草子』よりも約100年前に書かれた『古今和歌集』の「仮名序」は、そうした日本人の心のあり方の起源がどのようなものかを、彼らの遠い子孫である私たち現代の日本人に、こっそりと明かしてくれる。

冒頭の一節は、日本人の心と言葉の関係を、これ以上ないほど美しい言葉で語り始める。

 やまと歌は、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける。世の中にある人、事業(ことわざ)、繁きものなれば、心に思ふことを、見るもの聞くものにつけて、言ひ出せるなり。花に鳴く鶯、水にすむ蛙の声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか歌を詠まざりける。力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女の仲をも和らげ、猛き武士の心をも慰むるは歌なり。

「やまと歌」は「漢詩」に対するもので、中国大陸からの輸入品ではなく、日本古来の伝統に基づいた歌といった意味。

紀貫之は、最初に、「大和」の歌、つまり「和歌」の言葉を植物にたとえる。
植物の場合、「種」があり、成長すると「葉」が「繁る」。
言葉の場合、「心」があり、さまざまな「事業(ことわざ)」を伝える「言の葉」が「繁り」、和歌になる。

何気ないように見えるこの比喩が、日本人の感受性にとって大変に重要な意味を持つ。
そのポイントになるのが、「つけて」という言葉。
「心に思ふことを、見るもの聞くものにつけて、言ひ出せるなり。」

「心に思うこと」をそのまま言葉にするのではなく、「見るもの聞くもの」という知覚対象に「つけて」、つまり「託して」、表現する。

例えば、どんなに大切に思うものでも、時間が立てばいつかは失われてしまう。その思いを直接言葉にするのではなく、「秋の落ち葉」に託す。
ウグイスやカエルだけではなく、「生きとし生けるもの」全ての鳴き声が、「私」の心の声を代弁する。

別の言い方をすると、日本人の感性は、五感が捉える客観的な事物を科学的に認識しながら、同時にそこに主観的な感情を投げかける習性を持つ。
客観的な属性が主体的な感情と表裏一体になっている、と言ってもいい。

自然の情景を歌った歌は、私の心の情感を伝える言葉でもある。そこでは、客観的に捉えられる世界と主観的な世界が一体化している。
だからこそ、歌は自然を動かす力を持つ。
その力は、天地という人間を超えた空間や、鬼神(=死者の霊魂)という人間を超えた存在に対してさえ影響を及ぼす。
としたら、男と女の心、武士の心といった人間の次元においては、さらに直接的な力が及ぶはずである。

紀貫之は、このようにして、日本語という「言の葉」の特色が「つける(=託す)」ことであり、そのために、人間の生に大きな力を及ぼしうることを明らかにした。


「つける」ことの実践は、次のような例で示される。

春の朝(あした)に花の散るを見、 秋の夕暮に木の葉の落つるを聞き、あるは、年ごとに鏡の影に見ゆる雪と浪とを嘆き、草の露、水の泡を見てわが身をおどろき、あるは、昨日は栄えおごりて、時を失ひ、世にわび、親しかりしもうとくなり、あるは、松山の浪をかけ、野中の水をくみ、秋萩の下葉を眺め、暁の鴫(しぎ)の羽がきを数へ、あるは、呉竹(くれたけ)のうき節を人に言ひ、吉野川をひきて世の中を恨みきつるに、今は富士の山も煙たたずなり、長柄(ながら)の橋もつくるなりと聞く人は、歌にのみぞ心をなぐさめける。

この一節が長い一文で構成されているため、最初と最後の繋がりがはっきりと見えにくい。
しかし、数々の和歌に言及している途中の項目を取り除いてみると、知覚と感情が密接に連動していることがわかってくる。

春の朝、散る花を見る。秋の夕方、葉の落ちる音を聞く。知覚によって捉えられるそうした現象が、言葉によって歌となる。
そして、そうした歌を前にすると、心が慰められる。

そして、この枠組みの中で、具体的な和歌への言及がなされる。
例えば、「年ごとに鏡の影に見ゆる雪と浪とを嘆き」。
これは、紀貫之自身の歌を参照している。

紙屋川(かみやがわ)

うばたまの わが黒髪や かはるらむ 鏡の影に 降れる白雪  (460)

私のうばたまの(真っ黒な)髪がすっかり白く変わってしまい、鏡に写る髪には白雪が降っているように見える。

詞書の「紙屋川」は、鷹峰山から桂川に注ぐ京都の川。その名前に含まれる「かみ(髪)」と「かわ(川)」という言葉が、歌の中に読み込まれている。
序文で言及される「雪と浪」の「浪」は、その川を踏まえている。

「長柄の橋もつくるなり」は、伊勢の歌を参照している。

難波(なには)なる 長柄の橋も つくるなり 今はわが身を 何にたとへん  (1051)

古くからある長柄(ながら)の橋も造り替えられるという。そうなったら、年老いてしまった私を何にたとえたらいいのだろうか。

川の名前の「ながら」という音は「永らう」を連想させ、長柄の橋は古く残っているものの象徴とされる。
その橋に「わが身」を託したいのだが、しかし、橋が新しくなってしまったら、たとえるものがなくなってしまう。
そうした内容を持つこの歌は、「心に思ふことを、見るもの聞くものにつけて、言ひ出せるなり」という、「やまと歌」の原理をそのまま実践している。

現代の私たちが四季の様々な情景に心を動かし、美を感じ取るだけではなく、幸福感や悲しみを感じるとしたら、それはまさに、紀貫之の「仮名序」で述べられていることを、1100年の年月を隔てた今までもそのまま実践しているからに他ならない。

そして、そうした言語の表現法を用い続けているために、知覚像が心象風景であるといった主客が渾然とした世界観を持ち、外の世界の移り変わりに繊細に心を動かす感受性を持っているのだと考えることもできる。

コメントを残す