クローデル 『百扇帖』 Paul Claudel Cent phrases pour éventails 詩の息吹から沈黙の詩へ

ポール・クローデルが俳句からインスピレーションを受けて創作した短詩を収めた『百扇帖』の中には、扇を仰ぐ時に動く空気の流れと詩(ポエジー)を重ね合わせ、その創作原理が詩という形で表現されているものがある。

Que le souffle de l’éventail disperse les mots et ne laisse passer que ce qui touche

扇の息吹が 言葉を撒き散らし、通っていくのは、(こころに)触れるものだけでありますように

映像として見えるものは、扇(l’éventail)だけ。
しかし、その扇が起こす目に見えない風の動きが、詩人の息吹(le souffle)となり、言葉を撒き散らす(disperse)。
そうした言葉たちの姿が、習字で「扇風」と題されたこの短詩「扇風」だといえる。

そして、その息吹が通り過ぎさせるまま(laisse passer)にするのは、心に触れるもの、つまり心を動かさせるもの(ce qui touche)だけ。
こう言ってよければ、詩人が受けたインスピレーションの息吹が、読者の心に触れ、感動を引き起こす。

クロデールは、queという言葉をそれらの言葉たちの先頭に置き、詩とはそうしたものであってほしいという願いを込めて 祈りを綴る。


別の短詩では、沈黙が詩の核にあることを暗示する。

Comprends cette parole à l’oreille de ton âme qui ne résonne que parce qu’elle a cessé

魂の耳に聞こえてくるこの言葉をわかってください 魂が共鳴するのは、言葉が途絶えたからです

言葉が聞こえ、意味を理解する。これが普通のコミュニケーションだとすれば、詩は言葉が終わった時に始まる。
一見不可解に思われるかもしれないが、無の思想に親しみ、禅問答を知っている日本人には、言葉が途絶えた(la parole a cessé)からこそ、魂(ton âme)が共鳴する(résonne)ということが、直感的に理解できるのではないだろうか。

クローデルは、「自然と道徳(La nature et la morale)」の中で、次のように書いている。

Un des principes de la secte Zen est que les grandes vérités sont ineffables. Elles ne peuvent pas être enseignées, elles se communiques à l’âme par une espèce de contagion.

禅の原則の一つによれば、大きな真実(=道)は言葉で言い表すことができない。それらは教えられることができず、魂には伝染病のようにして伝えられる。

短詩「語止」は、詩も禅と同じ沈黙の言語であり、その言葉を理解するように(comprends cette parole)と、読者に訴えかけている。


だからこそ、「黙時」では、「シー!(Chut !)」と沈黙を命ずる。

Chut ! si nous faisons du bruit le temps va recommencer

シー! 音を立てると、時間がまた流れ始める

言葉は音として時間の流れに乗り、意味を伝えていく。一方、沈黙の言葉に時間は存在しない。

俳句は、わずか17の音で宇宙全体を表現することさえできる。フランス語の詩ではそれほどわずかな音で、俳句ほど無限に近づくことは難しい。しかし、クローデルが扇の上に書き付ける短詩は、心に触れること(ce qui touche)を魂に伝え、沈黙の言葉に近づくことを望んでいる。
« Chut » というその一音が、その望みの最高の表現と言えるかもしれない。

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